2020年04月27日
第9話「和親条約」①
こんばんは。今回から第9話です。
――1853年5月。時間は少し遡り、ペリーの黒船来航の直前である。
すでに夏の陽射しが降り注いでいる。
佐賀城下で、恒例となった楠木正成父子を祀る集い。
「“楠公”義祭同盟」の祭典の季節が来た。
――大木喬任、江藤新平、中野方蔵の3人が会場に来ている。“例の3人組”とでも呼んでおこう。
20歳前後となった“3人組”は、枝吉神陽が差配している「義祭同盟」に参加していた。
祭典への参加に、中野は高揚していた。
現代的に言えば“テンションが高い”状態である。
中野が大きい声を出す。
「江藤くん、聞いているか!此度は“ご執政さま”が式典にお見えになるぞ!」
“ご執政さま”とは、佐賀藩の請役(ナンバー2)の鍋島安房。
以前から、“楠公”びいきで「義祭同盟」への参加を考えていた。

――3人では中野が一番年下だが、最も“尊王の志士”らしい性格である。
早く立身出世して“国家の大事”に奔走したい!
「藩の偉い人が来る」ことを、すかさず好機と捉えるのである。
中野の話の勢いが止まらない。ついでに手も出て、江藤のボサボサの髪をクシャクシャとする。
「中野…いつにも増して騒々しいな。」
一応、江藤は中野より1つ年上なのだが、“失礼”という感覚はないようだ。ただ、うるさいとは感じるらしい。
――中野は、まず立身出世を目指す。目上の人の意向を察して動くことにも長けている。
「江藤くん!貴君も“立身”するべき男だ!少し“見た目”にも気を配りたまえ!」
高揚し過ぎているのか、中野の言動には矛盾がある。結果、江藤の髪はさらにバサバサになっていた。
「中野…少し落ち着かぬか。」
しかし、江藤にも中野の“幸福感”は伝わっているらしい。少しあきれているだけである。
――大木喬任(この頃、通称を民平と名乗る)、どっしりと構えて様子を伺っている。
「大木さん!いよいよだな。」
中野は先ほどの調子で、3つ年上の大木にも語りかける。
「ん…何がだ。」
大木の反応は、江藤以上に淡々としていた。
「大木の兄さん!我らが一緒に“義祭同盟”に参集できる!喜ばしくはありませんか!」
中野にとっては、大木・江藤とともに式典に参加することに意義があるようだ。
「まぁ…喜ばしいな。」
大木もニッと笑ってみせた。中野が楽しそうなのを見て、「良かったな」という感じである。

――そして、枝吉神陽が姿を見せた。ザワついていた場の空気がピリッと引き締まる。
「今年も“楠公さま”を讃える祭典を執り行うことができる。」
神陽のよく通る声。
鐘が鳴るように四方に響く声は、常のことだ。
「そして、此度は“ご執政さま”にも、ご臨席を賜っておる!」
神陽による、参列者の紹介。
鍋島安房を筆頭に、佐賀藩の重役たちも参加している。
「おおっ!」
式典に参加した藩士たちの表情も明るい。藩の上層部からの期待を感じるのである。
――佐賀藩と“それ以外の雄藩”の大きな違いの1つ。
それは“尊王運動”の中心的な場に、藩政の上層部が参加したことである。また、活動のリーダーである枝吉神陽も、藩の指導的な役職に付いている。
「この安房も、皆とともに“楠公さま”を讃えたいと思う!」
鍋島安房が、参加する藩士たちの目線で挨拶をする。
「何とありがたきこと!」
実質的に、佐賀藩が公認している祭典なのである。
他の雄藩と違い、佐賀の尊王運動が過激化しなかった理由がここにある。
――そして鍋島安房には参加にあたって、殿・鍋島直正からの指示が出ていた。
「義祭同盟」メンバーの実情の把握と、“蘭学”への人材スカウトである。
どのように出現するかは定かではなかったが、この時点で、佐賀藩の上層部に「ペリーの黒船来航」の予定は伝わっている。
西洋列強への対策に“使える人材”の確保は急務だった。
「“弘道館”で噂の賢い者、多数が参加しておるな…」
――概ね、中野方蔵の見立ては正しかった。佐賀藩は“勉強する者”に、立身出世の門を開いていた。
先年、佐賀藩は「蘭学寮」という“西洋の学問”の専門課程を立ち上げている。
荒波のように押し寄せる“西洋文明”に対応できる人材を急ピッチで育てていたのである。
(続く)
――1853年5月。時間は少し遡り、ペリーの黒船来航の直前である。
すでに夏の陽射しが降り注いでいる。
佐賀城下で、恒例となった楠木正成父子を祀る集い。
「“楠公”義祭同盟」の祭典の季節が来た。
――大木喬任、江藤新平、中野方蔵の3人が会場に来ている。“例の3人組”とでも呼んでおこう。
20歳前後となった“3人組”は、枝吉神陽が差配している「義祭同盟」に参加していた。
祭典への参加に、中野は高揚していた。
現代的に言えば“テンションが高い”状態である。
中野が大きい声を出す。
「江藤くん、聞いているか!此度は“ご執政さま”が式典にお見えになるぞ!」
“ご執政さま”とは、佐賀藩の請役(ナンバー2)の鍋島安房。
以前から、“楠公”びいきで「義祭同盟」への参加を考えていた。

――3人では中野が一番年下だが、最も“尊王の志士”らしい性格である。
早く立身出世して“国家の大事”に奔走したい!
「藩の偉い人が来る」ことを、すかさず好機と捉えるのである。
中野の話の勢いが止まらない。ついでに手も出て、江藤のボサボサの髪をクシャクシャとする。
「中野…いつにも増して騒々しいな。」
一応、江藤は中野より1つ年上なのだが、“失礼”という感覚はないようだ。ただ、うるさいとは感じるらしい。
――中野は、まず立身出世を目指す。目上の人の意向を察して動くことにも長けている。
「江藤くん!貴君も“立身”するべき男だ!少し“見た目”にも気を配りたまえ!」
高揚し過ぎているのか、中野の言動には矛盾がある。結果、江藤の髪はさらにバサバサになっていた。
「中野…少し落ち着かぬか。」
しかし、江藤にも中野の“幸福感”は伝わっているらしい。少しあきれているだけである。
――大木喬任(この頃、通称を民平と名乗る)、どっしりと構えて様子を伺っている。
「大木さん!いよいよだな。」
中野は先ほどの調子で、3つ年上の大木にも語りかける。
「ん…何がだ。」
大木の反応は、江藤以上に淡々としていた。
「大木の兄さん!我らが一緒に“義祭同盟”に参集できる!喜ばしくはありませんか!」
中野にとっては、大木・江藤とともに式典に参加することに意義があるようだ。
「まぁ…喜ばしいな。」
大木もニッと笑ってみせた。中野が楽しそうなのを見て、「良かったな」という感じである。

――そして、枝吉神陽が姿を見せた。ザワついていた場の空気がピリッと引き締まる。
「今年も“楠公さま”を讃える祭典を執り行うことができる。」
神陽のよく通る声。
鐘が鳴るように四方に響く声は、常のことだ。
「そして、此度は“ご執政さま”にも、ご臨席を賜っておる!」
神陽による、参列者の紹介。
鍋島安房を筆頭に、佐賀藩の重役たちも参加している。
「おおっ!」
式典に参加した藩士たちの表情も明るい。藩の上層部からの期待を感じるのである。
――佐賀藩と“それ以外の雄藩”の大きな違いの1つ。
それは“尊王運動”の中心的な場に、藩政の上層部が参加したことである。また、活動のリーダーである枝吉神陽も、藩の指導的な役職に付いている。
「この安房も、皆とともに“楠公さま”を讃えたいと思う!」
鍋島安房が、参加する藩士たちの目線で挨拶をする。
「何とありがたきこと!」
実質的に、佐賀藩が公認している祭典なのである。
他の雄藩と違い、佐賀の尊王運動が過激化しなかった理由がここにある。
――そして鍋島安房には参加にあたって、殿・鍋島直正からの指示が出ていた。
「義祭同盟」メンバーの実情の把握と、“蘭学”への人材スカウトである。
どのように出現するかは定かではなかったが、この時点で、佐賀藩の上層部に「ペリーの黒船来航」の予定は伝わっている。
西洋列強への対策に“使える人材”の確保は急務だった。
「“弘道館”で噂の賢い者、多数が参加しておるな…」
――概ね、中野方蔵の見立ては正しかった。佐賀藩は“勉強する者”に、立身出世の門を開いていた。
先年、佐賀藩は「蘭学寮」という“西洋の学問”の専門課程を立ち上げている。
荒波のように押し寄せる“西洋文明”に対応できる人材を急ピッチで育てていたのである。
(続く)
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