2024年04月29日
第20話「長崎方控」⑥(“理”の通った、帰藩者)
こんばんは。
文久二年(1862年)冬、十二月の設定です。佐賀の大殿・鍋島直正(閑叟)は京に着くなり、朝廷からの呼びかけに応じて御所に参じました。
この文久二年からの鍋島直正の東上、全体の行程から見ると、江戸への行き帰りの途中で、京都に立ち寄った形になっています。

そして、京に向かった直正(閑叟)の旅路を、皆が気にしている状況です。
しかし、今回の面々は、前回までの大隈八太郎(重信)や山口範蔵(尚芳)とは、少し違った感覚で、大殿の旅路を見つめています。
――佐賀城下。謹慎中となっている江藤新平の屋敷。
2人ほどの仲間うちが、家まで来ている様子だ。
「…謹慎とはいうが、のんびりしたもんだな。」
大木民平(喬任)が、言葉のとおり、あくびでも出そうに語った。
「そがんですね。我らが出入りしても、藩庁の見張りもおりませんし。」
もう1人、坂井辰之允という佐賀藩士も来ている。
「家からは出らんゆえ、特に咎(とが)められてもおらん。」
江藤が、言葉を返す。
さすがに外出は差し控えているようだが、重罪のはずの“脱藩者”の扱いとしては、かなり緩い。

――そして、江藤の処分は、いつ決まるのかもわからない。
大木が拍子抜けするほど、穏やかな日々が続いているのだ。
「ばってん、江藤。こいは、閑叟さまが戻るまでの事かもしれんぞ。」
「そうですよ。原田さまは、手ぐすね引いておられるごたです。」
佐賀藩の保守派で、執政格の実力者・原田小四郎が、通例どおり「脱藩者には、死罪」が相当と主張し続けている。
しかし、江藤の処分が決まる前に、大殿が京へと出立してしまったので、その結論は棚上げとなったようだ。
「原田さまの言いよる事も、先例からは理が通る。」
江藤が答えを返す。神経を尖らせた脱藩の前と違い、かなり落ち着いている。

「おい、江藤よ。お前が原田さまの味方をして、どがん(どう)する。」
ここで大木が、毒づいた。
自身の処刑を主張されているのに、藩の職務に忠実な保守派・原田小四郎について、江藤は意外と悪い印象を持っていないようだ。
――大木が、ふくれっ面をして言葉を継ぐ。
「それじゃ、俺が困るとぞ。中野に続いて、江藤まで失うわけにはいかん。」
大木と江藤が特に懇意にした、中野方蔵は“坂下門外の変”への関与を疑われ、落命している。
「それはそうだな…得心した。」
亡き友・中野の名を聞いて、ここは、江藤も真剣な表情に戻った。

――江藤とて、佐賀藩のために京に出て調べを行ったのだ。
たしかに脱藩はしたが、それだけの情報は持ち帰った。報告書は「京都見聞」としてまとめ、藩庁からの問合せにも、懇切丁寧に回答している。
「…鹿島の殿様は、味方をしてくれるかもしれんです。」
坂井が、何だか希望の見えそうなことを言った。
「鹿島の直彬公か。たしかに、学のある方と聞くぞ。」
大木は、その話を聞いて、少し表情をゆるめた。
佐賀の支藩の1つである鹿島藩主・鍋島直彬。勉強熱心な人物らしく、江藤の報告書のことを知ったのかもしれない。
もし江藤の助命を後押ししてくれれば、裁定の結果にも良い影響が出そうだ。

――だが、江藤は自身の助命より、気にする事がある様子。
「どがんした。お前の話をしとるんだが。さっきから、何ば考えよるか。」
大木は、少し不服そうだ。
江藤には服装からして、自分のことに頓着しないところがある。それが、時々危うさを感じさせるのだ。
次いで、坂井の方が問いかけた。
「江藤さん。京の都が気になるとですか。」
「然(しか)り。閑叟さまのことだ。道ば誤らぬか、憂慮しておる。」
「佐賀の大殿が…道ば、誤ると?」

「京で、“攘夷”を唱える者は、暴論の徒ばかりだった。」
江藤は脱藩から戻った際に、京の都で見聞きした、公家や諸藩の人物評を、大殿・直正に届くように書き送っている。
――欧米列強の実力を知る、佐賀藩だからこそ、
西洋の力量も知らず、考え無しに「攘夷だ!異国打払いだ!」と、叫ぶ者たちに巻き込まれてはまずい。彼らは異人とみれば斬りかかる勢いだ。
京に居た時に、江藤から朝廷への意見書を出したが、まず手順を考えることが大事で、「まず、幕府から外交権を取れ」と記した。
洋学と実務に長じた佐賀藩が関わる必要も、この辺りにある。江藤の策は、「順次、王政復古を行う」と続く。

ところが、いまの朝廷では、幕府に代わって政権を担う人材を求めるのに無理がある。江藤も、その才能を知る者たちから、随分と京に引き留められた。
――京では、大殿・鍋島直正が御所に参じることになるだろう。
江藤は、大隈たちとは違って、今回の上洛に成果を期待しないようだ。
「馬鹿な“巻き添え”ば食らうぐらいなら、参内のみで良いやもしれん。」
「いまの都では、何もわかっとらん者たちが力を持っとる…ということか。」
大木にも、実際に京都を見た江藤が、逆に慎重になった理由がわかってきた。
――簡単に“攘夷”というが、勢いだけでできることではない。
もし、本気で異国を退けるならば、列強に匹敵する国力が必要だ。
「京の都には、大殿をお導きできる者が、誰もおらんばい。」

万一、佐賀藩に直接、異国打払いの命令など出ては、長崎の台場で外国船を砲撃せねばならず、無益で危険な戦いに巻き込まれてしまう。
「此度は、おかしな事にならねば、それでよか。」
江藤は、脱藩前と随分と変わって、達観した感じとなってしまった。
「ばってん…江藤よ、そいでよかとか!」
金策に苦労して脱藩者・江藤を送り出した、大木としては、この状況には、いまいち不満が残るようだ。
(続く)
◎参考記事〔本編〕
○江藤たちの親友・中野方蔵の最期(第17話)
・第17話「佐賀脱藩」⑰(救おうとする者たち)
・第17話「佐賀脱藩」⑱(青葉茂れる頃に)
○朝廷への意見書、佐賀藩への報告書(第18話)
・第18話「京都見聞」⑳(公卿の評判)
・第18話「京都見聞」⑯(“故郷”を守る者たち)
○江藤を京都に引き留めたかった人々(第19話)
・第19話「閑叟上洛」⑧(“逃げるが勝ち”とも申すのに)
・第19話「閑叟上洛」⑫(新しき御代〔みよ〕に)
文久二年(1862年)冬、十二月の設定です。佐賀の大殿・鍋島直正(閑叟)は京に着くなり、朝廷からの呼びかけに応じて御所に参じました。
この文久二年からの鍋島直正の東上、全体の行程から見ると、江戸への行き帰りの途中で、京都に立ち寄った形になっています。
そして、京に向かった直正(閑叟)の旅路を、皆が気にしている状況です。
しかし、今回の面々は、前回までの大隈八太郎(重信)や山口範蔵(尚芳)とは、少し違った感覚で、大殿の旅路を見つめています。
――佐賀城下。謹慎中となっている江藤新平の屋敷。
2人ほどの仲間うちが、家まで来ている様子だ。
「…謹慎とはいうが、のんびりしたもんだな。」
大木民平(喬任)が、言葉のとおり、あくびでも出そうに語った。
「そがんですね。我らが出入りしても、藩庁の見張りもおりませんし。」
もう1人、坂井辰之允という佐賀藩士も来ている。
「家からは出らんゆえ、特に咎(とが)められてもおらん。」
江藤が、言葉を返す。
さすがに外出は差し控えているようだが、重罪のはずの“脱藩者”の扱いとしては、かなり緩い。

――そして、江藤の処分は、いつ決まるのかもわからない。
大木が拍子抜けするほど、穏やかな日々が続いているのだ。
「ばってん、江藤。こいは、閑叟さまが戻るまでの事かもしれんぞ。」
「そうですよ。原田さまは、手ぐすね引いておられるごたです。」
佐賀藩の保守派で、執政格の実力者・原田小四郎が、通例どおり「脱藩者には、死罪」が相当と主張し続けている。
しかし、江藤の処分が決まる前に、大殿が京へと出立してしまったので、その結論は棚上げとなったようだ。
「原田さまの言いよる事も、先例からは理が通る。」
江藤が答えを返す。神経を尖らせた脱藩の前と違い、かなり落ち着いている。
「おい、江藤よ。お前が原田さまの味方をして、どがん(どう)する。」
ここで大木が、毒づいた。
自身の処刑を主張されているのに、藩の職務に忠実な保守派・原田小四郎について、江藤は意外と悪い印象を持っていないようだ。
――大木が、ふくれっ面をして言葉を継ぐ。
「それじゃ、俺が困るとぞ。中野に続いて、江藤まで失うわけにはいかん。」
大木と江藤が特に懇意にした、中野方蔵は“坂下門外の変”への関与を疑われ、落命している。
「それはそうだな…得心した。」
亡き友・中野の名を聞いて、ここは、江藤も真剣な表情に戻った。
――江藤とて、佐賀藩のために京に出て調べを行ったのだ。
たしかに脱藩はしたが、それだけの情報は持ち帰った。報告書は「京都見聞」としてまとめ、藩庁からの問合せにも、懇切丁寧に回答している。
「…鹿島の殿様は、味方をしてくれるかもしれんです。」
坂井が、何だか希望の見えそうなことを言った。
「鹿島の直彬公か。たしかに、学のある方と聞くぞ。」
大木は、その話を聞いて、少し表情をゆるめた。
佐賀の支藩の1つである鹿島藩主・鍋島直彬。勉強熱心な人物らしく、江藤の報告書のことを知ったのかもしれない。
もし江藤の助命を後押ししてくれれば、裁定の結果にも良い影響が出そうだ。

――だが、江藤は自身の助命より、気にする事がある様子。
「どがんした。お前の話をしとるんだが。さっきから、何ば考えよるか。」
大木は、少し不服そうだ。
江藤には服装からして、自分のことに頓着しないところがある。それが、時々危うさを感じさせるのだ。
次いで、坂井の方が問いかけた。
「江藤さん。京の都が気になるとですか。」
「然(しか)り。閑叟さまのことだ。道ば誤らぬか、憂慮しておる。」
「佐賀の大殿が…道ば、誤ると?」
「京で、“攘夷”を唱える者は、暴論の徒ばかりだった。」
江藤は脱藩から戻った際に、京の都で見聞きした、公家や諸藩の人物評を、大殿・直正に届くように書き送っている。
――欧米列強の実力を知る、佐賀藩だからこそ、
西洋の力量も知らず、考え無しに「攘夷だ!異国打払いだ!」と、叫ぶ者たちに巻き込まれてはまずい。彼らは異人とみれば斬りかかる勢いだ。
京に居た時に、江藤から朝廷への意見書を出したが、まず手順を考えることが大事で、「まず、幕府から外交権を取れ」と記した。
洋学と実務に長じた佐賀藩が関わる必要も、この辺りにある。江藤の策は、「順次、王政復古を行う」と続く。
ところが、いまの朝廷では、幕府に代わって政権を担う人材を求めるのに無理がある。江藤も、その才能を知る者たちから、随分と京に引き留められた。
――京では、大殿・鍋島直正が御所に参じることになるだろう。
江藤は、大隈たちとは違って、今回の上洛に成果を期待しないようだ。
「馬鹿な“巻き添え”ば食らうぐらいなら、参内のみで良いやもしれん。」
「いまの都では、何もわかっとらん者たちが力を持っとる…ということか。」
大木にも、実際に京都を見た江藤が、逆に慎重になった理由がわかってきた。
――簡単に“攘夷”というが、勢いだけでできることではない。
もし、本気で異国を退けるならば、列強に匹敵する国力が必要だ。
「京の都には、大殿をお導きできる者が、誰もおらんばい。」
万一、佐賀藩に直接、異国打払いの命令など出ては、長崎の台場で外国船を砲撃せねばならず、無益で危険な戦いに巻き込まれてしまう。
「此度は、おかしな事にならねば、それでよか。」
江藤は、脱藩前と随分と変わって、達観した感じとなってしまった。
「ばってん…江藤よ、そいでよかとか!」
金策に苦労して脱藩者・江藤を送り出した、大木としては、この状況には、いまいち不満が残るようだ。
(続く)
◎参考記事〔本編〕
○江藤たちの親友・中野方蔵の最期(第17話)
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○朝廷への意見書、佐賀藩への報告書(第18話)
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○江藤を京都に引き留めたかった人々(第19話)
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