2022年03月13日

「ロード・オブ・サガ ~三つの“佐賀”~(後編)」

こんばんは。
さて、前編のテーマは「ロード・オブ・サガ(Road of Saga)」でした。「佐賀へと、つながる道」という感じでしょうか。

後編のテーマは「ロード・オブ・サガ(Lord of Saga)」で、まとめてみます。

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の英語タイトル(The 13 Lords of the Shogun)は、概ね「鎌倉幕府の将軍を支える13人領主たち」の意味と聞きます。

そして江戸時代の“藩主”や、藩内各地域の“領主”も、大まかには“Lord”の単語で訳すようなので…こんな事を考えてみました。


――当ブログを始めてから行き当たった課題。

それは「私が語るべき“佐賀”は、どこまでの範囲なのか…」という疑問。普通に考えれば「それは佐賀藩なのでは?」という答えになるのでしょう。

現在の「佐賀県」の江戸時代の姿について。幕府の直轄領(天領)を除けば、三つ大別されるという見方が一般的であると思います。

A.佐賀藩
B.唐津藩
C.対馬藩
(田代領)

前編に続いて三択クイズっぽいですが、3つとも正解です。ちなみに佐賀藩内には、さらに三つの“支藩”(小城・蓮池・鹿島)があります。



――まずは「A.佐賀藩」。

佐賀藩の中に、三つの支藩があることはお伝えしましたが、他に各地域にも、ご領主(邑主)が居られます。

この辺りは、まだまだ私は勉強中で知識が浅いのですが、今後のために整理を試みます。私が参照した資料では概ね以下の内容でした。

支藩(3家)…小城・蓮池・鹿島
親類(4家)…白石・神代・久保田村田・村田
親類同格(4家)…武雄・多久・諫早・須古

親類」の神代家・久保田村田家、「親類同格」の多久諫早家以外は、上記の名称後に“鍋島家”が付くようです。

また「親類」の“白石”は、みやき町周辺に領地のあった白石鍋島家。「親類同格」の“須古鍋島家”は、現在の白石町にありました。


――あわせて佐賀藩の上級家臣団11家。

では、この領主たちを「“佐賀殿”の11人(The 11 Lords of the Saga)」とでも語るべきか…(?)とか連想したりもします。

ちなみに「親類同格」の4家は、元は龍造寺氏の家柄で「龍造寺四家」という呼び方もするようです。
〔参照(中盤):「佐賀と長崎をつなぐもの」〔諫早駅〕

幕末期には鍋島直正藩政改革に助力し、明治初期には戊辰戦争奮闘するなど、この龍造寺四家はそれぞれに存在感を示しました。

県内にお住まいの方は、身近な地域の“ご領主”さまを意識すると、親近感がアップして良いかも(!)…と思います。



――続いて「B.唐津藩」。

.佐賀藩」の話が複雑になり過ぎたので、ここからはシンプルに書きます。

現在のところ“本編”で「唐津藩」の登場人物は、幕末に老中格として難局に挑んだ小笠原長行にのみ焦点を絞っています。

江戸に行くなり、幕府の重職に就いた小笠原長行ですが、その見つめる先には、いつも若き第14代将軍徳川家茂の姿があるような描き方にしています。
〔参照(後半):第17話「佐賀脱藩」⑤(若き“将軍”への視線)

博学で、温厚そうなイメージのある方ですが、幾つかのエピソードから「上様のためなら!」という心意気を感じるところがあります。


――明治初期に、旧幕府方として戦ったためか…?

藩主の名代(代理)として扱われている小笠原長行唐津藩主に就いていたかについては、議論があるようです。
〔参照(後半):「もしも不遇を感じた時には…」

また、小笠原家は先代藩主の水野家より、唐津の領地を引き継いでから、わずか半世紀ほどで、江戸幕府が終わってしまいました。

江戸期を通じて佐賀藩主だった鍋島家とは事情が異なるので、唐津の皆様から小笠原家は、どの程度の親しみを持たれているか…気になるところです。

現在の佐賀県には、幕府に忠義を尽くそうとした“佐幕派”の唐津藩もあったことは意識しながら、“本編”を書いています。



――そして「C.対馬藩(田代領)」。

当初は「“本編”では描けないか…」と考えましたが、第16話に現在の佐賀県鳥栖市(東部)・基山町にあたる対馬藩田代領の物語を入れてみました。

1861年(万延二年・文久元年)には、“対馬事件”が起きました。ロシア軍艦ポサドニック号が対馬に上陸し、島内の土地を占拠した事件です。

この事態を受け、第16話に登場した田代領の若者たちも、本藩がある対馬(現・長崎県)へと向かいます。

その頃、佐賀藩士たちも、蒸気船“電流丸”を運用して周辺海域の警戒にあたっていました。
〔参照:第16話「攘夷沸騰」⑱(蒸気船の集まる海域)


――“佐賀”にいた対馬藩士の視点も取り入れた、第16話「攘夷沸騰」。

当時、佐賀藩幕府から蒸気船“観光丸”を預かっており、船長佐野常民。幕府の外国奉行小栗忠順に同行して、対馬に上陸しています。

こういった佐賀藩のエピソードを、さらに深掘りする書き方もあったのかもしれませんが、あえて田代領対馬藩士たちだけが登場する回を加えています。

個人的に「対馬藩(田代領)の三部作」と呼称するシリーズです。ちなみに対馬藩主宗義和は、お名前のみが登場します。
〔参照①:第16話「攘夷沸騰」⑮(“薬の街”に吹く風)
〔参照②:第16話「攘夷沸騰」⑯(露西亜〔ロシア〕の牙)
〔参照③:第16話「攘夷沸騰」⑳(基山の誇り、田代の想い)

この後、対馬藩士たちは“攘夷派”として長州藩(山口)に接近していきます。



――幕末。三つの“佐賀”の物語。

私は行けなかった2018年の「肥前さが幕末・維新博覧会」。当時の冊子を入手し、佐賀市内だけでなく、唐津鳥栖サテライト館があったと知りました。

開国を進める幕府に忠義を尽くそうとする唐津藩。異国の脅威を打ち払おうと攘夷に目覚める対馬藩田代領)。

そして、日本の近代化こそ問題の解決につながると信じ、早くから独自の路線を進んできた佐賀藩三者それぞれの立場で繰り広げられた“佐賀”の幕末

さすがに「佐賀だけで幕末が語れる」とまでは言いませんが、「佐賀視点幕末語る」と新しい物語が見えてくる!のは確かだと思います。




  


Posted by SR at 22:41 | Comments(0) | 佐賀への道