2023年03月20日
第19話「閑叟上洛」③(それは、剣の腕前なのか)
こんばんは。週末の『ブラタモリ』にも、大河ドラマについても書きたい事はあるのですが、ここは“本編”を続けます。
文久二年(1862年)の初秋、佐賀を脱藩した江藤新平も岐路にありました。
江藤は長州藩の紹介で、尊王攘夷派の公家・姉小路公知と知り合っており、わずか2~3か月間に京都で様々な人物や事件の経過などの情報を得ます。

その有能さを、姉小路卿も評価していたようで、佐賀に帰ると決断した際に、このまま京都に残らないかという話もあったと聞きます。
…とても物騒だった、幕末の京都。江藤を引き留めたかった理由は、その才覚だけではなかったのかもしれません。
――幾度か吹き抜けた風が、竹の葉を揺らし続ける。
「姉小路卿は、下がってください。」
「なんや、向こうに誰ぞ居るんか。」
事態は飲み込めないが、江藤の発する言葉に従い、姉小路も扇を握りしめて身構えた。
江藤は、スッと腰の刀を抜いた。切先が薄い月明かりで、鈍(にび)色に光る。剣を右手に下げたまま、感じ取れる幾人かの気配に対して名乗りを上げた。
「佐賀は、小城に存する永田右源次道場の門下、江藤新平と申す。」
ピキーンと、竹林が共振するような声が通った。

――ザワザワ…と風は吹く中で、江藤は“口上”を続ける。
「そこに居られる方々、ご用の向きがあれば、私が承(うけたまわ)ろう。」
剣の流儀は、幕末期にも名を知られた“心形刀流”のようである。
〔参照:第16話「攘夷沸騰」②(小城の秘剣)〕
だが、それより江藤がいきなり大音声を発したためか、近隣の屋敷は総じて、多少の騒ぎになっている様子だ。
しばし沈黙の間があった。ほどなく姉小路卿や供回りの青侍にもザザッ…と、複数の足音が遠ざかっていく気配が感じられた。
「…ほう、やはり何者かが、まろを見張っておったんやな。」
ほっと一息をついた感じで、姉小路がつぶやいた。
――江藤は、スーッと呼気を整えた。
青侍が、ハッハッ…と息を切らして、周囲を見渡しながら江藤の傍に寄る。
「賊(ぞく)か、何かはわからんが、とにかく去ったみたいやな。」

江藤は、またスッと刀を鞘に納めた。
「永田先生の“剣名”が、よもや京の都にまで届くとは思いもよらんでした。」
「…いや、ちゃう(違う)で、たぶん。」
意表を突かれたか、気抜けした返事をする青侍。先ほどの“口上”では、江藤が剣の修業をした道場の名を発した様子だが、問題はそこではない。
おそらく効いたのは、江藤の声だ。何らかの力で、風が共鳴するようだった。
――後方にいる姉小路も「ほっほっ…」と笑いたいのをこらえる様子だ。
何やら大真面目に、少年期から通った剣術道場に感謝の念を示す江藤だが、これは“剣の腕前”とは、また別の話だろう。
きっと待ち伏せした者が逃げた理由は、まるで“闇討ち”を明るく照らしてしまうような、江藤の存在を嫌がったに違いない。
いまだ響きの残る。四方に届くような音だった。江藤は剣術の稽古だけでなく、他に声を通す訓練でも積んだのか。

――いったい、どこで誰の教えを受けたものか。
「江藤よ、そなたの声は、ようよう響くのう。」
「されば、わが学問の師。枝吉神陽は、私も及ばんほど声の太かです。」
姉小路も、まずは一難去ったとみたか話に興じる。江藤に学問を講ずる師匠とは、よほどの者でないと務まらないことは、容易に想像がつく。
「あれより太い声か。ほほっ…それは賑やかなことや。」
「神陽先生の声は、“鐘の鳴る”がごた(如く)です。」
供回りの青侍は、その会話を聞いて納得をしたのか、苦笑いでつぶやく。
「たぶん…それや。学問の師匠の影響やったか。」

――幕末期。佐賀城下では、熱い議論がなされていた。
いつもそこには、結構な大声が響き渡っていた。“さがんもん”は、わりと声が大きいらしい。
江藤は、こう思い至った。
「…神陽先生には、京で見聞きした事を、直にお伝えせねば。」
この過ぎゆく夏には、佐賀の志士たちにとって一大事が起きていた。脱藩していた江藤は、仲間たちから少し遅れて、その事実を知ることとなる。
(続く)
文久二年(1862年)の初秋、佐賀を脱藩した江藤新平も岐路にありました。
江藤は長州藩の紹介で、尊王攘夷派の公家・姉小路公知と知り合っており、わずか2~3か月間に京都で様々な人物や事件の経過などの情報を得ます。

その有能さを、姉小路卿も評価していたようで、佐賀に帰ると決断した際に、このまま京都に残らないかという話もあったと聞きます。
…とても物騒だった、幕末の京都。江藤を引き留めたかった理由は、その才覚だけではなかったのかもしれません。
――幾度か吹き抜けた風が、竹の葉を揺らし続ける。
「姉小路卿は、下がってください。」
「なんや、向こうに誰ぞ居るんか。」
事態は飲み込めないが、江藤の発する言葉に従い、姉小路も扇を握りしめて身構えた。
江藤は、スッと腰の刀を抜いた。切先が薄い月明かりで、鈍(にび)色に光る。剣を右手に下げたまま、感じ取れる幾人かの気配に対して名乗りを上げた。
「佐賀は、小城に存する永田右源次道場の門下、江藤新平と申す。」
ピキーンと、竹林が共振するような声が通った。
――ザワザワ…と風は吹く中で、江藤は“口上”を続ける。
「そこに居られる方々、ご用の向きがあれば、私が承(うけたまわ)ろう。」
剣の流儀は、幕末期にも名を知られた“心形刀流”のようである。
〔参照:
だが、それより江藤がいきなり大音声を発したためか、近隣の屋敷は総じて、多少の騒ぎになっている様子だ。
しばし沈黙の間があった。ほどなく姉小路卿や供回りの青侍にもザザッ…と、複数の足音が遠ざかっていく気配が感じられた。
「…ほう、やはり何者かが、まろを見張っておったんやな。」
ほっと一息をついた感じで、姉小路がつぶやいた。
――江藤は、スーッと呼気を整えた。
青侍が、ハッハッ…と息を切らして、周囲を見渡しながら江藤の傍に寄る。
「賊(ぞく)か、何かはわからんが、とにかく去ったみたいやな。」

江藤は、またスッと刀を鞘に納めた。
「永田先生の“剣名”が、よもや京の都にまで届くとは思いもよらんでした。」
「…いや、ちゃう(違う)で、たぶん。」
意表を突かれたか、気抜けした返事をする青侍。先ほどの“口上”では、江藤が剣の修業をした道場の名を発した様子だが、問題はそこではない。
おそらく効いたのは、江藤の声だ。何らかの力で、風が共鳴するようだった。
――後方にいる姉小路も「ほっほっ…」と笑いたいのをこらえる様子だ。
何やら大真面目に、少年期から通った剣術道場に感謝の念を示す江藤だが、これは“剣の腕前”とは、また別の話だろう。
きっと待ち伏せした者が逃げた理由は、まるで“闇討ち”を明るく照らしてしまうような、江藤の存在を嫌がったに違いない。
いまだ響きの残る。四方に届くような音だった。江藤は剣術の稽古だけでなく、他に声を通す訓練でも積んだのか。
――いったい、どこで誰の教えを受けたものか。
「江藤よ、そなたの声は、ようよう響くのう。」
「されば、わが学問の師。枝吉神陽は、私も及ばんほど声の太かです。」
姉小路も、まずは一難去ったとみたか話に興じる。江藤に学問を講ずる師匠とは、よほどの者でないと務まらないことは、容易に想像がつく。
「あれより太い声か。ほほっ…それは賑やかなことや。」
「神陽先生の声は、“鐘の鳴る”がごた(如く)です。」
供回りの青侍は、その会話を聞いて納得をしたのか、苦笑いでつぶやく。
「たぶん…それや。学問の師匠の影響やったか。」
――幕末期。佐賀城下では、熱い議論がなされていた。
いつもそこには、結構な大声が響き渡っていた。“さがんもん”は、わりと声が大きいらしい。
江藤は、こう思い至った。
「…神陽先生には、京で見聞きした事を、直にお伝えせねば。」
この過ぎゆく夏には、佐賀の志士たちにとって一大事が起きていた。脱藩していた江藤は、仲間たちから少し遅れて、その事実を知ることとなる。
(続く)
Posted by SR at 23:18 | Comments(0) | 第19話「閑叟上洛」
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