2023年01月19日
第18話「京都見聞」⑲(“蒸気”の目覚め)
こんばんは。
1862年(文久二年)当時、尊王攘夷派の公家として、「飛ぶ鳥を落とす勢い」だったとも言われる、姉小路公知。
同年の秋には、幕府に「攘夷実行」を催促するため、盟友の公家・三条実美とともに、江戸へと向かう予定がありました。
姉小路卿が、脱藩した佐賀の下級武士・江藤新平と接点を持っていたのは、その直前の夏に3か月ほどの、わずかな期間でした。
江藤の気質ならば、貴人に媚びて持論を曲げたりはしなかったでしょう。それゆえ、この若い公家は江藤を気に入ったのかもしれません。
――急に、真っ直ぐな表情をする姉小路。
身分の高い公家という先入観を除けば、少年の面影を残すような若さがある。
「…江藤、あらためて聞く。我らは夷狄(いてき)と戦こうたら、勝てるんか。」
「いま、事を構えるのであれば、“必敗”と存じる。」
江藤は「攘夷」の旗頭とも言える、姉小路に直言した。異国の力量をよく理解しているのが、佐賀藩士の特徴でもある。

「…どないなるんや?」
「政のみならず、商いの仕組みも壊れ、民の暮らしも立ち行かぬでしょう。」
異国に海路を抑えられれば、日本沿岸を船で廻る物流網も寸断されるだろう。経済が大混乱に陥ることも容易に想像がつく。
――再び姉小路が、問いかける。
「では、いかがすれば良いのや。」
「近きうちに王政を復古せんと欲すれば、徳川に、異国との談判を任せたままではなりませぬ。」
江藤は幕府から、まず外交権を取り戻すべきと論じた。その言には、それが出来ぬならば、朝廷は政治の実権を握るべきではないという厳しさもあった。
困難な外交を受け持たずに、政治を主導できるというのは考えが浅い。江藤が語るのは、「やるからには、責任を持て」という姿勢だ。

――「難題をどうするか」を必死で考える。それも、佐賀の熱気だった。
「江藤。そなたは、やはり厳しい物言いをする。」
姉小路卿は、少しひねくれた言い振りをした。
尊王攘夷派の公家として、幕府の大老が井伊直弼だった時に、列強と結んだ修好通商条約を破棄し、異国を排除せよと主張する立場にあるからだ。
たしかに攘夷を叫ぶのは良いが、その後どうするかの手順は、誰も考えようとしない。江藤が指摘するのは、その“無責任さ”という事になる。
――幕府に“破約攘夷”を迫るだけで、後は受け持たない。
尊王攘夷派の志士たちが過熱すれば、異国と向き合う当事者として悩むのは、幕府の仕事である。
そうすれば幕閣としては舵取りに困るので、政治的に朝廷が優位を取ることができて一石二鳥だが、なにぶん人任せで、どう転ぶかはわからないのだ。

「“蒸気仕掛け”という、西洋の業がございます。」
「先だって、そなたの語った、異人が黒船を速やかに進める業やったか。」
――以前の姉小路は、佐賀に“勤王”の動きが見えないと言い放った。
その時に江藤は、長崎の警備で、異国と向き合う佐賀藩の立場を述べた。そして、西洋の進んだ技術の一例として、蒸気船を挙げた。
〔参照(中盤):第18話「京都見聞」⑭(若き公家の星)〕
「欧米では、船の部材まで、“蒸気”にて作ると聞き及びます。」
「どないして使うんや、そもそも“蒸気”とは何や?」
京で見てきた公家には「異人は嫌や!」「徳川が何とかせよ!」と繰り返すだけの者も多く居た。江藤は、姉小路の一歩進んだ問いに応じて語り始めた。

「平たく言えば、湯を沸かす力にて、鉄(くろがね)を自在に切り揃えます。」
「ほっほ…戯(たわむ)れを申すな。」
――姉小路は、いまいち得心がいかない様子だ。
しかし、江藤は真っ直ぐな目をしている。
「そなたは、戯言(ざれごと)を言うような者やないな…」
鉄瓶の蓋を動かすのも、湯を沸かす力。アメリカに渡った幕府の使節団には、数名の佐賀藩士も同行していた。
そこでは、その蒸気の力で、工業製品が大量生産されていたのである。
〔参照(中盤):第16話「攘夷沸騰」⑫(“錬金術”と闘う男)〕
「佐賀でも、蒸気を用いて、鉄が整うのか。」
「いまだ、水車を用います。」
鉄製大砲は反射炉で量産しているが、成形に利用するのは、佐賀城下を流れる多布施川などの水力だ。
〔参照(中盤):第10話「蒸気機関」⑩(佐賀の産業革命)〕

――佐賀藩ですら、蒸気機関で工業製品は作れていない。
江藤は悔しそうに、欧米列強と比べてしまえば、佐賀はひどく遅れているのだと熱弁を振るう。
「真に熱いんは、そなたら佐賀の者やもしれんな。」
姉小路は、少し呆れたような表情を見せた。江藤の言葉には、いちいち刺さるものがある。
若き公家の心のうちには、何か攘夷を叫ぶ事とは別の、新しい“熱気”が生じ始めていた。
(続く)
1862年(文久二年)当時、尊王攘夷派の公家として、「飛ぶ鳥を落とす勢い」だったとも言われる、姉小路公知。
同年の秋には、幕府に「攘夷実行」を催促するため、盟友の公家・三条実美とともに、江戸へと向かう予定がありました。
姉小路卿が、脱藩した佐賀の下級武士・江藤新平と接点を持っていたのは、その直前の夏に3か月ほどの、わずかな期間でした。
江藤の気質ならば、貴人に媚びて持論を曲げたりはしなかったでしょう。それゆえ、この若い公家は江藤を気に入ったのかもしれません。
――急に、真っ直ぐな表情をする姉小路。
身分の高い公家という先入観を除けば、少年の面影を残すような若さがある。
「…江藤、あらためて聞く。我らは夷狄(いてき)と戦こうたら、勝てるんか。」
「いま、事を構えるのであれば、“必敗”と存じる。」
江藤は「攘夷」の旗頭とも言える、姉小路に直言した。異国の力量をよく理解しているのが、佐賀藩士の特徴でもある。
「…どないなるんや?」
「政のみならず、商いの仕組みも壊れ、民の暮らしも立ち行かぬでしょう。」
異国に海路を抑えられれば、日本沿岸を船で廻る物流網も寸断されるだろう。経済が大混乱に陥ることも容易に想像がつく。
――再び姉小路が、問いかける。
「では、いかがすれば良いのや。」
「近きうちに王政を復古せんと欲すれば、徳川に、異国との談判を任せたままではなりませぬ。」
江藤は幕府から、まず外交権を取り戻すべきと論じた。その言には、それが出来ぬならば、朝廷は政治の実権を握るべきではないという厳しさもあった。
困難な外交を受け持たずに、政治を主導できるというのは考えが浅い。江藤が語るのは、「やるからには、責任を持て」という姿勢だ。
――「難題をどうするか」を必死で考える。それも、佐賀の熱気だった。
「江藤。そなたは、やはり厳しい物言いをする。」
姉小路卿は、少しひねくれた言い振りをした。
尊王攘夷派の公家として、幕府の大老が井伊直弼だった時に、列強と結んだ修好通商条約を破棄し、異国を排除せよと主張する立場にあるからだ。
たしかに攘夷を叫ぶのは良いが、その後どうするかの手順は、誰も考えようとしない。江藤が指摘するのは、その“無責任さ”という事になる。
――幕府に“破約攘夷”を迫るだけで、後は受け持たない。
尊王攘夷派の志士たちが過熱すれば、異国と向き合う当事者として悩むのは、幕府の仕事である。
そうすれば幕閣としては舵取りに困るので、政治的に朝廷が優位を取ることができて一石二鳥だが、なにぶん人任せで、どう転ぶかはわからないのだ。

「“蒸気仕掛け”という、西洋の業がございます。」
「先だって、そなたの語った、異人が黒船を速やかに進める業やったか。」
――以前の姉小路は、佐賀に“勤王”の動きが見えないと言い放った。
その時に江藤は、長崎の警備で、異国と向き合う佐賀藩の立場を述べた。そして、西洋の進んだ技術の一例として、蒸気船を挙げた。
〔参照(中盤):
「欧米では、船の部材まで、“蒸気”にて作ると聞き及びます。」
「どないして使うんや、そもそも“蒸気”とは何や?」
京で見てきた公家には「異人は嫌や!」「徳川が何とかせよ!」と繰り返すだけの者も多く居た。江藤は、姉小路の一歩進んだ問いに応じて語り始めた。

「平たく言えば、湯を沸かす力にて、鉄(くろがね)を自在に切り揃えます。」
「ほっほ…戯(たわむ)れを申すな。」
――姉小路は、いまいち得心がいかない様子だ。
しかし、江藤は真っ直ぐな目をしている。
「そなたは、戯言(ざれごと)を言うような者やないな…」
鉄瓶の蓋を動かすのも、湯を沸かす力。アメリカに渡った幕府の使節団には、数名の佐賀藩士も同行していた。
そこでは、その蒸気の力で、工業製品が大量生産されていたのである。
〔参照(中盤):
「佐賀でも、蒸気を用いて、鉄が整うのか。」
「いまだ、水車を用います。」
鉄製大砲は反射炉で量産しているが、成形に利用するのは、佐賀城下を流れる多布施川などの水力だ。
〔参照(中盤):
――佐賀藩ですら、蒸気機関で工業製品は作れていない。
江藤は悔しそうに、欧米列強と比べてしまえば、佐賀はひどく遅れているのだと熱弁を振るう。
「真に熱いんは、そなたら佐賀の者やもしれんな。」
姉小路は、少し呆れたような表情を見せた。江藤の言葉には、いちいち刺さるものがある。
若き公家の心のうちには、何か攘夷を叫ぶ事とは別の、新しい“熱気”が生じ始めていた。
(続く)