2023年05月15日
第19話「閑叟上洛」⑪(続・陽だまりの下で)
こんばんは。今年の大河ドラマ『どうする家康』も盛り上がってきており、感想を書きたくもあるのですが、今は“本編”を淡々と進めます。
時は、文久二年(1862年)の秋。佐賀を脱藩した江藤新平を京都まで出向き、連れ戻すように命じられたのは、江藤の父・助右衛門でした。
藩庁からの指令は、佐賀の大殿・鍋島直正(閑叟)の意向だったと言います。
江藤が送る報告書の宛先だった、大木喬任(民平)や坂井辰之允など、同志たちも、江藤の帰藩後に向け、動き始めます。

とくに慌ただしいのは、佐賀から出立する予定の江藤助右衛門と家族でした。
〔参照:第17話「佐賀脱藩」⑫(陽だまりの下で)〕
――藩の役人から伝わった指示。
江藤助右衛門も藩の役人なので、子・新平の脱藩後は謹慎中の状況だったが、ここで助右衛門は謹慎を解かれ、新平を連れ戻す任務を与えられた。
助右衛門は、詩の一節を吟(ぎん)じているようだ。その声は朗々と響く。
「鞭声(べんせい)粛々~、夜河を過(わた)る~」
「あなた。相変わらず、お声のよかですけど、なにゆえ“川中島”なのですか。」
こう問いかけたのは、助右衛門の妻・浅子である。
江藤新平に、まず“漢学”の基礎を教えたのは、母・浅子だったという。同時代の女性としては、かなり学問に通じている。
――貧しい時期は長くとも、誇りと教養は失わない家族。
助右衛門が発した詩吟の一節は“川中島の合戦”を題材にしたものらしい。
戦国時代に武田と上杉の両軍がぶつかる戦いで、上杉側がひそかに馬に鞭(むち)をあて、川を渡る情景を描いた一節だ。何か秘めた決意が感じられる。
「老骨に鞭(むち)打ってでも、お役目を果たさんば、と思うてな。」
「…でしたら、始めから、そう、おっしゃってくださればよいのに。」
教養のある浅子らしく、ここは冷静な物言いだった。残念ながら、助右衛門の感じる“男の浪漫”は伝わりづらかったようだ。

助右衛門のお役目は、藩命により佐賀から出て、子・新平を連れて帰ること。京の都に上って我が子とはいえ尋ね人を探すのは老体には堪えるだろう。
――先ほどは朗々と詩を吟じていた、助右衛門が急に小声となった。
浅子の耳に、口を近づけて、ひそひそ話をする。
「実はな。このお達しは、閑叟さまの思し召し…だと聞きよるぞ。」
「まぁ。大殿様が!?新平を迎えに行け、と仰せなのですか。」
「そがん(その通り)たい。」
「もしや、佐賀を抜けた事も、お目こぼしいただけるのでは。」

子・新平が決行した、佐賀からの脱藩は重罪のはずである。本来なら、藩吏がすぐさま捕縛に向かったとしても、何も文句は言えない。
――ここでは浅子にも、助右衛門が高揚する理由が伝わった。
大殿・鍋島直正の思惑があって、助右衛門が迎えに出る経緯があるようだ。
「望みが出てきましたわね。急ぎ、支度(したく)を整えんばならんですね。」
浅子の表情に明るさが見える。大殿が関わる気配なら、そこに希望はある。
「お義母さま、幾つか着物を持って参りました。」
「千代子さんの使う物まで…すまないねぇ。」
熱心に話し込む老夫婦に声をかけてきたのは、新平の妻・千代子である。手にする、何点かの品は普段づかいではなく、生地などが良い品だ。
城下で売れば、ある程度の値段になりそうな着物を選んでいた。何かと物入りになる、助右衛門の旅費の足しにする意図がある。

――江藤の家族たちも着々と、準備を進める。
大人たちが難しい話をしているから新平の子で、もうすぐ満2歳となる熊太郎は、少々退屈そうだ。
「おう、熊太郎。いい子にしとったかね。」
「あれっ、おじうえ~!」
門前から来たのは、江藤の弟・源作。熊太郎には叔父にあたるが、他家に出ているため、様子を見に来たようだ。
「おおっ、源作か。良いところに来た。熊太郎の面倒ば見といてくれんね。」
「まぁ、よかですけど。」
父・助右衛門のお願いに、快く答える源作。兄の新平と見た感じは似ているものの、わりと“空気を読む”のが、弟・源作のようだ。
――藩の役人が来た、実家が心配で寄ったのだが、
江藤の弟・源作は、もうじき“2歳児”の面倒を見るだけの役回りになっている。それはそれで、大事な役割である。
「そうら、佐賀の“化け猫”が、来よるとよ~」
「えすか(怖い)~!」
当初の目的は置いておき、門前で熊太郎と遊び、きゃっきゃっと盛り上がる。源作は、なかなか良い“叔父上”であるようだ。
「にゃあ~っ!!」
…と、両手をあげて“化け猫”の振りを決めたところで、江藤家の様子伺いに訪れた、兄・新平の同志・坂井辰之允と目が合った。

「…思いのほか。ご家族も落ち着いておられ、よかでした。」
「にゃ…いや、これは坂井さま。恐れ入ります。」
「江藤くんの、ご長男も健やかにご成長で、何よりです。」
これはこれで気まずいが、江藤も信頼をおく坂井は、あいさつでまとめている。
帰藩は現実味を帯びてきたが、江藤が佐賀に戻った後の処遇は、まだわからない。賑やかな家族も、心配事は尽きない状況なのだった。
(続く)
時は、文久二年(1862年)の秋。佐賀を脱藩した江藤新平を京都まで出向き、連れ戻すように命じられたのは、江藤の父・助右衛門でした。
藩庁からの指令は、佐賀の大殿・鍋島直正(閑叟)の意向だったと言います。
江藤が送る報告書の宛先だった、大木喬任(民平)や坂井辰之允など、同志たちも、江藤の帰藩後に向け、動き始めます。
とくに慌ただしいのは、佐賀から出立する予定の江藤助右衛門と家族でした。
〔参照:
――藩の役人から伝わった指示。
江藤助右衛門も藩の役人なので、子・新平の脱藩後は謹慎中の状況だったが、ここで助右衛門は謹慎を解かれ、新平を連れ戻す任務を与えられた。
助右衛門は、詩の一節を吟(ぎん)じているようだ。その声は朗々と響く。
「鞭声(べんせい)粛々~、夜河を過(わた)る~」
「あなた。相変わらず、お声のよかですけど、なにゆえ“川中島”なのですか。」
こう問いかけたのは、助右衛門の妻・浅子である。
江藤新平に、まず“漢学”の基礎を教えたのは、母・浅子だったという。同時代の女性としては、かなり学問に通じている。
――貧しい時期は長くとも、誇りと教養は失わない家族。
助右衛門が発した詩吟の一節は“川中島の合戦”を題材にしたものらしい。
戦国時代に武田と上杉の両軍がぶつかる戦いで、上杉側がひそかに馬に鞭(むち)をあて、川を渡る情景を描いた一節だ。何か秘めた決意が感じられる。
「老骨に鞭(むち)打ってでも、お役目を果たさんば、と思うてな。」
「…でしたら、始めから、そう、おっしゃってくださればよいのに。」
教養のある浅子らしく、ここは冷静な物言いだった。残念ながら、助右衛門の感じる“男の浪漫”は伝わりづらかったようだ。

助右衛門のお役目は、藩命により佐賀から出て、子・新平を連れて帰ること。京の都に上って我が子とはいえ尋ね人を探すのは老体には堪えるだろう。
――先ほどは朗々と詩を吟じていた、助右衛門が急に小声となった。
浅子の耳に、口を近づけて、ひそひそ話をする。
「実はな。このお達しは、閑叟さまの思し召し…だと聞きよるぞ。」
「まぁ。大殿様が!?新平を迎えに行け、と仰せなのですか。」
「そがん(その通り)たい。」
「もしや、佐賀を抜けた事も、お目こぼしいただけるのでは。」
子・新平が決行した、佐賀からの脱藩は重罪のはずである。本来なら、藩吏がすぐさま捕縛に向かったとしても、何も文句は言えない。
――ここでは浅子にも、助右衛門が高揚する理由が伝わった。
大殿・鍋島直正の思惑があって、助右衛門が迎えに出る経緯があるようだ。
「望みが出てきましたわね。急ぎ、支度(したく)を整えんばならんですね。」
浅子の表情に明るさが見える。大殿が関わる気配なら、そこに希望はある。
「お義母さま、幾つか着物を持って参りました。」
「千代子さんの使う物まで…すまないねぇ。」
熱心に話し込む老夫婦に声をかけてきたのは、新平の妻・千代子である。手にする、何点かの品は普段づかいではなく、生地などが良い品だ。
城下で売れば、ある程度の値段になりそうな着物を選んでいた。何かと物入りになる、助右衛門の旅費の足しにする意図がある。
――江藤の家族たちも着々と、準備を進める。
大人たちが難しい話をしているから新平の子で、もうすぐ満2歳となる熊太郎は、少々退屈そうだ。
「おう、熊太郎。いい子にしとったかね。」
「あれっ、おじうえ~!」
門前から来たのは、江藤の弟・源作。熊太郎には叔父にあたるが、他家に出ているため、様子を見に来たようだ。
「おおっ、源作か。良いところに来た。熊太郎の面倒ば見といてくれんね。」
「まぁ、よかですけど。」
父・助右衛門のお願いに、快く答える源作。兄の新平と見た感じは似ているものの、わりと“空気を読む”のが、弟・源作のようだ。
――藩の役人が来た、実家が心配で寄ったのだが、
江藤の弟・源作は、もうじき“2歳児”の面倒を見るだけの役回りになっている。それはそれで、大事な役割である。
「そうら、佐賀の“化け猫”が、来よるとよ~」
「えすか(怖い)~!」
当初の目的は置いておき、門前で熊太郎と遊び、きゃっきゃっと盛り上がる。源作は、なかなか良い“叔父上”であるようだ。
「にゃあ~っ!!」
…と、両手をあげて“化け猫”の振りを決めたところで、江藤家の様子伺いに訪れた、兄・新平の同志・坂井辰之允と目が合った。
「…思いのほか。ご家族も落ち着いておられ、よかでした。」
「にゃ…いや、これは坂井さま。恐れ入ります。」
「江藤くんの、ご長男も健やかにご成長で、何よりです。」
これはこれで気まずいが、江藤も信頼をおく坂井は、あいさつでまとめている。
帰藩は現実味を帯びてきたが、江藤が佐賀に戻った後の処遇は、まだわからない。賑やかな家族も、心配事は尽きない状況なのだった。
(続く)
Posted by SR at 21:33 | Comments(0) | 第19話「閑叟上洛」
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