2021年12月18日
第17話「佐賀脱藩」⑪(“都会”の流儀)
こんばんは。前回の続きです。
鍋島直正の愛娘・貢姫の嫁ぎ先は、現在では埼玉県にあった川越藩でした。大名の正室として、江戸にいた貢姫。
夫で川越藩主だった松平直侯が亡くなったことで、のち江戸を離れ、川越へと移る定めとなります。
幕末期の江戸は、世界最大の人口規模を誇ったと言われる“百万”都市。様々な人々が集まり、悲喜こもごもに暮らす大都会でした。
――江戸。川越藩の屋敷。
薄暗い冬の日。夫の喪に服する貢姫。若くして“未亡人”となってしまった。
「父上…、貢は鍋島の娘として、何事もなし得ませんでした。」
同じく、まだ二十代前半だった夫を失い、途方に暮れる。夫婦の間には、まだ子はいなかった。愛娘の心には、頼れる父・鍋島直正の面影が浮かぶ。
父の心配どおり、真面目な鍋島家の長女は、自責の念に駆られていた。
――同じ頃、離れた娘の境遇を心配する父・直正。
「貢よ、己を責めるでないっ!松平さまのお立場も、厳しかったのだ…」
「殿、いかがなさいました…!?」
ふと、語り出した直正(閑叟)。“幼なじみ”の側近・古川与一(松根)が慌てる。
「…わが娘が、助けを呼ぶかと思えてな。つい、声に出たようだ。」
「殿!いや、ご隠居…閑叟さま…。姫が、心配にございますな。」

――先月から佐賀の殿様は、正式に隠居している。
「与一よ。もしや、儂の呼び方を迷うておるか?」
色々と困惑する古川を見て、気が逸れたのか。わずかに笑みを見せる、直正。
「まだ、落ち着かぬから、当面は“殿”と呼べばよい。」
「…心得ました。では、いずれ“ご老公”とお呼びいたしましょうか。」
「その呼び名は…、何やら収まりが良くない。」
人生、苦もあれば楽もある。「ここも、先憂後楽じゃ。」と、自らに言い聞かせる“佐賀のご老公”であった。
――さて、大都市・江戸の市中。儒学者・大橋訥庵の私塾にて。
「老中の所業、許しがたし!」
「おう、安藤を討つべし!」
大声を出す若者たちが集まって、荒々しく武術の訓練に励む。都合の悪いことに、老中・安藤信正に対し、公然と物騒なことを口にしている。
「…もはやこの塾には、立ち寄るべきではないのかもしれぬな。」
その場を、遠巻きに眺めていた、佐賀藩士・中野方蔵がつぶやく。大木喬任と江藤新平が、手紙を楽しみに待つ親友である。

――晩秋には、孝明天皇の妹・和宮が江戸に到着していた。
その“花嫁”の行列は3万人規模とも言われる壮麗なものだった。尊王攘夷派への警戒から、平坦な東海道を避けて、あえて険しい中山道を通ったという。
和宮は、御所風の生活を続けることを強く望む。暮らし方の調整が難航して、1か月ほどは城に入らなかったという。
――また、気勢を挙げる者がいる。
「和宮様を、城へお連れ奉る謀(はかりごと)を打ち砕かん!」
「そうじゃ、皇女さまを奪還せよ!」
いまにも、市中に出撃しそうな雰囲気だ。
「かかる“短慮”に巻き込まれては、大木さんや江藤くんに申し訳が立たぬ。」
諸藩の志士との交流は、佐賀に帰ったのち、他藩と連携して勤王に励み、これからの日本を導くためだ。中野は騒ぎに背を向け、その場を去った。
――すっかり“都会暮らし”に、馴染んでいた中野。
当時の過密都市は火災に弱く、風呂がある住まいを持つものは少ない。下級武士は、市中の銭湯にも出入りをしたという。
そこでは流行の芝居や商品の“広告”まで壁に掲示され、世の動きが見えた。小さい湯船から流れる温かい空気。威勢の良い江戸っ子たちの声が響く。

「京の都からの“花嫁”さまが、ついにお城に入るってよ。」
「…それだ。えれぇ、豪勢な行列だったようじゃねぇか。」
批判の対象にもなるが、わりと徳川将軍家は庶民から親しまれているようだ。
中野には、意外だった。「へぇ…江戸の町衆は、楽しげに語るものだな。」
過激な考えに凝り固まった志士よりも、時に、町人たちの方が闊達(かったつ)と見える時がある。中野は、朝廷のもとに民が集う“新しい世“を思った。
(続く)
鍋島直正の愛娘・貢姫の嫁ぎ先は、現在では埼玉県にあった川越藩でした。大名の正室として、江戸にいた貢姫。
夫で川越藩主だった松平直侯が亡くなったことで、のち江戸を離れ、川越へと移る定めとなります。
幕末期の江戸は、世界最大の人口規模を誇ったと言われる“百万”都市。様々な人々が集まり、悲喜こもごもに暮らす大都会でした。
――江戸。川越藩の屋敷。
薄暗い冬の日。夫の喪に服する貢姫。若くして“未亡人”となってしまった。
「父上…、貢は鍋島の娘として、何事もなし得ませんでした。」
同じく、まだ二十代前半だった夫を失い、途方に暮れる。夫婦の間には、まだ子はいなかった。愛娘の心には、頼れる父・鍋島直正の面影が浮かぶ。
父の心配どおり、真面目な鍋島家の長女は、自責の念に駆られていた。
――同じ頃、離れた娘の境遇を心配する父・直正。
「貢よ、己を責めるでないっ!松平さまのお立場も、厳しかったのだ…」
「殿、いかがなさいました…!?」
ふと、語り出した直正(閑叟)。“幼なじみ”の側近・古川与一(松根)が慌てる。
「…わが娘が、助けを呼ぶかと思えてな。つい、声に出たようだ。」
「殿!いや、ご隠居…閑叟さま…。姫が、心配にございますな。」
――先月から佐賀の殿様は、正式に隠居している。
「与一よ。もしや、儂の呼び方を迷うておるか?」
色々と困惑する古川を見て、気が逸れたのか。わずかに笑みを見せる、直正。
「まだ、落ち着かぬから、当面は“殿”と呼べばよい。」
「…心得ました。では、いずれ“ご老公”とお呼びいたしましょうか。」
「その呼び名は…、何やら収まりが良くない。」
人生、苦もあれば楽もある。「ここも、先憂後楽じゃ。」と、自らに言い聞かせる“佐賀のご老公”であった。
――さて、大都市・江戸の市中。儒学者・大橋訥庵の私塾にて。
「老中の所業、許しがたし!」
「おう、安藤を討つべし!」
大声を出す若者たちが集まって、荒々しく武術の訓練に励む。都合の悪いことに、老中・安藤信正に対し、公然と物騒なことを口にしている。
「…もはやこの塾には、立ち寄るべきではないのかもしれぬな。」
その場を、遠巻きに眺めていた、佐賀藩士・中野方蔵がつぶやく。大木喬任と江藤新平が、手紙を楽しみに待つ親友である。
――晩秋には、孝明天皇の妹・和宮が江戸に到着していた。
その“花嫁”の行列は3万人規模とも言われる壮麗なものだった。尊王攘夷派への警戒から、平坦な東海道を避けて、あえて険しい中山道を通ったという。
和宮は、御所風の生活を続けることを強く望む。暮らし方の調整が難航して、1か月ほどは城に入らなかったという。
――また、気勢を挙げる者がいる。
「和宮様を、城へお連れ奉る謀(はかりごと)を打ち砕かん!」
「そうじゃ、皇女さまを奪還せよ!」
いまにも、市中に出撃しそうな雰囲気だ。
「かかる“短慮”に巻き込まれては、大木さんや江藤くんに申し訳が立たぬ。」
諸藩の志士との交流は、佐賀に帰ったのち、他藩と連携して勤王に励み、これからの日本を導くためだ。中野は騒ぎに背を向け、その場を去った。
――すっかり“都会暮らし”に、馴染んでいた中野。
当時の過密都市は火災に弱く、風呂がある住まいを持つものは少ない。下級武士は、市中の銭湯にも出入りをしたという。
そこでは流行の芝居や商品の“広告”まで壁に掲示され、世の動きが見えた。小さい湯船から流れる温かい空気。威勢の良い江戸っ子たちの声が響く。
「京の都からの“花嫁”さまが、ついにお城に入るってよ。」
「…それだ。えれぇ、豪勢な行列だったようじゃねぇか。」
批判の対象にもなるが、わりと徳川将軍家は庶民から親しまれているようだ。
中野には、意外だった。「へぇ…江戸の町衆は、楽しげに語るものだな。」
過激な考えに凝り固まった志士よりも、時に、町人たちの方が闊達(かったつ)と見える時がある。中野は、朝廷のもとに民が集う“新しい世“を思った。
(続く)
Posted by SR at 19:57 | Comments(0) | 第17話「佐賀脱藩」
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