2020年08月13日
第13話「通商条約」③(医者の言葉は聞いて)
こんばんは。
幕末の政局から、ひとまず話を佐賀に戻します。
今回、殿・鍋島直正の“執事”や“主治医”が再登場します。
“執事”と言える側近・古川与一(松根)は、幼少期からずっと殿の傍にいますので、本編でも序盤から登場しています。
そして“主治医”・大石良英の方は、今まで登場は1回だけだったかと思います。このときは若君・淳一郎(のちの鍋島直大)に“種痘”を施しました。
〔参考(中盤):第6話「鉄製大砲」⑦〕
藩医・大石は、現在のみやき町を治める“白石鍋島家”に属しましたが、蘭方(西洋医学)に長じていたので、“佐賀本藩”に登用されたようです。
――殿・直正は、佐賀の空を見上げて、ぼんやりとしていた。
「お貢(みつ)…息災にしておるかのう…」
直正の長女・貢姫は、17歳で川越藩(埼玉)に嫁いだ。
お相手は、姫と同い年の貴公子・松平直侯。
なぜ“貴公子”と呼んだかと言えば血統が良いのだ。
御三家・水戸藩の徳川斉昭の子であり、一橋慶喜の弟である。

――言い換えれば、“攘夷派”首領の子であり、将軍候補の弟。
川越藩主となった松平直侯の周囲には、色々と政治的な思惑がはたらく。
他家から来た“跡取り”には、強い期待もかかるだろう。
直正は、嫁入りした貢姫の心中を思う…
「貢(みつ)が気掛かりじゃ!文(ふみ)を書いて励ますとしよう。」
殿・直正、ここでは単なる心配性の父親である。
――幼少の頃からの側近・古川与一(松根)が柱の影から見守る。
「殿、貢姫さまへの文でござるな。定めしご心配でありましょう…」
毎度、誰より殿の気持ちを察する、よく出来た“執事”である。
ここで10年ほど前の話に触れておく。貢姫は7歳の頃に佐賀から江戸に移った。これは大名の正室として、通用する力を身に付けるための“留学”である。
殿・直正が“教育係”として頼ったのは、“将軍の娘”だった正室・盛姫。幕府への頼み事を、大奥の人脈で通すなど“ファーストレディ”としての存在感があった。
――しかし、貢姫が江戸に移ってからわずか2年、頼りになった正室・盛姫が急逝してしまう。
古川与一の回想は続いた…
「殿にはお辛いときだったが、貢姫さまがお支えくだされた…」
この頃の直正は学問に優れた側近を病で失うなど心痛が重なっていた。
江戸では「貢姫に会える」事が、直正の精神的な支えとなっていたのである。

――そして、成長した愛娘・貢姫が嫁いだ今、簡単には会いに行けない。父・鍋島直正は手紙を書き送って、繋がりを保つのであった。
幕末の殿様には強いストレスがかかる。“心の支え”が弱まることは健康面にも影響を及ぼす。
そんなある日、直正の主治医、大石良英が問診をしている。
「殿、お身体の加減はいかかでしょうか。」
「近頃、胃の腑(ふ)に軽い痛みを感じるのう…」
「ほう、先だってもお伺いしました。未だ治まりませぬか。」
異国の動きを睨みながら、佐賀の技術開発、産業振興を進める、直正。最近では、佐賀の力を認める幕府や雄藩に注目され、幕末の政局にも巻き込まれがちである。
――西洋の事情が良く見えている、直正。いつも、気が急いていた。
「殿、あのように食事を早く召し上がられては、胃に堪えるは道理にございます。」
藩医・大石良英、けっこう言葉が厳しい。
言うなれば、ホームドクターが、“早食い”を戒めているのだ。
「…して、いかがすれば良いか。」
何やら、主治医に叱られている感じの殿様。
「ゆっくり、しっかり噛むのです!」
藩医・大石は全力で、普通の事を言った。
「…心得た。」
“普通の事”を普通に行うのは、意外と難しいのである。
(続く)
幕末の政局から、ひとまず話を佐賀に戻します。
今回、殿・鍋島直正の“執事”や“主治医”が再登場します。
“執事”と言える側近・古川与一(松根)は、幼少期からずっと殿の傍にいますので、本編でも序盤から登場しています。
そして“主治医”・大石良英の方は、今まで登場は1回だけだったかと思います。このときは若君・淳一郎(のちの鍋島直大)に“種痘”を施しました。
〔参考(中盤):
藩医・大石は、現在のみやき町を治める“白石鍋島家”に属しましたが、蘭方(西洋医学)に長じていたので、“佐賀本藩”に登用されたようです。
――殿・直正は、佐賀の空を見上げて、ぼんやりとしていた。
「お貢(みつ)…息災にしておるかのう…」
直正の長女・貢姫は、17歳で川越藩(埼玉)に嫁いだ。
お相手は、姫と同い年の貴公子・松平直侯。
なぜ“貴公子”と呼んだかと言えば血統が良いのだ。
御三家・水戸藩の徳川斉昭の子であり、一橋慶喜の弟である。

――言い換えれば、“攘夷派”首領の子であり、将軍候補の弟。
川越藩主となった松平直侯の周囲には、色々と政治的な思惑がはたらく。
他家から来た“跡取り”には、強い期待もかかるだろう。
直正は、嫁入りした貢姫の心中を思う…
「貢(みつ)が気掛かりじゃ!文(ふみ)を書いて励ますとしよう。」
殿・直正、ここでは単なる心配性の父親である。
――幼少の頃からの側近・古川与一(松根)が柱の影から見守る。
「殿、貢姫さまへの文でござるな。定めしご心配でありましょう…」
毎度、誰より殿の気持ちを察する、よく出来た“執事”である。
ここで10年ほど前の話に触れておく。貢姫は7歳の頃に佐賀から江戸に移った。これは大名の正室として、通用する力を身に付けるための“留学”である。
殿・直正が“教育係”として頼ったのは、“将軍の娘”だった正室・盛姫。幕府への頼み事を、大奥の人脈で通すなど“ファーストレディ”としての存在感があった。
――しかし、貢姫が江戸に移ってからわずか2年、頼りになった正室・盛姫が急逝してしまう。
古川与一の回想は続いた…
「殿にはお辛いときだったが、貢姫さまがお支えくだされた…」
この頃の直正は学問に優れた側近を病で失うなど心痛が重なっていた。
江戸では「貢姫に会える」事が、直正の精神的な支えとなっていたのである。

――そして、成長した愛娘・貢姫が嫁いだ今、簡単には会いに行けない。父・鍋島直正は手紙を書き送って、繋がりを保つのであった。
幕末の殿様には強いストレスがかかる。“心の支え”が弱まることは健康面にも影響を及ぼす。
そんなある日、直正の主治医、大石良英が問診をしている。
「殿、お身体の加減はいかかでしょうか。」
「近頃、胃の腑(ふ)に軽い痛みを感じるのう…」
「ほう、先だってもお伺いしました。未だ治まりませぬか。」
異国の動きを睨みながら、佐賀の技術開発、産業振興を進める、直正。最近では、佐賀の力を認める幕府や雄藩に注目され、幕末の政局にも巻き込まれがちである。
――西洋の事情が良く見えている、直正。いつも、気が急いていた。
「殿、あのように食事を早く召し上がられては、胃に堪えるは道理にございます。」
藩医・大石良英、けっこう言葉が厳しい。
言うなれば、ホームドクターが、“早食い”を戒めているのだ。
「…して、いかがすれば良いか。」
何やら、主治医に叱られている感じの殿様。
「ゆっくり、しっかり噛むのです!」
藩医・大石は全力で、普通の事を言った。
「…心得た。」
“普通の事”を普通に行うのは、意外と難しいのである。
(続く)
Posted by SR at 21:45 | Comments(0) | 第13話「通商条約」
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