2022年02月08日
第17話「佐賀脱藩」⑱(青葉茂れる頃に)
こんばんは。前回の続きです。ついに、この話を書かねばならなくなりました。
大木喬任(民平)・江藤新平の親友・中野方蔵。江戸の牢獄につながれたまま、釈放の見通しはたちません。
中野が捕縛された直後(3日ほど後と言われる)の“坂下門外の変”が暗い影を落としています。
佐賀藩内で一定の影響力を持つ、師匠・枝吉神陽や先輩・副島種臣も、幕府との軋轢(あつれき)を恐れた保守派の手回しか、打開は難しかったようです。
絶望的な状況の中で、中野は佐賀での青春の日々を回想していました。
――10年ばかり前。佐賀藩校・弘道館近く。
さすがに勉学に熱が入り過ぎた、議論疲れもした。ほどよい草むらを見つけ、ごろりと仰向けになる三人。
「青空だな…天下危急の折にも、のんびりしたもんだ。」
「天は動じず、雲は自在に変じるか。」
「大木兄さん、江藤くん。お二人とも、漢詩でも詠むのですか。」
「中野、何やら言い方にトゲのあるごたぞ。」
山のような書籍を読み疲れた、大木が少しごにゃごにゃと言う。

――「中野、お主の存念を聞こうか。」
あまり周囲の空気を読まない江藤だが、中野が何かを語りたがっているのは、わかるようだ。
「さすがは江藤くん、そう来なくては。」
中野が、勢いよく言葉を返す。
「雲を見てください。」
「…本日も、モクモクと威勢の良いことだ。“雲見酒”も良いかもな。」
本日、これからは用事も無い。酒好きの大木は、飲みたいらしい。
――その一方で、中野はまだ語りたいようだ。
「常日頃の“佐賀ん雲”だな。そこに中野は何を見る。」
江藤が問う。傍目(はため)には仰向けで、だらりとした書生3人。
「今、まさに変じようとしている“国の形”です。」
佐賀の青くて、近いような空。白い雲が風に乗り、形を変えていく。
「…そうか、お主が語りたいのは“国体”か。」
次第に、幕末の熱気を帯びてくる。ようやく大木も中野の話に乗ってきた。

――中野は、より熱く語る。
「雲はくっついて離れて、また形を変じる。」
「…たしかに“政”(まつりごと)の如しだな。」
「我らが“風”となり、雲を集めて行かねばなりません。」
朝廷が中心となり、民が等しくその下に集う国の形。その力になるという中野の決意表明だ。
「いつもの“佐賀ん雲”から、そこまで語るか。」
大木は感心したか、呆れたか。楽しそうではあるが、複雑な表情を見せる。
――サーッと、楠(くすのき)の枝葉に風がそよぐ。
「なれば、寄り集まった後の、仕組みづくりが入り用だな。」
江藤は、中野の話の続きを語った。
「そうです。その場には、江藤くんと大木兄さんが居れば間違いない。」
「…よし、わかった。中野が、我らを先導しろ。」
「はい!きっと、我ら三人で“国事”を動かす日が来るはずです。」
この3人の中では、一番年少の中野。元気よく、まとめの言葉を放った。

――江戸の牢獄。そんな青春の日々が遠い。
「…もう一度、佐賀の空が見たかね…。」
何やら胃の腑(ふ)が苦しい。仰向けとなった中野の眼前に見えるのは、ただ暗い牢の天井である。
すると、腹部全体にグッと激痛が走った。
「…これは、毒をもられている!?」
吐き戻そうにも、総身に痛みが回ったような感覚だ。意識は遠のいていく。
佐賀に残した家族が心配だ…、郷里の空に描いた志も果たせそうにない。
――文久二年の五月。
「大木兄さん、江藤くん。すまない…後を頼んだ。」
中野方蔵が世を去ったのは、初夏の青葉が茂れる頃。佐賀の“義祭同盟”の仲間たちが敬愛する“勤王の象徴”・楠木正成の命日だったという。
(続く)
大木喬任(民平)・江藤新平の親友・中野方蔵。江戸の牢獄につながれたまま、釈放の見通しはたちません。
中野が捕縛された直後(3日ほど後と言われる)の“坂下門外の変”が暗い影を落としています。
佐賀藩内で一定の影響力を持つ、師匠・枝吉神陽や先輩・副島種臣も、幕府との軋轢(あつれき)を恐れた保守派の手回しか、打開は難しかったようです。
絶望的な状況の中で、中野は佐賀での青春の日々を回想していました。
――10年ばかり前。佐賀藩校・弘道館近く。
さすがに勉学に熱が入り過ぎた、議論疲れもした。ほどよい草むらを見つけ、ごろりと仰向けになる三人。
「青空だな…天下危急の折にも、のんびりしたもんだ。」
「天は動じず、雲は自在に変じるか。」
「大木兄さん、江藤くん。お二人とも、漢詩でも詠むのですか。」
「中野、何やら言い方にトゲのあるごたぞ。」
山のような書籍を読み疲れた、大木が少しごにゃごにゃと言う。
――「中野、お主の存念を聞こうか。」
あまり周囲の空気を読まない江藤だが、中野が何かを語りたがっているのは、わかるようだ。
「さすがは江藤くん、そう来なくては。」
中野が、勢いよく言葉を返す。
「雲を見てください。」
「…本日も、モクモクと威勢の良いことだ。“雲見酒”も良いかもな。」
本日、これからは用事も無い。酒好きの大木は、飲みたいらしい。
――その一方で、中野はまだ語りたいようだ。
「常日頃の“佐賀ん雲”だな。そこに中野は何を見る。」
江藤が問う。傍目(はため)には仰向けで、だらりとした書生3人。
「今、まさに変じようとしている“国の形”です。」
佐賀の青くて、近いような空。白い雲が風に乗り、形を変えていく。
「…そうか、お主が語りたいのは“国体”か。」
次第に、幕末の熱気を帯びてくる。ようやく大木も中野の話に乗ってきた。
――中野は、より熱く語る。
「雲はくっついて離れて、また形を変じる。」
「…たしかに“政”(まつりごと)の如しだな。」
「我らが“風”となり、雲を集めて行かねばなりません。」
朝廷が中心となり、民が等しくその下に集う国の形。その力になるという中野の決意表明だ。
「いつもの“佐賀ん雲”から、そこまで語るか。」
大木は感心したか、呆れたか。楽しそうではあるが、複雑な表情を見せる。
――サーッと、楠(くすのき)の枝葉に風がそよぐ。
「なれば、寄り集まった後の、仕組みづくりが入り用だな。」
江藤は、中野の話の続きを語った。
「そうです。その場には、江藤くんと大木兄さんが居れば間違いない。」
「…よし、わかった。中野が、我らを先導しろ。」
「はい!きっと、我ら三人で“国事”を動かす日が来るはずです。」
この3人の中では、一番年少の中野。元気よく、まとめの言葉を放った。
――江戸の牢獄。そんな青春の日々が遠い。
「…もう一度、佐賀の空が見たかね…。」
何やら胃の腑(ふ)が苦しい。仰向けとなった中野の眼前に見えるのは、ただ暗い牢の天井である。
すると、腹部全体にグッと激痛が走った。
「…これは、毒をもられている!?」
吐き戻そうにも、総身に痛みが回ったような感覚だ。意識は遠のいていく。
佐賀に残した家族が心配だ…、郷里の空に描いた志も果たせそうにない。
――文久二年の五月。
「大木兄さん、江藤くん。すまない…後を頼んだ。」
中野方蔵が世を去ったのは、初夏の青葉が茂れる頃。佐賀の“義祭同盟”の仲間たちが敬愛する“勤王の象徴”・楠木正成の命日だったという。
(続く)