2024年05月06日
第20話「長崎方控」⑦(海を渡る、鷹の夢)
こんばんは。“本編”を続けます。文久二年(1862年)からの鍋島直正(閑叟)の東上。当時の体調不良はかなりのもので、無理をおして旅をしたようです。
朝廷、幕府、諸大名…そして、地元の若者たちだけでなく、各地の志士からも注目をされる佐賀の前藩主・直正ですが、思うように動けてはいません。
旧暦の十二月には、どうにか参内して、時の天皇に挨拶を行ったものの、疲れが見える様子です。

その直正の心の支えであっただろう“兄貴分”・鍋島茂義は14歳ばかり年上、前の武雄領主でした。
幕末期、佐賀藩が「近代化のトップランナー」となれたのは、この鍋島茂義が先行して、西洋の文物を取り入れた影響が大きかったとも言われます。
――粉雪の舞う十二月、京の都・黒谷。
御所に参じて、孝明天皇に拝謁し、天杯を授けられる待遇を受けた、佐賀の大殿・鍋島直正(閑叟)。
〔参照:第19話「閑叟上洛」㉔(御所へと参じる日)〕
「閑叟さま、お疲れでしょう。少しお休みください。」
朝廷に招かれるなど稀(まれ)なことだ。側近・古川与一(松根)が労りの言葉をかける。
「おお、松根。すまんな。そのように、いたそう。」
体調も良くない直正だが、御所に出向くのはひと苦労の様子だ。
「座敷は、暖かくしておきましたゆえ。」
「それは、ありがたいのう…」
ほどなく、直正はうとうととして、いささか眠くなってきたようだ。

――歳月を経て、衰えた身体。もはや、自在とは言えぬ…
幼い頃は、その身から溢れんばかりの“元気”があり、その目から見えるものにも“力”があった。
ところで、鍋島直正の幼名は貞丸といった。有力大名・鍋島家の嫡男なので、江戸からは出られず、江戸育ちの“都会っ子”だった。
そして、“家庭教師”を務めていたのは、佐賀藩の儒学者・古賀穀堂。
「若君は利発じゃ。これは…学べば学ぶほど伸びられるぞっ!」と、古賀先生が喜んだ顔を見せるので、幼少の直正(貞丸)も、いっそう頑張った。
〔参照(後半):第1話「長崎警護」⑦〕

「…穀堂の期待にこたえるのも、楽ではないのう…」
現代で言えば、まだ小学校低学年か、幼い貞丸は、ぽつりとつぶやいた。
「若君、まだまだ“お若い”のにお疲れか。」
ちょっと、くだけた感じの物言いで、声をかけてきた少年がいた。
こちらも佐賀藩の重臣となるべく、見聞を広めることを期待されてか、江戸にもよく来ている、武雄領主の息子・十左衞門だった。
――幼い若君・貞丸の表情が、パッと明るくなった。
「十左(じゅうざ)ではないか!江戸に来ておったのか。」
「あぁ、おいは江戸より、長崎の方が良かけどもな。」
「なにゆえ、長崎が良いのか。」
「若はまだ幼いゆえ、わかるかのう。長崎には、海の向こうの物が来る。」
「阿蘭陀(オランダ)渡りの品かの。」
「…!若君、よぅ知っとるな。よか事ぞ。」
今度は、十左衞門少年が嬉しそうな表情を見せた。

この十左衞門が、のちに“蘭癖”と呼ばれ、佐賀藩が西洋の技術を取り入れることを先導する、武雄領主・鍋島茂義となる。
〔参照:第2話「算盤大名」②-2〕
――「あっ、」という感じで、貞丸が何かに気付いた。
「そうじゃ、十左。余(よ)に、鷹の絵を描いてほしい。」
「たか…?空を飛ぶ、鷹か。ご所望ならば、そのうち描くとしよう。」
十左衞門は西洋好きなだけではなく、絵画も学ぶなど、なかなか多才なのだ。
そんな、お願いをしながら、貞丸は、十左衞門をじっと見つめた。
「…いま描いてほしい、と言いよるか?」
貞丸は、「うん」と大きくうなずいた。
「んにゃ…、これから学問の時間なのだが。」
豪放でさばさばとした十左衞門だが、予定もあるので、少し面食らっている。だが、純真な子ども、しかも若君のお願いである。むげにはできない。

「よか。しばし待たれよ!」
十左衞門、鷹の絵を描くつもりのようだ。
――筆と硯(すずり)を手元にそろえて、
「よいか、刻が無いゆえ、此度は、即興になるぞ。」
ぐっと、紙を見つめる十左衞門。後年の茂義が、西洋の文物を見る時と同じ、前のめりな集中力がある。
「いざ、」
ザッと紙に筆を押さえつけた、十左衞門。さらさらと、鳥の輪郭を描き出す。
「おおっ…」
貞丸も食い入るように、墨を走らせる十左衞門の筆先を見つめる。

鳥の輪郭は、やがて鷹の姿を現した。風を切り、雲を背に舞っていく。
「…!」
その鷹を描き出しているはずの十左衞門。先ほどまで筆先を見ていたはずの、貞丸の視線の変化に気付く。
「上を見とらす…」
――若君・貞丸は大空を見上げていた。
「十左、見事じゃ。天晴(あっぱ)れな鷹の姿よ。」
紙と空に交互に視線を送りながら、十左衞門は唖然としていた。
「…これは、まるで絵から抜け出たごた…」
「鷹は、海も越えて飛ぶと聞くぞ。」
貞丸が満面の笑みを見せた。

「いずれは余も、行ってみたい。海の向こうへ。」
「若君、それはわしもだ。海ば渡ってみたい。」
十左衞門、若き茂義は思った。
「この若君なら大丈夫だ。行けるぞ、佐賀が日本を引っ張る日も必ず来る」と。
――そして、この若君、貞丸が殿様になる時まで、
まずは自分が頑張らねば…と強く感じた。
「十左、いかがしたのだ…?」
「若、また、鷹の絵は描きますぞ。」
「そうじゃな。楽しみにしておる。」
貞丸は、嬉しそうに答えを返した。
「そして、わしは今から勉学に、励んで参りますぞ。」
えらく気合いが入っている、十左衞門。
「若君も、励みなされ。」
「…励むぞ。がんばる。」
未来への希望を得たか、異様な迫力をまとった十左衞門(茂義)。貞丸(直正)には、その時の茂義の決意までは感じとれていなかった。
――だが、とても大きく見えた、茂義の背中を見送った。
「…おお、いかんいかん。すっかり寝入ってしまった。」
ここで、直正は夢から覚めた。かつて貞丸と呼ばれていた頃から、既に40年ばかりの歳月が流れている。
残念ながら、いまの直正(閑叟)に、往時の元気な若君の面影は乏しい。

…と、その時。粉雪に冷え込む廊下に、けたたましい足音がした。
「お休み中、失礼を。申し上げたき事が。」
「構わぬ。申せ。」
「…武雄のご隠居さまが、身罷(みまか)られました。」
その一報に接して、直正の心の中にあった“兄貴分”・茂義の背中が、ふっと見えなくなる。
大きな存在で隠れていた断崖が、急に眼前に現われたような感覚が生じた。
(続く)
朝廷、幕府、諸大名…そして、地元の若者たちだけでなく、各地の志士からも注目をされる佐賀の前藩主・直正ですが、思うように動けてはいません。
旧暦の十二月には、どうにか参内して、時の天皇に挨拶を行ったものの、疲れが見える様子です。
その直正の心の支えであっただろう“兄貴分”・鍋島茂義は14歳ばかり年上、前の武雄領主でした。
幕末期、佐賀藩が「近代化のトップランナー」となれたのは、この鍋島茂義が先行して、西洋の文物を取り入れた影響が大きかったとも言われます。
――粉雪の舞う十二月、京の都・黒谷。
御所に参じて、孝明天皇に拝謁し、天杯を授けられる待遇を受けた、佐賀の大殿・鍋島直正(閑叟)。
〔参照:
「閑叟さま、お疲れでしょう。少しお休みください。」
朝廷に招かれるなど稀(まれ)なことだ。側近・古川与一(松根)が労りの言葉をかける。
「おお、松根。すまんな。そのように、いたそう。」
体調も良くない直正だが、御所に出向くのはひと苦労の様子だ。
「座敷は、暖かくしておきましたゆえ。」
「それは、ありがたいのう…」
ほどなく、直正はうとうととして、いささか眠くなってきたようだ。

――歳月を経て、衰えた身体。もはや、自在とは言えぬ…
幼い頃は、その身から溢れんばかりの“元気”があり、その目から見えるものにも“力”があった。
ところで、鍋島直正の幼名は貞丸といった。有力大名・鍋島家の嫡男なので、江戸からは出られず、江戸育ちの“都会っ子”だった。
そして、“家庭教師”を務めていたのは、佐賀藩の儒学者・古賀穀堂。
「若君は利発じゃ。これは…学べば学ぶほど伸びられるぞっ!」と、古賀先生が喜んだ顔を見せるので、幼少の直正(貞丸)も、いっそう頑張った。
〔参照(後半):

「…穀堂の期待にこたえるのも、楽ではないのう…」
現代で言えば、まだ小学校低学年か、幼い貞丸は、ぽつりとつぶやいた。
「若君、まだまだ“お若い”のにお疲れか。」
ちょっと、くだけた感じの物言いで、声をかけてきた少年がいた。
こちらも佐賀藩の重臣となるべく、見聞を広めることを期待されてか、江戸にもよく来ている、武雄領主の息子・十左衞門だった。
――幼い若君・貞丸の表情が、パッと明るくなった。
「十左(じゅうざ)ではないか!江戸に来ておったのか。」
「あぁ、おいは江戸より、長崎の方が良かけどもな。」
「なにゆえ、長崎が良いのか。」
「若はまだ幼いゆえ、わかるかのう。長崎には、海の向こうの物が来る。」
「阿蘭陀(オランダ)渡りの品かの。」
「…!若君、よぅ知っとるな。よか事ぞ。」
今度は、十左衞門少年が嬉しそうな表情を見せた。
この十左衞門が、のちに“蘭癖”と呼ばれ、佐賀藩が西洋の技術を取り入れることを先導する、武雄領主・鍋島茂義となる。
〔参照:
――「あっ、」という感じで、貞丸が何かに気付いた。
「そうじゃ、十左。余(よ)に、鷹の絵を描いてほしい。」
「たか…?空を飛ぶ、鷹か。ご所望ならば、そのうち描くとしよう。」
十左衞門は西洋好きなだけではなく、絵画も学ぶなど、なかなか多才なのだ。
そんな、お願いをしながら、貞丸は、十左衞門をじっと見つめた。
「…いま描いてほしい、と言いよるか?」
貞丸は、「うん」と大きくうなずいた。
「んにゃ…、これから学問の時間なのだが。」
豪放でさばさばとした十左衞門だが、予定もあるので、少し面食らっている。だが、純真な子ども、しかも若君のお願いである。むげにはできない。

「よか。しばし待たれよ!」
十左衞門、鷹の絵を描くつもりのようだ。
――筆と硯(すずり)を手元にそろえて、
「よいか、刻が無いゆえ、此度は、即興になるぞ。」
ぐっと、紙を見つめる十左衞門。後年の茂義が、西洋の文物を見る時と同じ、前のめりな集中力がある。
「いざ、」
ザッと紙に筆を押さえつけた、十左衞門。さらさらと、鳥の輪郭を描き出す。
「おおっ…」
貞丸も食い入るように、墨を走らせる十左衞門の筆先を見つめる。
鳥の輪郭は、やがて鷹の姿を現した。風を切り、雲を背に舞っていく。
「…!」
その鷹を描き出しているはずの十左衞門。先ほどまで筆先を見ていたはずの、貞丸の視線の変化に気付く。
「上を見とらす…」
――若君・貞丸は大空を見上げていた。
「十左、見事じゃ。天晴(あっぱ)れな鷹の姿よ。」
紙と空に交互に視線を送りながら、十左衞門は唖然としていた。
「…これは、まるで絵から抜け出たごた…」
「鷹は、海も越えて飛ぶと聞くぞ。」
貞丸が満面の笑みを見せた。
「いずれは余も、行ってみたい。海の向こうへ。」
「若君、それはわしもだ。海ば渡ってみたい。」
十左衞門、若き茂義は思った。
「この若君なら大丈夫だ。行けるぞ、佐賀が日本を引っ張る日も必ず来る」と。
――そして、この若君、貞丸が殿様になる時まで、
まずは自分が頑張らねば…と強く感じた。
「十左、いかがしたのだ…?」
「若、また、鷹の絵は描きますぞ。」
「そうじゃな。楽しみにしておる。」
貞丸は、嬉しそうに答えを返した。
「そして、わしは今から勉学に、励んで参りますぞ。」
えらく気合いが入っている、十左衞門。
「若君も、励みなされ。」
「…励むぞ。がんばる。」
未来への希望を得たか、異様な迫力をまとった十左衞門(茂義)。貞丸(直正)には、その時の茂義の決意までは感じとれていなかった。
――だが、とても大きく見えた、茂義の背中を見送った。
「…おお、いかんいかん。すっかり寝入ってしまった。」
ここで、直正は夢から覚めた。かつて貞丸と呼ばれていた頃から、既に40年ばかりの歳月が流れている。
残念ながら、いまの直正(閑叟)に、往時の元気な若君の面影は乏しい。

…と、その時。粉雪に冷え込む廊下に、けたたましい足音がした。
「お休み中、失礼を。申し上げたき事が。」
「構わぬ。申せ。」
「…武雄のご隠居さまが、身罷(みまか)られました。」
その一報に接して、直正の心の中にあった“兄貴分”・茂義の背中が、ふっと見えなくなる。
大きな存在で隠れていた断崖が、急に眼前に現われたような感覚が生じた。
(続く)