2022年11月27日

第18話「京都見聞」⑬(ある佐賀の峠にて)

こんばんは。久しぶりに書き始めた“本編”。
舞台は、1862年(文久二年)のです。

前回は、佐賀を脱藩した江藤新平が、京都長州藩邸で、桂小五郎と話している場面でした。
〔参照:第18話「京都見聞」⑫(江藤、“長州”と出会う)



物語として、この前後の時期に京都に居たもう1人脱藩者・“祇園太郎”が、江藤協力者だったという設定で展開しています。
〔参照:第18話「京都見聞」⑩(小城の風が、都に吹いた)

佐賀藩で、勤王のはたらきを志す者たちが集った「義祭同盟」。“南北朝”期、朝廷に尽くした忠臣楠木正成正行親子を讃える集いから発した結社。

その結社と関わる、尊王の志厚い2人佐賀にあるの番所で出会います。2人とも、佐賀に多い名字の“古賀さん”ですが、1人は“変名”で通します。


――佐賀の藩境の1つが、三瀬街道にある。

二重鎖国”と語られ、藩外からの出入りには厳しい佐賀藩江藤たちが集う義祭同盟の仲間・古賀一平(定雄)は、ここの番所を担当していた。

今日も番所の門番が、棒をかざして通行人を問いただす。
「いま一度、お主の名を言わんね。」
「“祇園太郎”と申します。これより長崎に向かうところです。」

「そいは、偽りの名ではなかか。」



――門番の反応どおり、明らかに疑わしい名である。

この“祇園太郎”は、よそ者のふりをしているが、もとは佐賀藩内(小城支藩)から出た脱藩者だ。

佐賀では脱藩重罪なので、もちろん本名は名乗れない。国元に戻ってくるのも危険なはずなのだが、この人物の動きには不可解な点が多い。

番所の門番は、少し上役と思われる仲間に声をかけた。
古賀さん、怪しい奴がおる。」

「なんね。おいが代わろう。」
呼ばれて現れたふうなのは、古賀一平という人物。実は、江藤新平脱藩手助けした1人だ。

「いま、“祇園太郎”と名乗ったか?」
「お役人、古賀さまとおっしゃるか。」



――双方で探りを入れている、古賀一平と“祇園太郎”。

で活動する江藤新平とは双方知り合いなのだが、目の前の相手情報を伝えるべき者なのかの確証がない。

小城支藩で尊王の志を持つ者には、佐賀本藩の「義祭同盟」と交流もあったようだ。謎の通行者と番所の役人、小声で“合い言葉”を交わす様子が見える。

「…“清水”と言えば、何ね!」
ばい。」
「…そん“清水の滝”、何処に在りや!」
小城にあるとよ。」

「やはり…小城の“祇園太郎”か。」
古賀一平は納得したらしく、身元を探る質問をやめ、何かの書状を受け取る。


――脱藩者の方も、急に“佐賀ことば”に戻っている。

「では、上方(京・大坂)の様子を教えんね。」
古賀一平が気にするのは、江藤新平での行動。これも“祇園太郎”ならば、知っているに違いない。

こちらの聞きたいことにも、よどみなく答えられるはずだ。

江藤さんは…貴きお人を訪ねよるばい。」
祇園太郎”によれば、佐賀を脱藩した江藤は、長州藩桂小五郎の伝手(つて)で、京都公家との接触に成功したようだ。

「そいで、よか。」
表情には、軽く笑みが見える古賀一平。これでこそ夜明け前に、江藤に峠の抜け道を手配した甲斐があったというものだ。



――京の政局に関わることに慎重な佐賀藩。

いよいよたい…」
古賀一平は誰に聞かせるでもなく、江藤への期待をつぶやいた。

時代は江戸幕府から、朝廷を軸として回り始めている。諸大名もそのように変化を感じているはずだ。

江戸で諸藩の志士と連絡をとっていた、中野方蔵を欠いた今、佐賀の志士で突破口を開けそうなのは、江藤をおいて他には見当たらない。
〔参照(後半):第17話「佐賀脱藩」③(江戸からの便り)

勤王の志を秘めつつも、淡々と三瀬峠番人を務める日常を過ごす、古賀にとって、祇園太郎が持ってきた知らせは、心を躍らせるものだった。


――三瀬の番所から、佐賀藩側に進んでいく“祇園太郎”。

古賀さん、大丈夫なのか。あん男、あやしかぞ。」
心配のなか…あれは、佐賀のために働く者たい。」

江藤より四年ほど前。1858年(安政五年)頃から上方の様子を調べていた、もう1人の脱藩者・“祇園太郎”。

尊王攘夷志士だったとされるが、その行動には謎が多く、佐賀藩に情報を流している形跡がある。



まるで“密偵”だったような祇園太郎だが、佐賀の関係者では数少ない、幕末京都志士として行動した人物。

その活動も、これからの時代の渦の中で、ある“政変”の影響を受けることになるが、それはしばらく後の話になる。


(続く)



  


Posted by SR at 21:59 | Comments(0) | 第18話「京都見聞」