2023年09月26日
「“別藩”~BEPPAN~第3話」
こんばんは。
先日、最終回の放送がありました、TBS系ドラマ『VIVANT』が着想元だった、このシリーズ。
佐賀藩とは、同じ肥前国(佐賀・長崎)にあるけれども、“別の藩”(大村藩)の活躍を深掘りしていきます。
ここを特集する時に思い付いた言葉が“別藩”だった…という理由だけで、このタイトルで綴っています。
今回は、幕末から明治へと、時代が転換する場面に関わっては、その現場を目撃してきた人物について書きます。

――その人物は、肥前国・大村藩の上級武士の家系の出身…
前回に特集したのは、渡辺昇という剣士として知られた人物。“鞍馬天狗”のモデルという説も有力だそうです。
〔参照:「“別藩”~BEPPAN~第2話」〕
その兄・渡辺清もまた幕末の重要人物でした。大村藩を倒幕派にまとめた、リーダー的な存在とも聞きます。
弟・渡辺昇は「激しい稽古で鍛え上げた剣士」として恐れられた存在でしたが、兄・渡辺清は、「冷静でスマートな司令(指揮官)タイプ」という印象。
ちなみに、この兄弟について見た目はあまり似ていない…という話もみかけました。これは、異母兄弟であることも影響しているのかもしれません。
ただ、大村出身の「冷静と情熱の渡辺兄弟(?)」が、幕末の重大事に関わったのは、確かだと思われます。

――“別藩”事件ファイル③「少数でも精鋭揃い」
明治維新への過程で、最も重要な転換点の1つが、1868年(慶応四年)1月に戊辰戦争の発端となった戦い。
この「鳥羽・伏見の戦い」で、大村藩は影ながら活躍しているのですが、その存在は、あまり大きくは語られていません。
今回は、いま“本編”で書いている年代から5~6年後の話です。幕府は「大政奉還」で、すでに政権を返上した時期なので、「旧幕府」という表現をします。
以前は、新式装備の薩摩・長州を中心とする“官軍”が、人数が多いだけの旧幕府軍(徳川政権)を圧倒した…と私も思っていました。
ところが、そんな単純な話ではなかったようで、旧幕府側が幾つかの失策を重ねて、「勝てる戦いを落とした」という指摘もよく見かけます。
――そんな折、“舞台裏”で奮戦したのが、大村藩。
鳥羽・伏見というのは、京都の中心市街地の南方に位置する場所です。旧幕府軍の拠点は、そこから西の方角に位置する大坂城(大阪)。
そして、両軍がその京都の南で戦っているところを目指して、旧幕府側に味方する軍勢が東から進めば、挟み撃ちが可能になります。

どうやら、大村藩がどこで頑張っていたかというと、その東側の備えで、大津(滋賀県)あたりの守備だったようです。
――“倒幕”に燃える、大村藩士たちの動きは速かった。
渡辺清が率いる手勢は、わずか50人程度だったと言われます。
しかし、ここが大村藩を、精鋭ぞろいの“別藩”と呼んでしまう理由でもあるのですが、少数が大軍に見えるほど、迅速に大津を抑えたようです。
大村の精鋭部隊の“電光石火”の作戦行動に、旧幕府側に付こうとした諸藩にも「相当な数の軍勢が隠れているのでは…」という疑念が生じた様子。
結局、滋賀県以東から、旧幕府側の軍勢が攻めかかってくることは無かったといいます。
こうして薩摩・長州などの“官軍”は、別働隊の渡辺ら大村藩士の活躍により、東と西からの挟み撃ちを免れ、勝利したという考え方もできそうです。

――その「鳥羽・伏見の戦い」での勝利を受けて、東に進む“官軍”。
江戸幕府・最後の将軍だった徳川慶喜は、この戦いの最中に大坂城から脱出して以降、徹底的に戦う意思を見せず「恭順」の姿勢を貫きます。
慶応四年も数か月が進んで初夏も近づき、「江戸開城」の談判がありました。
有名な官軍の西郷隆盛と旧幕府の勝海舟との会見にも、先ほど活躍した大村藩士・渡辺清は立ち会っています。
無血で明け渡される江戸城。官軍による接収となりますが、もちろん、渡辺はここにも同行しました。

――この時期に渡辺は、ある人物の姿を見かけます。
“官軍”の大半が資金と武器にしか興味を示さぬ中、熱心に書類を集め回り、幕府の役人に、次々と質問をする人物がいました。
それが、佐賀から来た異才の人・江藤新平でした。佐賀藩の官軍への参加は遅かったものの、江藤には「関東の調査」という任務が与えられています。
江藤は、幕府(徳川政権)から明治新政府への切り替えのため、立法・行政・司法に関わる資料…そして、それを扱う旧幕府の人材も確保しました。
また、“百万都市”だったと知られる、江戸の都市運営を担ってきた、町奉行所に踏み込みます。

――ここでは、租税や裁判の書類を集めていた江藤。
その江藤の行動を見ていたのが大村藩士・渡辺清。ここでは、官軍の参謀格でもありました。
「町奉行所の役割に気付いて、調べに行ったのは江藤ぐらいだった…」と述懐したそうです。
時代劇で、江戸の町奉行所は、裁判のイメージが強いのですが、警察・消防・民政・租税…とにかく、仕事は多かったようです。
のちに渡辺は、この江藤の動きが、新政府での様々な決まり事を布告(周知)するときに重要な意味があったとしています。
――時代の転換点の“目撃者”となった、渡辺清。
明治期に渡辺清は、福岡県令などの役職を歴任します。江藤の行動を見て、その価値を理解した話から、渡辺の実務能力の高さは推測していました。
その後、「福岡県政の基礎をつくったのは、大村の渡辺清だった」という評論を見かけて、「やっぱり」と納得したところがあります。
3回シリーズの予定でしたが、エピローグとして書きたい話があるので、次回には“別藩”の最終話を書こうと思います。
注)渡辺清の名字は、「渡邉」が正式表記の可能性もあるのですが、本編で登場する時には一般的によく使われる「渡辺」で書こうかと考えています。
先日、最終回の放送がありました、TBS系ドラマ『VIVANT』が着想元だった、このシリーズ。
佐賀藩とは、同じ肥前国(佐賀・長崎)にあるけれども、“別の藩”(大村藩)の活躍を深掘りしていきます。
ここを特集する時に思い付いた言葉が“別藩”だった…という理由だけで、このタイトルで綴っています。
今回は、幕末から明治へと、時代が転換する場面に関わっては、その現場を目撃してきた人物について書きます。
――その人物は、肥前国・大村藩の上級武士の家系の出身…
前回に特集したのは、渡辺昇という剣士として知られた人物。“鞍馬天狗”のモデルという説も有力だそうです。
〔参照:
その兄・渡辺清もまた幕末の重要人物でした。大村藩を倒幕派にまとめた、リーダー的な存在とも聞きます。
弟・渡辺昇は「激しい稽古で鍛え上げた剣士」として恐れられた存在でしたが、兄・渡辺清は、「冷静でスマートな司令(指揮官)タイプ」という印象。
ちなみに、この兄弟について見た目はあまり似ていない…という話もみかけました。これは、異母兄弟であることも影響しているのかもしれません。
ただ、大村出身の「冷静と情熱の渡辺兄弟(?)」が、幕末の重大事に関わったのは、確かだと思われます。

――“別藩”事件ファイル③「少数でも精鋭揃い」
明治維新への過程で、最も重要な転換点の1つが、1868年(慶応四年)1月に戊辰戦争の発端となった戦い。
この「鳥羽・伏見の戦い」で、大村藩は影ながら活躍しているのですが、その存在は、あまり大きくは語られていません。
今回は、いま“本編”で書いている年代から5~6年後の話です。幕府は「大政奉還」で、すでに政権を返上した時期なので、「旧幕府」という表現をします。
以前は、新式装備の薩摩・長州を中心とする“官軍”が、人数が多いだけの旧幕府軍(徳川政権)を圧倒した…と私も思っていました。
ところが、そんな単純な話ではなかったようで、旧幕府側が幾つかの失策を重ねて、「勝てる戦いを落とした」という指摘もよく見かけます。
――そんな折、“舞台裏”で奮戦したのが、大村藩。
鳥羽・伏見というのは、京都の中心市街地の南方に位置する場所です。旧幕府軍の拠点は、そこから西の方角に位置する大坂城(大阪)。
そして、両軍がその京都の南で戦っているところを目指して、旧幕府側に味方する軍勢が東から進めば、挟み撃ちが可能になります。
どうやら、大村藩がどこで頑張っていたかというと、その東側の備えで、大津(滋賀県)あたりの守備だったようです。
――“倒幕”に燃える、大村藩士たちの動きは速かった。
渡辺清が率いる手勢は、わずか50人程度だったと言われます。
しかし、ここが大村藩を、精鋭ぞろいの“別藩”と呼んでしまう理由でもあるのですが、少数が大軍に見えるほど、迅速に大津を抑えたようです。
大村の精鋭部隊の“電光石火”の作戦行動に、旧幕府側に付こうとした諸藩にも「相当な数の軍勢が隠れているのでは…」という疑念が生じた様子。
結局、滋賀県以東から、旧幕府側の軍勢が攻めかかってくることは無かったといいます。
こうして薩摩・長州などの“官軍”は、別働隊の渡辺ら大村藩士の活躍により、東と西からの挟み撃ちを免れ、勝利したという考え方もできそうです。
――その「鳥羽・伏見の戦い」での勝利を受けて、東に進む“官軍”。
江戸幕府・最後の将軍だった徳川慶喜は、この戦いの最中に大坂城から脱出して以降、徹底的に戦う意思を見せず「恭順」の姿勢を貫きます。
慶応四年も数か月が進んで初夏も近づき、「江戸開城」の談判がありました。
有名な官軍の西郷隆盛と旧幕府の勝海舟との会見にも、先ほど活躍した大村藩士・渡辺清は立ち会っています。
無血で明け渡される江戸城。官軍による接収となりますが、もちろん、渡辺はここにも同行しました。
――この時期に渡辺は、ある人物の姿を見かけます。
“官軍”の大半が資金と武器にしか興味を示さぬ中、熱心に書類を集め回り、幕府の役人に、次々と質問をする人物がいました。
それが、佐賀から来た異才の人・江藤新平でした。佐賀藩の官軍への参加は遅かったものの、江藤には「関東の調査」という任務が与えられています。
江藤は、幕府(徳川政権)から明治新政府への切り替えのため、立法・行政・司法に関わる資料…そして、それを扱う旧幕府の人材も確保しました。
また、“百万都市”だったと知られる、江戸の都市運営を担ってきた、町奉行所に踏み込みます。
――ここでは、租税や裁判の書類を集めていた江藤。
その江藤の行動を見ていたのが大村藩士・渡辺清。ここでは、官軍の参謀格でもありました。
「町奉行所の役割に気付いて、調べに行ったのは江藤ぐらいだった…」と述懐したそうです。
時代劇で、江戸の町奉行所は、裁判のイメージが強いのですが、警察・消防・民政・租税…とにかく、仕事は多かったようです。
のちに渡辺は、この江藤の動きが、新政府での様々な決まり事を布告(周知)するときに重要な意味があったとしています。
――時代の転換点の“目撃者”となった、渡辺清。
明治期に渡辺清は、福岡県令などの役職を歴任します。江藤の行動を見て、その価値を理解した話から、渡辺の実務能力の高さは推測していました。
その後、「福岡県政の基礎をつくったのは、大村の渡辺清だった」という評論を見かけて、「やっぱり」と納得したところがあります。
3回シリーズの予定でしたが、エピローグとして書きたい話があるので、次回には“別藩”の最終話を書こうと思います。
注)渡辺清の名字は、「渡邉」が正式表記の可能性もあるのですが、本編で登場する時には一般的によく使われる「渡辺」で書こうかと考えています。
Posted by SR at 21:46 | Comments(0) | 企画案・雑記帳
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