2020年04月22日
第8話「黒船来航」⑩
こんばんは。前回の続きです。
――佐賀城下を早馬が駆ける。
パカラッ!パカラッ!
…ものすごい土煙をあげて馬が行く。
ブヒヒーン!
…走り続けた馬。城門を前にして急停止する。
馬から降りた使者。大声で伝える。
「江戸より急の知らせである!!」
佐賀城の門番も大きい声を返す。
「お勤め、ご苦労である!」
――ブヘ…!ボヘヘッ…!馬の鼻息も荒い。
「お前もご苦労さんじゃった…」
様子を伺いにきた役人が、馬の背を撫でる。
「よし、馬もよく休ませてやれ!」
「へいっ!」
…ボヘッ♪

――さて、現在の暦では7月にあたる夏の盛り。旧暦六月、江戸から佐賀への早馬が繰り返される。
第一報は、佐賀藩士・福地が浦賀で見た「黒船来航」。
そして、鍋島直正には、次々と続報が入る。
「黒船は江戸湾内で、空砲を撃ったり、測量を行うなど勝手の振舞い!」
「艦隊の提督に、長崎に回るよう命じるも応じず!」
佐賀藩は長崎防衛のため、沖合の離島(伊王島・神ノ島地区)に砲台を設置している。
ペリーの艦隊が長崎回航に応じれば、佐賀藩が蒸気船と対峙することになる。
――事態の推移によっては、長崎港でペリー艦隊との衝突も想定される。
鍋島直正は、側近たちに指令を出していく。
「池田!ただちに長崎に向かえ!」
「ははっ!」
池田半九郎が長崎に派遣される。藩政改革では、都市計画を担当した。その努力もあってか、佐賀城下は「雨戸を開けて眠れる」ほど治安が良かったと伝わる。
そして、有能さを見込まれた池田には次のミッションが課されていた。今は長崎警備の調整役として、走り回る。
――第一報から10日経過。また「ヒヒーン!」と早馬が到着する。
第二報の展開である。
「公儀(幕府)が久里浜(横須賀)で、“アメリカ国書”を受け取ったとあります!」
直正は、釈然としない表情である。
「ひとまず、艦隊は退散したようじゃな。」
直正は、長崎以外での“国書”の受領に否定的だった。
外国の圧力に押され続ければ、要求がエスカレートしていく可能性が高い。
――しかし、幕府も意外にしたたかにペリーを躱(かわ)していた。
将軍の病気を理由として、ペリーにこう伝える。
「今は返答いたしかねる!1年後に、また来られよ!」
幕府は“国書”の受領には妥協したが「権限のある人物はしゃべらない」作戦を取る。返答の時期以外は、何ら約束をしないままペリーを帰すことには成功した。
――第一報から20日経過。また、佐賀に早馬が駆け込む。
「申し上げます!」
幕府の第12代将軍・徳川家慶の逝去の報であった。
「かような時に、上様まで…」
難しい表情をする、直正。
「もう1つ、大事な御用が…」
家来が語り始める。直正は、次の言葉を待った。
――老中・阿部正弘は“計画”を実行に移していた。ペリー来航後、最初の一手である。
幕府の威信には関わるが、外様大名の佐賀藩に頼ることを決めた、阿部正弘。将軍が世を去った当日、佐賀藩の留守居役を江戸城に呼び出した。
鍋島直正あての依頼はこうだった。
「大砲200門を急ぎ鋳造し、公儀(幕府)に納めてほしい。」

――この幕府の無茶振りは、直正の側近“鍋島夏雲(市佑)”が日記に残している。
「長崎の台場もある。さすがに大砲200門は無理じゃ!」
「はっ。30門でも難しゅうございます。」
直正に応えているのは、鍋島夏雲。現在の佐賀県上峰町に領地を持つ重臣である。
「なれば、もう1つ造るか。」
「まさか…」
――その“まさか”である。当時の日本で唯一、佐賀でだけ稼働している反射炉を、もう1つ築く。
直正は日本で初めて稼働した“築地反射炉”に続き、幕府のために「量産用の反射炉」を築くことを決めた。
「黒船来航」を経て、幕末佐賀藩の“産業革命”は加速していくのである。
(第9話「和親条約」に続く)
――佐賀城下を早馬が駆ける。
パカラッ!パカラッ!
…ものすごい土煙をあげて馬が行く。
ブヒヒーン!
…走り続けた馬。城門を前にして急停止する。
馬から降りた使者。大声で伝える。
「江戸より急の知らせである!!」
佐賀城の門番も大きい声を返す。
「お勤め、ご苦労である!」
――ブヘ…!ボヘヘッ…!馬の鼻息も荒い。
「お前もご苦労さんじゃった…」
様子を伺いにきた役人が、馬の背を撫でる。
「よし、馬もよく休ませてやれ!」
「へいっ!」
…ボヘッ♪

――さて、現在の暦では7月にあたる夏の盛り。旧暦六月、江戸から佐賀への早馬が繰り返される。
第一報は、佐賀藩士・福地が浦賀で見た「黒船来航」。
そして、鍋島直正には、次々と続報が入る。
「黒船は江戸湾内で、空砲を撃ったり、測量を行うなど勝手の振舞い!」
「艦隊の提督に、長崎に回るよう命じるも応じず!」
佐賀藩は長崎防衛のため、沖合の離島(伊王島・神ノ島地区)に砲台を設置している。
ペリーの艦隊が長崎回航に応じれば、佐賀藩が蒸気船と対峙することになる。
――事態の推移によっては、長崎港でペリー艦隊との衝突も想定される。
鍋島直正は、側近たちに指令を出していく。
「池田!ただちに長崎に向かえ!」
「ははっ!」
池田半九郎が長崎に派遣される。藩政改革では、都市計画を担当した。その努力もあってか、佐賀城下は「雨戸を開けて眠れる」ほど治安が良かったと伝わる。
そして、有能さを見込まれた池田には次のミッションが課されていた。今は長崎警備の調整役として、走り回る。
――第一報から10日経過。また「ヒヒーン!」と早馬が到着する。
第二報の展開である。
「公儀(幕府)が久里浜(横須賀)で、“アメリカ国書”を受け取ったとあります!」
直正は、釈然としない表情である。
「ひとまず、艦隊は退散したようじゃな。」
直正は、長崎以外での“国書”の受領に否定的だった。
外国の圧力に押され続ければ、要求がエスカレートしていく可能性が高い。
――しかし、幕府も意外にしたたかにペリーを躱(かわ)していた。
将軍の病気を理由として、ペリーにこう伝える。
「今は返答いたしかねる!1年後に、また来られよ!」
幕府は“国書”の受領には妥協したが「権限のある人物はしゃべらない」作戦を取る。返答の時期以外は、何ら約束をしないままペリーを帰すことには成功した。
――第一報から20日経過。また、佐賀に早馬が駆け込む。
「申し上げます!」
幕府の第12代将軍・徳川家慶の逝去の報であった。
「かような時に、上様まで…」
難しい表情をする、直正。
「もう1つ、大事な御用が…」
家来が語り始める。直正は、次の言葉を待った。
――老中・阿部正弘は“計画”を実行に移していた。ペリー来航後、最初の一手である。
幕府の威信には関わるが、外様大名の佐賀藩に頼ることを決めた、阿部正弘。将軍が世を去った当日、佐賀藩の留守居役を江戸城に呼び出した。
鍋島直正あての依頼はこうだった。
「大砲200門を急ぎ鋳造し、公儀(幕府)に納めてほしい。」

――この幕府の無茶振りは、直正の側近“鍋島夏雲(市佑)”が日記に残している。
「長崎の台場もある。さすがに大砲200門は無理じゃ!」
「はっ。30門でも難しゅうございます。」
直正に応えているのは、鍋島夏雲。現在の佐賀県上峰町に領地を持つ重臣である。
「なれば、もう1つ造るか。」
「まさか…」
――その“まさか”である。当時の日本で唯一、佐賀でだけ稼働している反射炉を、もう1つ築く。
直正は日本で初めて稼働した“築地反射炉”に続き、幕府のために「量産用の反射炉」を築くことを決めた。
「黒船来航」を経て、幕末佐賀藩の“産業革命”は加速していくのである。
(第9話「和親条約」に続く)
Posted by SR at 22:06 | Comments(0) | 第8話「黒船来航」
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