2023年09月18日
「“別藩”~BEPPAN~第2話」
こんばんは。
NHK大河ドラマの直後の時間帯に放送されていたTBS系ドラマ『VIVANT』。途中から気になり始めて展開を追い、最終回はしっかり視聴することに。
大河ドラマを視聴する時にもよく考えるのですが、やはりプロとして、“物語”を作っていく人たちの力量は凄いな…という感想を持ちました。
――ふだん私が当ブログで語っているのは、幕末の佐賀藩。
近代化のトップランナーだった佐賀ですが、立ち位置が中立的で幕府側からも倒幕派からも、「最後までどっちに付くかわからない」と見られたそうです。
当時、佐賀藩の存在が「どう見えていたか」を描きたいこともあって“別の藩”の視点も取り入れる試みも考えています。
今シリーズの第2話は、「敵か味方か、味方か敵か…」混沌とする幕末動乱の時代。今回は、非情な任務を遂行していった、ある大村藩士の話をします。

――前回のお話(事件①)から、50年ほどが経過して、
日本は“開国”の時代へと移っています。かつて佐賀藩にはフェートン号事件で「良いところなし」の失策をした苦い経験があります。
〔参照:「“別藩”~BEPPAN~第1話」〕
佐賀藩が独力でも西洋列強に追いつこうと、技術や産業の開発に明け暮れている頃には、幕末の政局が大きく動き始めていました。
ここで、上方(京・大坂)で影のように動いた、肥前国の剣士がいました。それは、佐賀の人ではなく、現在の長崎県にある大村の藩士でした。

――“別藩”事件ファイル②「非情に任務をこなす」
時は幕末、先年の“開国”の影響が各地に出始めた頃から、主に京都周辺で、幕府(徳川政権)に関係する者が襲撃される事件が相次ぎました。
「天に代わって誅伐する」略して“天誅”と一般的に呼ばれ、幕府を倒そうとする志士たちのスローガンのような言葉ともに実行されます。
この時代に恐れられていた剣客に、大村藩の人物がいました。
渡辺昇(わたなべ のぼり)という名で、江戸の三大剣術道場の1つ・練兵館で、長州藩の桂小五郎の後に“塾頭”を引き継いだといい、剣の腕は確かです。
――その剣客は、“指令”により任務を行う。
この辺りの事情は深くは知らないのですが、なぜか大村藩士である渡辺昇は、長州藩士からの指示で剣を振るったと聞きます。
勤王をとなえる勢力が藩をまとめ上げ、明確に“倒幕派”となっていた大村藩の志士は、旗頭とも言える雄藩・長州の可能性に賭けたのかもしれません。
幕吏に捕縛されれば終わりなので、目立つ動きは命取りとなるためか、反撃しがたいタイミングを狙って、確実に“標的”を仕留める方法を選択したようです。

――幕末の京都は、動乱の中心地でもありました。
現在、“本編”で書いている時期は、佐賀の前藩主・鍋島直正が体調不良に苦しみながらも、京都へ上洛した文久二年の晩秋~冬の頃。
〔参照:第19話「閑叟上洛」⑲(“門司”からの船出まで)〕
西洋の技術・経済力に追いつくのが最優先で、政治の主導権争いとは距離をおいていた佐賀藩ですが、京都の情勢は無視できない状況となっていました。
同じ頃、文久三年(1863年)の年明けには、のち「新選組」として名を轟かせ、倒幕の志士たちに恐れられる、近藤勇らを含む一団が京都に入っています。
――新選組・近藤勇と、大村藩士・渡辺昇は旧知の間柄だったようで…
江戸で近藤勇が道場を開いていた時に、渡辺昇が試合の助っ人に来た…とかいう話も聞きます。剣術仲間と言ってもよい関係だったのかもしれません。
しかし渡辺昇にとって、倒幕の志士を取り締まる新選組は敵対勢力ですから、容赦なく剣を振るったようです。

――“味方”が、敵になった時…
近藤勇が取った行動は、どうやら「旧知の友を説得しにいく…」という、鉄の掟で知られた新選組の局長らしくない選択だったそう。
このあたり、往年の名作時代劇『鞍馬天狗』を彷彿とさせる展開です。渡辺昇が“鞍馬天狗”の設定上のモデル…という説にもうなづけます。
〔参照:「鞍馬天狗は、長崎の人?」〔新大村駅〕〕
渡辺昇の居所を訪ねた近藤でしたが、一足違いで渡辺は長崎に発ったところ。もし、敵同士となった2人が会っていたら、どうなったのか…。
――「敵になった2人の男には、同じ剣士としての絆があった…」
私は、幕末~明治期の佐賀藩について話を書いているので、佐賀県を目当てに調べ物をしますが、よく福岡県や長崎県の人物にも行き当たります。
佐賀藩は鍋島直正公が名君すぎて、藩内をしっかり統制しており、勤王派の志士たちも九州の外では活動しづらかったところがありそうです。
この辺り、私が本編の第2部に入ってから書きづらい一因でもあるのですが、幕末動乱の背景は「九州北部」で表現していこうかな…と考えています。
注)渡辺昇の名字は、渡邉や渡邊と表記されることも多いようですが、本編で登場する時には一般的によく使われる「渡辺」の表記で書こうかと考えています。
NHK大河ドラマの直後の時間帯に放送されていたTBS系ドラマ『VIVANT』。途中から気になり始めて展開を追い、最終回はしっかり視聴することに。
大河ドラマを視聴する時にもよく考えるのですが、やはりプロとして、“物語”を作っていく人たちの力量は凄いな…という感想を持ちました。
――ふだん私が当ブログで語っているのは、幕末の佐賀藩。
近代化のトップランナーだった佐賀ですが、立ち位置が中立的で幕府側からも倒幕派からも、「最後までどっちに付くかわからない」と見られたそうです。
当時、佐賀藩の存在が「どう見えていたか」を描きたいこともあって“別の藩”の視点も取り入れる試みも考えています。
今シリーズの第2話は、「敵か味方か、味方か敵か…」混沌とする幕末動乱の時代。今回は、非情な任務を遂行していった、ある大村藩士の話をします。
――前回のお話(事件①)から、50年ほどが経過して、
日本は“開国”の時代へと移っています。かつて佐賀藩にはフェートン号事件で「良いところなし」の失策をした苦い経験があります。
〔参照:
佐賀藩が独力でも西洋列強に追いつこうと、技術や産業の開発に明け暮れている頃には、幕末の政局が大きく動き始めていました。
ここで、上方(京・大坂)で影のように動いた、肥前国の剣士がいました。それは、佐賀の人ではなく、現在の長崎県にある大村の藩士でした。
――“別藩”事件ファイル②「非情に任務をこなす」
時は幕末、先年の“開国”の影響が各地に出始めた頃から、主に京都周辺で、幕府(徳川政権)に関係する者が襲撃される事件が相次ぎました。
「天に代わって誅伐する」略して“天誅”と一般的に呼ばれ、幕府を倒そうとする志士たちのスローガンのような言葉ともに実行されます。
この時代に恐れられていた剣客に、大村藩の人物がいました。
渡辺昇(わたなべ のぼり)という名で、江戸の三大剣術道場の1つ・練兵館で、長州藩の桂小五郎の後に“塾頭”を引き継いだといい、剣の腕は確かです。
――その剣客は、“指令”により任務を行う。
この辺りの事情は深くは知らないのですが、なぜか大村藩士である渡辺昇は、長州藩士からの指示で剣を振るったと聞きます。
勤王をとなえる勢力が藩をまとめ上げ、明確に“倒幕派”となっていた大村藩の志士は、旗頭とも言える雄藩・長州の可能性に賭けたのかもしれません。
幕吏に捕縛されれば終わりなので、目立つ動きは命取りとなるためか、反撃しがたいタイミングを狙って、確実に“標的”を仕留める方法を選択したようです。
――幕末の京都は、動乱の中心地でもありました。
現在、“本編”で書いている時期は、佐賀の前藩主・鍋島直正が体調不良に苦しみながらも、京都へ上洛した文久二年の晩秋~冬の頃。
〔参照:
西洋の技術・経済力に追いつくのが最優先で、政治の主導権争いとは距離をおいていた佐賀藩ですが、京都の情勢は無視できない状況となっていました。
同じ頃、文久三年(1863年)の年明けには、のち「新選組」として名を轟かせ、倒幕の志士たちに恐れられる、近藤勇らを含む一団が京都に入っています。
――新選組・近藤勇と、大村藩士・渡辺昇は旧知の間柄だったようで…
江戸で近藤勇が道場を開いていた時に、渡辺昇が試合の助っ人に来た…とかいう話も聞きます。剣術仲間と言ってもよい関係だったのかもしれません。
しかし渡辺昇にとって、倒幕の志士を取り締まる新選組は敵対勢力ですから、容赦なく剣を振るったようです。
――“味方”が、敵になった時…
近藤勇が取った行動は、どうやら「旧知の友を説得しにいく…」という、鉄の掟で知られた新選組の局長らしくない選択だったそう。
このあたり、往年の名作時代劇『鞍馬天狗』を彷彿とさせる展開です。渡辺昇が“鞍馬天狗”の設定上のモデル…という説にもうなづけます。
〔参照:
渡辺昇の居所を訪ねた近藤でしたが、一足違いで渡辺は長崎に発ったところ。もし、敵同士となった2人が会っていたら、どうなったのか…。
――「敵になった2人の男には、同じ剣士としての絆があった…」
私は、幕末~明治期の佐賀藩について話を書いているので、佐賀県を目当てに調べ物をしますが、よく福岡県や長崎県の人物にも行き当たります。
佐賀藩は鍋島直正公が名君すぎて、藩内をしっかり統制しており、勤王派の志士たちも九州の外では活動しづらかったところがありそうです。
この辺り、私が本編の第2部に入ってから書きづらい一因でもあるのですが、幕末動乱の背景は「九州北部」で表現していこうかな…と考えています。
注)渡辺昇の名字は、渡邉や渡邊と表記されることも多いようですが、本編で登場する時には一般的によく使われる「渡辺」の表記で書こうかと考えています。
Posted by SR at 18:13 | Comments(0) | 企画案・雑記帳
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