2022年03月25日

「彼岸〔ひがん〕であったゆえ…?」

こんばんは。
今週初めにあった、春分の日。“お彼岸”としてお墓参りに行った方も多かったかもしれません。

この日のテレビの放送で、私は佐賀の“先輩”の姿を見かけます。同郷というだけの縁ですので「彼岸であったゆえ…」なのかは定かではありません。

ところで、木曜深夜に再放送の予定があったようですが、番組が変更になった様子。「いつ来るともわからぬ、再放送に備えよ…」と、つぶやいてみます。


――祝日だった月曜の夜。

NHK総合テレビでは、著名人の先祖を探る「ファミリーヒストリー」が放送中。

狂言師・野村萬斎さんの家族について、江戸期からの経過が語られる。やはり父方は、次第に芸の探求へと進んでいく家系だ。

番組内容に興味はあったものの色々と忙しく、他事をこなしながら時折に様子を見る程度で視聴していた。


――そして番組は、概ね後半へと進んでいく。

どちらかと言えば、古典芸能としての狂言とは直接関係しないので、おそらくは視聴者からイメージがしづらい、母方家系に話が展開する。

野村萬斎さんの母方曾祖父・阪本釤之助(さんのすけ)は、福井・鹿児島・名古屋など各地の行政で手腕を振るったという。

そこで紹介されたのは、さらに一代遡り、萬斎さんから見て、高祖父にあたる阪本政均(さかもと まさひら)という人物の存在。


――私が驚愕したのは、次の瞬間。

テレビ画面に映った集合写真は、明治初期のものと思われる。後列で右の方に写った阪本政均は、裁判所などの要職を歴任したとナレーションが入る。

「もしや江藤さん…が、写ってないか!?」
幕末明治佐賀について調べる私には見覚えのある“先輩”の姿があった。

同じ写真の前列中央。おそらくは司法関係者が揃う、その場を代表すべき席に座っていたのが、私の見間違いでなければ江藤新平、その人である。



――相変わらず固い表情で、気難しそうに見える。

「しかし、江藤さん…もっと写真は爽やかに写ってもらわねば。」
よもやの展開だが、映えない写り方をする先輩に、こちらも渋い表情が出る。

恐るべき“働き者”だったという江藤新平司法制度の近代化が急務と考えたことが伝わる。よほど忙しいのだろうか、何だか居心地の悪い様子にも見える。

もしネット等で写真を調べようとする場合は、後に“反逆者”扱いをされたため、目を覆いたくなるような画像も散見されるので、くれぐれも注意してほしい。


――そのイメージには、私も随分と騙された。

偉大な同郷先輩を、単に「士族反乱を起こして負けた人」と認識していたのだ。同年代の友人には、その価値をわかっている者も居たというのに。
〔参照(中盤):「回想の剣」

あの頃は若かったのだ…そして、ボーッと生きていたのだ。そんな過去を悔いている時間は無い。今が、“反撃の時”である。

民の司直」としての司法を唱えた江藤新平。一見、冷たく見える視線だが、常に弱い立場の人々には暖かいものだったという。


――それなりに見栄えもする、顔立ちだと思うのだが…

まともな写真では撮られ方も考えていただかねば、“映(ば)え”が重視される現代に生きる、佐賀出身者江藤さんを“ヒーロー”として推しづらい。

一方で見かけを意識しないのが、江藤新平らしい…と言えなくもない。ここは、現代の“さがんもん”が頑張らねばならないのか。



――少なくとも「悲劇のヒーロー」として認識されるところから始めたい。

徹底して“反逆者”扱いされ、活躍や功績を語りづらかった経過があるようだ。江藤さんは“イメージ戦略”的にスタートダッシュに、大失敗しているのだ。

明治期からの初動の失敗は根が深い。当ブログを書く中でも、この状況から“リベンジ”を果たすのは並大抵の事ではないと強く感じる。

書かねば。少しずつでも、途切れながらでも…」と、彼岸に思ったのだ。


――前列で江藤の右隣に写る方も、佐賀の人のはず。

楠田英世という方で、明治期の民法編纂に大きな貢献があった人物と知られるそうだ。やはり、同郷の仲間には受け継がれていったようである。

誤解の無いようにお伝えするが、これらの情報は番組内で何ら触れられていない。もしも、私の勘違いであれば、ご容赦を願いたい。

もともと所用があったうえに上記のような気忙しさもあって、後半はまともに視られていない。歴史好きとしては面白そうな話が続いていた。

次に再放送の情報を見つけたら、今度はしっかり、野村萬斎さんの「ファミリーヒストリー」として拝見したいと思うのだ。