2024年01月05日
「涙が出た、正月」
こんばんは。
私のブログは、いつか「幕末佐賀藩の大河ドラマを見たい」という趣旨で書いているもの。
本日は少し、本筋から外れた話をします。私なりの気持ちの整理を付けるための文章です。
なお、私の感情の動きに基づいた、主観的な内容であり、正確性を伴わないことを申し添えます。
――1月1日の、16時過ぎ。
正月のお休みだった私は『さがファンブログ』でお読みいただいている皆様に、年始のご挨拶がわりの記事を整えていました。
そんな時、テレビから何とも耳を衝くようなアラーム音が響きます。
「また、地震か…」と思ったのですが、そこまでは事の重大性には気付いていませんでした。
――異変に気付いたのは、その後。
例によって、NHKの放送を付けていたのですが、聞こえてくる女性の声が、何とも野太く聞こえるのです。
始めに聞いた時は、その声がとても女子アナウンサーのものとは思えず、「防災を専門とする何者かの発声なのか!?」とさえ思いました。
よく訓練された声で「いますぐ逃げること!」と叫ぶ、彼女の姿は見えません。
――「津波の危険があるところから離れて!」
「すぐ逃げて!」と繰り返される言葉。「テレビを見ている場合ではない!」と、その場に留まっている人への一喝までありました。
もちろん現場にいたわけでもなく、「高台まで後ろを振り向かず進め!」とばかりの、画面から流れる声を聞き続ける私は、しばらく呆然としました。
まるで、軍隊の司令のように、声を張り続ける女性。さすがに、非常事態が起きていることは認識できるようになりました。
――そして、涙が出てきました。
「この人、いま戦っている…」
表現としては適切かわかりませんが、昔、映画の予告だけを見た記憶がある、“ジャンヌ・ダルク”の映像を思い出しました。
「フォロー・ミー!(私に続け)」と声を張るシーンが妙に印象に残ったのです。
たぶん、私の感情の混乱もあるのですが、テレビの向こう側で姿の見えない“英雄”が、画面の向こう側の人々を救おうと声を振り絞っている…
――そういう、感覚を持ちました。
すでに言及されている方も多いのですが、正月2日目の夕刻にも、気持ちを揺さぶられる事故がありました。
羽田空港で航空機が燃えている…という情報を見かけたのです。
「なんて、正月だ…」
映像を見て、唖然としました。空港の滑走路で旅客機が炎上しているのが、映し出されています。
「まさか…乗客、まだ降りてないのか!?」
気が気でなかったのですが、この心配は、ニュース速報で打ち消されました。
――その時点で、全ての乗客が降りていたと。
すでに旅客機の乗務員が、全員を機体から退避させていたそうです。衝突のアクシデントが起きてからの離脱で、機内全員が無事…
訓練では想定していた事態なのかもしれませんが、乗客一人ひとりが生身で存在し、意思を持って動く中でどう対応したのか。
これを実際にやってのけるとは…日本ではあまり聞かない表現ですが、すでに海外の報道では“英雄”的な仕事と賞賛されていると聞きます。
――旅客機のクルーにより、乗客の命は守られましたが…
そのあと、旅客機に衝突したのが、海上保安庁の飛行機であり、そもそも能登半島に救援物資を運ぶところだった…と知りました。
これを聞いたら、また涙が出てきました。おそらくは、緊急時の準備を整えて“少しでも早く”と出動したのでしょう。
そんな方々が、命を落としたと認識すると、いたたまれないものがあります。
――こんな、正月三が日は記憶にない…
自分の狭い人生の中で、年始が大変だった時期の記憶もありますが、ちょっとスケールの違いすぎる、涙の正月。
たしか3日目の夜にも、私はニュースを見て、目に溜まる涙を感じていました。
被災地となった町の、倒壊したビルの下。オレンジの隊服の複数名が確認できます。他地域から到着した救援隊のようです。
「…取り残された人を救おうとしているのか。」
――この場面で、余震が起きたらしく、
救援隊は、一時ビルの下から退避します。その姿を見ていたら、結局、3日続けて涙が出てきました。
倒壊したビルが崩れることも容易に想像できます。もう、完全に命懸けの仕事。
「すごい、すごすぎる…とても真似ができない。」
――正直、私が何をできるわけでもない。
おそらくは歳を重ねて涙もろくもなっています。でも、彼らのはたらきを賞賛したい。少なくとも、頑張っている人たちの足を引っ張るような生き方はするまい…、
できれば巡り巡ってでも良いので、どこかで何かの助けになるように、しっかり生きようと思う。この正月に感じたことでした。
私のブログは、いつか「幕末佐賀藩の大河ドラマを見たい」という趣旨で書いているもの。
本日は少し、本筋から外れた話をします。私なりの気持ちの整理を付けるための文章です。
なお、私の感情の動きに基づいた、主観的な内容であり、正確性を伴わないことを申し添えます。
――1月1日の、16時過ぎ。
正月のお休みだった私は『さがファンブログ』でお読みいただいている皆様に、年始のご挨拶がわりの記事を整えていました。
そんな時、テレビから何とも耳を衝くようなアラーム音が響きます。
「また、地震か…」と思ったのですが、そこまでは事の重大性には気付いていませんでした。
――異変に気付いたのは、その後。
例によって、NHKの放送を付けていたのですが、聞こえてくる女性の声が、何とも野太く聞こえるのです。
始めに聞いた時は、その声がとても女子アナウンサーのものとは思えず、「防災を専門とする何者かの発声なのか!?」とさえ思いました。
よく訓練された声で「いますぐ逃げること!」と叫ぶ、彼女の姿は見えません。
――「津波の危険があるところから離れて!」
「すぐ逃げて!」と繰り返される言葉。「テレビを見ている場合ではない!」と、その場に留まっている人への一喝までありました。
もちろん現場にいたわけでもなく、「高台まで後ろを振り向かず進め!」とばかりの、画面から流れる声を聞き続ける私は、しばらく呆然としました。
まるで、軍隊の司令のように、声を張り続ける女性。さすがに、非常事態が起きていることは認識できるようになりました。
――そして、涙が出てきました。
「この人、いま戦っている…」
表現としては適切かわかりませんが、昔、映画の予告だけを見た記憶がある、“ジャンヌ・ダルク”の映像を思い出しました。
「フォロー・ミー!(私に続け)」と声を張るシーンが妙に印象に残ったのです。
たぶん、私の感情の混乱もあるのですが、テレビの向こう側で姿の見えない“英雄”が、画面の向こう側の人々を救おうと声を振り絞っている…
――そういう、感覚を持ちました。
すでに言及されている方も多いのですが、正月2日目の夕刻にも、気持ちを揺さぶられる事故がありました。
羽田空港で航空機が燃えている…という情報を見かけたのです。
「なんて、正月だ…」
映像を見て、唖然としました。空港の滑走路で旅客機が炎上しているのが、映し出されています。
「まさか…乗客、まだ降りてないのか!?」
気が気でなかったのですが、この心配は、ニュース速報で打ち消されました。
――その時点で、全ての乗客が降りていたと。
すでに旅客機の乗務員が、全員を機体から退避させていたそうです。衝突のアクシデントが起きてからの離脱で、機内全員が無事…
訓練では想定していた事態なのかもしれませんが、乗客一人ひとりが生身で存在し、意思を持って動く中でどう対応したのか。
これを実際にやってのけるとは…日本ではあまり聞かない表現ですが、すでに海外の報道では“英雄”的な仕事と賞賛されていると聞きます。
――旅客機のクルーにより、乗客の命は守られましたが…
そのあと、旅客機に衝突したのが、海上保安庁の飛行機であり、そもそも能登半島に救援物資を運ぶところだった…と知りました。
これを聞いたら、また涙が出てきました。おそらくは、緊急時の準備を整えて“少しでも早く”と出動したのでしょう。
そんな方々が、命を落としたと認識すると、いたたまれないものがあります。
――こんな、正月三が日は記憶にない…
自分の狭い人生の中で、年始が大変だった時期の記憶もありますが、ちょっとスケールの違いすぎる、涙の正月。
たしか3日目の夜にも、私はニュースを見て、目に溜まる涙を感じていました。
被災地となった町の、倒壊したビルの下。オレンジの隊服の複数名が確認できます。他地域から到着した救援隊のようです。
「…取り残された人を救おうとしているのか。」
――この場面で、余震が起きたらしく、
救援隊は、一時ビルの下から退避します。その姿を見ていたら、結局、3日続けて涙が出てきました。
倒壊したビルが崩れることも容易に想像できます。もう、完全に命懸けの仕事。
「すごい、すごすぎる…とても真似ができない。」
――正直、私が何をできるわけでもない。
おそらくは歳を重ねて涙もろくもなっています。でも、彼らのはたらきを賞賛したい。少なくとも、頑張っている人たちの足を引っ張るような生き方はするまい…、
できれば巡り巡ってでも良いので、どこかで何かの助けになるように、しっかり生きようと思う。この正月に感じたことでした。
Posted by SR at 21:43 | Comments(0) | 企画案・雑記帳
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