2021年10月23日
「醒覚の剣」(時鐘)
こんばんは。
今週末は佐賀城公園が“秋祭り”の様子で佐賀の中心街も盛況かと察します。観光資源が豊富な、唐津周辺にも各地から人が集まっているかもしれません。
少し日常が取り戻せる気配。一方、なかなか佐賀に帰れない現況の私。もはや、1年半にわたる叔父上への依頼。それは佐賀県内の各地域の写真撮影です。
なお、“本編”を更新する速度は著しく落ちていますが、書きたいことも多いのは相変わらずです。
――時期は、少し前に遡る。
私は、“本編”第16話「攘夷沸騰」を海を軸とする構成で計画していた。最近、仕事が忙しい等…個人的事情もあるが、描き方も難しい年代に入ったと感じる。
「叔父上、また海の写真が要りようなのです。」
「あ~、近いうちに唐津まで行くけん、そこで撮ったらよかね。」
私は、2年近く佐賀に戻れていないが、もし帰っても動けるのは限られた時間。ブログを続ければ、県内に住む叔父上の力を借りるのは必然だったようだ。

――たぶん叔父上も、人生が始まって以来…
現在が最も多く“佐賀の写真”を撮っていることだろう。私にとって“写真”とは、一瞬の時間を切り取り、空間を枠内に収めるもの…という感覚だ。
かなり年をとってから、急に“佐賀藩士”に覚醒した甥っ子のわがままに応えて、叔父上は一定の集中力を駆使して、佐賀の風景に向き合うこととなった。
――“本編”で様々な場面を設定して考える。
この作業も写真と共通するところがあるのかもしれない。しかし、私には対象になる150年ぐらい前の“佐賀の先輩”たちの動向を、正確につかむ力は無い。
研究を進める方々の資料で知る“史実”に近いと思われる内容が頼りで、願望を言えば、佐賀県立図書館辺りに、しばらく通い詰めて調べ物を進めたいほどだ。
――時間(一瞬)の積み重ねが、歴史なのだろうか。
現在の佐賀県内には、江戸期の佐賀藩だけでなく、唐津藩や対馬藩(田代領)もある。写真の“鐘楼”は、叔父上が唐津藩の情報として選んでくれたものだ。
徳川に近しい譜代大名が統治した唐津藩。初代藩主の寺沢氏から“幕領”の時代を経て、5家(大久保、松平、土井、水野、小笠原)の変遷があったそうだ。

※4代目の大名・土井氏の時代の“鐘楼”を復元したそうです。
――5代目の大名・水野氏は…
“天保の改革”で知られる水野忠邦までで唐津を去る。“長崎見廻役”の負担が、幕閣での出世の妨げになると考えたとか、早々に国替えを希望したと聞く。
〔参照:「主に唐津市民の方を対象にしたつぶやき」〕
6代目の大名・小笠原氏が唐津藩主だったのは、激動の時代・幕末の半世紀。江戸時代を長きに渡り、鍋島家が治めた佐賀藩とは、また違った物語を感じる。
――その“鐘楼”では、決まった時刻になると…
正装した唐津藩士の人形が現れて、時の太鼓をドンドンと鳴らしてから櫓の中に戻るという。唐津を治める大名ごとに、時の告げ方にも変遷があったようだ。
「佐賀県には…私の見てみたい景色が、山のようにある。」
私自身、佐賀の歴史の重みに気づくまで、その“価値”を顧みて来なかった。
県内に住む叔父上の視点から、写真の枠内に収める佐賀の風景。写し取った一瞬が“時を告げる太鼓”のように、いまの私にはとても良く響いている。
今週末は佐賀城公園が“秋祭り”の様子で佐賀の中心街も盛況かと察します。観光資源が豊富な、唐津周辺にも各地から人が集まっているかもしれません。
少し日常が取り戻せる気配。一方、なかなか佐賀に帰れない現況の私。もはや、1年半にわたる叔父上への依頼。それは佐賀県内の各地域の写真撮影です。
なお、“本編”を更新する速度は著しく落ちていますが、書きたいことも多いのは相変わらずです。
――時期は、少し前に遡る。
私は、“本編”第16話「攘夷沸騰」を海を軸とする構成で計画していた。最近、仕事が忙しい等…個人的事情もあるが、描き方も難しい年代に入ったと感じる。
「叔父上、また海の写真が要りようなのです。」
「あ~、近いうちに唐津まで行くけん、そこで撮ったらよかね。」
私は、2年近く佐賀に戻れていないが、もし帰っても動けるのは限られた時間。ブログを続ければ、県内に住む叔父上の力を借りるのは必然だったようだ。
――たぶん叔父上も、人生が始まって以来…
現在が最も多く“佐賀の写真”を撮っていることだろう。私にとって“写真”とは、一瞬の時間を切り取り、空間を枠内に収めるもの…という感覚だ。
かなり年をとってから、急に“佐賀藩士”に覚醒した甥っ子のわがままに応えて、叔父上は一定の集中力を駆使して、佐賀の風景に向き合うこととなった。
――“本編”で様々な場面を設定して考える。
この作業も写真と共通するところがあるのかもしれない。しかし、私には対象になる150年ぐらい前の“佐賀の先輩”たちの動向を、正確につかむ力は無い。
研究を進める方々の資料で知る“史実”に近いと思われる内容が頼りで、願望を言えば、佐賀県立図書館辺りに、しばらく通い詰めて調べ物を進めたいほどだ。
――時間(一瞬)の積み重ねが、歴史なのだろうか。
現在の佐賀県内には、江戸期の佐賀藩だけでなく、唐津藩や対馬藩(田代領)もある。写真の“鐘楼”は、叔父上が唐津藩の情報として選んでくれたものだ。
徳川に近しい譜代大名が統治した唐津藩。初代藩主の寺沢氏から“幕領”の時代を経て、5家(大久保、松平、土井、水野、小笠原)の変遷があったそうだ。
※4代目の大名・土井氏の時代の“鐘楼”を復元したそうです。
――5代目の大名・水野氏は…
“天保の改革”で知られる水野忠邦までで唐津を去る。“長崎見廻役”の負担が、幕閣での出世の妨げになると考えたとか、早々に国替えを希望したと聞く。
〔参照:
6代目の大名・小笠原氏が唐津藩主だったのは、激動の時代・幕末の半世紀。江戸時代を長きに渡り、鍋島家が治めた佐賀藩とは、また違った物語を感じる。
――その“鐘楼”では、決まった時刻になると…
正装した唐津藩士の人形が現れて、時の太鼓をドンドンと鳴らしてから櫓の中に戻るという。唐津を治める大名ごとに、時の告げ方にも変遷があったようだ。
「佐賀県には…私の見てみたい景色が、山のようにある。」
私自身、佐賀の歴史の重みに気づくまで、その“価値”を顧みて来なかった。
県内に住む叔父上の視点から、写真の枠内に収める佐賀の風景。写し取った一瞬が“時を告げる太鼓”のように、いまの私にはとても良く響いている。
Posted by SR at 23:06 | Comments(0) | 「望郷の剣」シリーズ
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。