2023年02月10日
「オールド・イマリ・ロマンス」
こんばんは。
“本編”の合間にお送りする、私の日記的な投稿です。最近なんとなく気になるのが、NHK土曜ドラマ『探偵ロマンス』。
若き日、まだ才能を開花させていない推理作家・江戸川乱歩が主人公。ある老齢の名探偵の助手となって、「わからない、だから知りたい」と奮闘する話。
タイトルにある「ロマンス」という言葉は、語源では、恋愛だけを対象としたものではなく、空想(伝奇)小説の意にも取れるようです。
…というわけで、今日は“紅茶”と対話する不思議話です。
――慌ただしく流れる日々に、出会ったものがある。
ある日の昼下がりに「珍しい客を見かけた」と、私はそんな一報を受けていた。
夜になって仕事を終え、人混みの中で長い帰路を戻った私。椅子に腰掛けて、そいつが現れるのを待った。
「よう、兄さん。久しぶりだな。」
「貴方は“ウレシノ”じゃないか。なぜ、こんなところに。」

――事前に聞いてはいたが、私は、やはり目を見張った。
このような都会の片隅に、佐賀に居るはずの“嬉野紅茶”が来ているなんて。
「なんだい、疲れが顔に出てるぞ。」
「そこそこ、頑張っているからな。最近じゃ、朝が辛くて仕方ない。」
ほのかな茶葉の香り。一見渋い感じだが、眠たい朝でも飲みやすい爽やかな紅茶だ。ウレシノからの語りかけに、私はこのように返した。
――私が、その“嬉野紅茶”と出会ったのは、
昨年の初夏。およそ2年半ぶりに、佐賀への帰還を果たした時だった。
一口、その紅茶を飲んだ時、私はこう思った。「紅茶は嬉野(ウレシノ)と、それ以外に分類されるのか!」と。そのぐらいの衝撃だったのだ。
〔参照:連続ブログ小説「聖地の剣」(9)“醒覚”の紅茶〕
ウレシノと名乗る紅茶は、軽い笑みを浮かべ…いや、茶葉を浮かべたかのように続ける。
「兄さん、そう言ってくれるのは“嬉しいの”だがな。」
「…どういうことだ。」
どうやら私が怪訝(けげん)に思っているのは、表情に出ているようだ。
「まぁ、佐賀の紅茶は、俺(ウレシノ)だけじゃない…ってことだ。」

――私は困惑した。佐賀で“和紅茶”と言えば、嬉野だろう。
疑いなく、そう思っていたのだが、他にもあるのか。佐賀の和紅茶が。
「あいつだ。“イマリ”だよ。まだ、会ったことは無いかもしれんな。」
「ちょっと待て。“伊万里紅茶”だって…!?聞いたことがないぞ。」
「そこが、兄さんの調べの浅いところさ。まぁ幕末の佐賀を語るんなら、もう少し頑張るんだな。」
私には、どうも詰めが甘いところがある。ウレシノは、その甘さを指摘した。
ところで、嬉野紅茶は和菓子の甘さを引き立てるらしい。この辺りに“お茶”として揺るがない信念のようなものを感じるのだ。
――日本茶のブランドとして知られる、嬉野茶だが、
幕末期には紅茶の姿で、世界で活躍した。当時、開国したばかりの日本にとっては、主要な輸出品の1つでもあった。
〔参照(後半):第14話「遣米使節」②(オランダ商館の午後)〕
「イマリと言えば、陶磁器ではないのか…?」
「お察しのとおりですが、伊万里には幾つもの顔があるとご理解ください。」

「…いつの間に!」
いきなり隣に現れた、その紅茶は“イマリ”と名乗った。私にとっては、未知なる存在の伊万里紅茶だ。
そのブランド名から、どことなく紳士然とした印象を受けるが、自然栽培の力強さを持つという。
伊万里の紅茶には毎日でも飲める、普段使いの良さがあるようだ。高級感があるのか、親しみやすいのか…ますます、わからない。
――陶磁器について、私は充分な知識が得られていない。
しかし、いずれはパリ万博(1867年)やウィーン万博(1873年)の話を書くつもりがある。そこまでに、ある程度は知りたい。
江戸期を通じて、陶磁器の積出港だった伊万里から長崎を経て、海外に出たのは“古伊万里”だったと理解する。
主に欧州では「オールド・イマリ」と呼ばれたのだろう。何だか浪漫(ロマン)を感じる響きなのである。
“伊万里”は有田焼をはじめ、周辺地域から集まる“肥前磁器”の総称らしい。長崎県の波佐見焼などは「普段使い」を追求しているとも聞く。

むしろ伊万里で生産したのは、将軍や大名への献上(贈答)品に使う国内向け高級磁器で、“鍋島”の名を冠する伊万里焼。
「たしかに、伊万里の顔は1つではない…か。」
秘窯の里かと思えば、伝統の港湾都市でもある。プロフィールにも、二面性があって、どことなくミステリアスに感じる街なのだ。
「…さて、飲んでみれば、あなたにもわかるかもしれませんよ。」
“本編”の合間にお送りする、私の日記的な投稿です。最近なんとなく気になるのが、NHK土曜ドラマ『探偵ロマンス』。
若き日、まだ才能を開花させていない推理作家・江戸川乱歩が主人公。ある老齢の名探偵の助手となって、「わからない、だから知りたい」と奮闘する話。
タイトルにある「ロマンス」という言葉は、語源では、恋愛だけを対象としたものではなく、空想(伝奇)小説の意にも取れるようです。
…というわけで、今日は“紅茶”と対話する不思議話です。
――慌ただしく流れる日々に、出会ったものがある。
ある日の昼下がりに「珍しい客を見かけた」と、私はそんな一報を受けていた。
夜になって仕事を終え、人混みの中で長い帰路を戻った私。椅子に腰掛けて、そいつが現れるのを待った。
「よう、兄さん。久しぶりだな。」
「貴方は“ウレシノ”じゃないか。なぜ、こんなところに。」
――事前に聞いてはいたが、私は、やはり目を見張った。
このような都会の片隅に、佐賀に居るはずの“嬉野紅茶”が来ているなんて。
「なんだい、疲れが顔に出てるぞ。」
「そこそこ、頑張っているからな。最近じゃ、朝が辛くて仕方ない。」
ほのかな茶葉の香り。一見渋い感じだが、眠たい朝でも飲みやすい爽やかな紅茶だ。ウレシノからの語りかけに、私はこのように返した。
――私が、その“嬉野紅茶”と出会ったのは、
昨年の初夏。およそ2年半ぶりに、佐賀への帰還を果たした時だった。
一口、その紅茶を飲んだ時、私はこう思った。「紅茶は嬉野(ウレシノ)と、それ以外に分類されるのか!」と。そのぐらいの衝撃だったのだ。
〔参照:
ウレシノと名乗る紅茶は、軽い笑みを浮かべ…いや、茶葉を浮かべたかのように続ける。
「兄さん、そう言ってくれるのは“嬉しいの”だがな。」
「…どういうことだ。」
どうやら私が怪訝(けげん)に思っているのは、表情に出ているようだ。
「まぁ、佐賀の紅茶は、俺(ウレシノ)だけじゃない…ってことだ。」
――私は困惑した。佐賀で“和紅茶”と言えば、嬉野だろう。
疑いなく、そう思っていたのだが、他にもあるのか。佐賀の和紅茶が。
「あいつだ。“イマリ”だよ。まだ、会ったことは無いかもしれんな。」
「ちょっと待て。“伊万里紅茶”だって…!?聞いたことがないぞ。」
「そこが、兄さんの調べの浅いところさ。まぁ幕末の佐賀を語るんなら、もう少し頑張るんだな。」
私には、どうも詰めが甘いところがある。ウレシノは、その甘さを指摘した。
ところで、嬉野紅茶は和菓子の甘さを引き立てるらしい。この辺りに“お茶”として揺るがない信念のようなものを感じるのだ。
――日本茶のブランドとして知られる、嬉野茶だが、
幕末期には紅茶の姿で、世界で活躍した。当時、開国したばかりの日本にとっては、主要な輸出品の1つでもあった。
〔参照(後半):
「イマリと言えば、陶磁器ではないのか…?」
「お察しのとおりですが、伊万里には幾つもの顔があるとご理解ください。」
「…いつの間に!」
いきなり隣に現れた、その紅茶は“イマリ”と名乗った。私にとっては、未知なる存在の伊万里紅茶だ。
そのブランド名から、どことなく紳士然とした印象を受けるが、自然栽培の力強さを持つという。
伊万里の紅茶には毎日でも飲める、普段使いの良さがあるようだ。高級感があるのか、親しみやすいのか…ますます、わからない。
――陶磁器について、私は充分な知識が得られていない。
しかし、いずれはパリ万博(1867年)やウィーン万博(1873年)の話を書くつもりがある。そこまでに、ある程度は知りたい。
江戸期を通じて、陶磁器の積出港だった伊万里から長崎を経て、海外に出たのは“古伊万里”だったと理解する。
主に欧州では「オールド・イマリ」と呼ばれたのだろう。何だか浪漫(ロマン)を感じる響きなのである。
“伊万里”は有田焼をはじめ、周辺地域から集まる“肥前磁器”の総称らしい。長崎県の波佐見焼などは「普段使い」を追求しているとも聞く。
むしろ伊万里で生産したのは、将軍や大名への献上(贈答)品に使う国内向け高級磁器で、“鍋島”の名を冠する伊万里焼。
「たしかに、伊万里の顔は1つではない…か。」
秘窯の里かと思えば、伝統の港湾都市でもある。プロフィールにも、二面性があって、どことなくミステリアスに感じる街なのだ。
「…さて、飲んでみれば、あなたにもわかるかもしれませんよ。」
Posted by SR at 23:02 | Comments(0) | 佐賀への道
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。