2020年02月19日
第4話「諸国遊学」③
こんばんは。
第4話「諸国遊学」では、幕末佐賀藩の“選手層”の厚さも表現したいと考えています。
――参勤交代で、江戸に到着した鍋島直正。
江戸に着くなり、側近の侍に話をしている。
「永山よ。儂は江戸までは来るのだが、それより北には行けぬ。」
「はっ、殿のご存念は、良くわかります。」
この側近の名は、永山十兵衛という。
かつて直正は、10代の若さで藩主に就任しており、父・斉直に近い重臣たちとの関係に苦労した。そして、不眠症にまで陥ったことがある。
永山は、学究肌の家臣である。呼吸法の研究を行い、直正の心身の回復に貢献した。いわば“メンタルトレーナー”も務めた人物である。
「代わりに見て来い…と言うことでございますね。」
「永山よ、なんと察しの良い。そのとおりだ。」
直正は自分に代わって、永山に東北地方を見聞してもらおうと考えていた。
――こうして、永山十兵衛は東北に旅立った。
もちろん物見遊山に出たのではない。
れっきとした調査であり、詳細な報告書を作成する。
なぜ、東北なのか。まず、日本の北方の沿海には、たびたびロシア船が出没している。かつてロシア船は、長崎にも来航したことがある。
この時点から30年以上前の話だが、当時の佐賀藩は千人規模で警備にあたった。
直正のもと、改革の途上にある佐賀藩はハゼ蝋、陶器などの特産品の開発に熱心だった。販路開拓のための消費地や経路の調査も重要だったのである。
他にも東北の地理や資源…とにかく直正には知りたいことが山ほどあったのだ。
――時期は前後するが、江戸では他藩の大名屋敷に招待されることもあった。
「肥前の…まぁ、楽にいたせ。」
肥前(佐賀藩)35万石の殿様に、この態度である。
お察しいただけると思うが、直正が話している相手は“凄く偉い人”である。
「本日はお招きいただき、ありがとう存じます。」
「まぁ、そう堅くなるな。」
溢れる大物感。
「そうじゃ、戦国の世から鍋島の者は武芸に優れると聞く。」
「水戸様に、披露できるほどの腕前はございませぬ。」
――話の相手は“水戸”であった。徳川御三家である。
さしもの直正も緊張していることであろう。
「我が家にも駿馬がおってな…試しに乗っては見ぬか。」
「お恥ずかしいことではございますが、太平の世に慣れきっており、馬は不得手でございまして。」
「ほう…馬は得意ではないか。はっきり申すのだな。」
――水戸藩の徳川斉昭。大物であると同時に曲者である感が、半端ではない。
あの“一橋慶喜”の父といえば、わかる人も多いだろう。
老中・水野忠邦らの“天保の改革”にも、水戸の徳川斉昭は強い影響力を与えていた。
「では、肥前どの。昨今は何かご執心のものはござるかな。」
…今度は、興味のあるものを尋ねる。まるで“面接”だ。
鍋島直正、いかほどの人物かと“値踏み”をされている印象である。
「そうですな、蝦夷地(えぞち)の空でも見てみたいと思うております。」
「蝦夷地だと!」

ここで蝦夷地(北海道)への想いを、さらりと口にする直正。
東北、さらには北海道まで。直正には“日本”の姿が見えていたのである。
――直正が屋敷を出てから、徳川斉昭が側近に伝える。
「“田舎大名”と思うてはならん。肥前には、目配りを怠るなよ…。」
徳川斉昭の直正に対する“値踏み”には、相当な高値が付いたようであった。
(続く)
第4話「諸国遊学」では、幕末佐賀藩の“選手層”の厚さも表現したいと考えています。
――参勤交代で、江戸に到着した鍋島直正。
江戸に着くなり、側近の侍に話をしている。
「永山よ。儂は江戸までは来るのだが、それより北には行けぬ。」
「はっ、殿のご存念は、良くわかります。」
この側近の名は、永山十兵衛という。
かつて直正は、10代の若さで藩主に就任しており、父・斉直に近い重臣たちとの関係に苦労した。そして、不眠症にまで陥ったことがある。
永山は、学究肌の家臣である。呼吸法の研究を行い、直正の心身の回復に貢献した。いわば“メンタルトレーナー”も務めた人物である。
「代わりに見て来い…と言うことでございますね。」
「永山よ、なんと察しの良い。そのとおりだ。」
直正は自分に代わって、永山に東北地方を見聞してもらおうと考えていた。
――こうして、永山十兵衛は東北に旅立った。
もちろん物見遊山に出たのではない。
れっきとした調査であり、詳細な報告書を作成する。
なぜ、東北なのか。まず、日本の北方の沿海には、たびたびロシア船が出没している。かつてロシア船は、長崎にも来航したことがある。
この時点から30年以上前の話だが、当時の佐賀藩は千人規模で警備にあたった。
直正のもと、改革の途上にある佐賀藩はハゼ蝋、陶器などの特産品の開発に熱心だった。販路開拓のための消費地や経路の調査も重要だったのである。
他にも東北の地理や資源…とにかく直正には知りたいことが山ほどあったのだ。
――時期は前後するが、江戸では他藩の大名屋敷に招待されることもあった。
「肥前の…まぁ、楽にいたせ。」
肥前(佐賀藩)35万石の殿様に、この態度である。
お察しいただけると思うが、直正が話している相手は“凄く偉い人”である。
「本日はお招きいただき、ありがとう存じます。」
「まぁ、そう堅くなるな。」
溢れる大物感。
「そうじゃ、戦国の世から鍋島の者は武芸に優れると聞く。」
「水戸様に、披露できるほどの腕前はございませぬ。」
――話の相手は“水戸”であった。徳川御三家である。
さしもの直正も緊張していることであろう。
「我が家にも駿馬がおってな…試しに乗っては見ぬか。」
「お恥ずかしいことではございますが、太平の世に慣れきっており、馬は不得手でございまして。」
「ほう…馬は得意ではないか。はっきり申すのだな。」
――水戸藩の徳川斉昭。大物であると同時に曲者である感が、半端ではない。
あの“一橋慶喜”の父といえば、わかる人も多いだろう。
老中・水野忠邦らの“天保の改革”にも、水戸の徳川斉昭は強い影響力を与えていた。
「では、肥前どの。昨今は何かご執心のものはござるかな。」
…今度は、興味のあるものを尋ねる。まるで“面接”だ。
鍋島直正、いかほどの人物かと“値踏み”をされている印象である。
「そうですな、蝦夷地(えぞち)の空でも見てみたいと思うております。」
「蝦夷地だと!」
ここで蝦夷地(北海道)への想いを、さらりと口にする直正。
東北、さらには北海道まで。直正には“日本”の姿が見えていたのである。
――直正が屋敷を出てから、徳川斉昭が側近に伝える。
「“田舎大名”と思うてはならん。肥前には、目配りを怠るなよ…。」
徳川斉昭の直正に対する“値踏み”には、相当な高値が付いたようであった。
(続く)
Posted by SR at 21:48 | Comments(0) | 第4話「諸国遊学」
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