2022年08月03日
連続ブログ小説「聖地の剣」(7)君よ、最短距離を行け
暑中お見舞い申し上げます。
「連続ブログ小説」と銘打っているわりに、他の話題にも触れがちな私です。寄り道が多いと言っても良いのかもしれません。
ひとまず、この夏に入る前に実行した“帰藩”の話を再開します。佐賀駅に降り立ってから、1時間程度が経過した時点です。
「幕末佐賀藩の大河ドラマ」をイメージすれば、“聖地”が満載の佐賀。予期せぬところで、いきなり主要登場人物の1人が、私の眼前に現れます。
――進むべきは佐賀城か、県立博物館か。それが問題だ。
私は佐賀藩士(?)として、左手にあるお城に参じたくなってしまう。しかし今回の目的は、右手の県立博物館の側にある“維新博メモリアル展示”の方だ。
開催中に足を運べなかったものだから、どうしても2018年の「肥前さが幕末・維新博覧会」の空気に触れたい。
――この辺り、実際に会場に行った方々は…
少し優越感に浸る事が可能である。私は、まだ博覧会の残像を追い求めているのだから。
そこそこに雨は降っていたらしい。博物館前の路面も芝生も少し濡れている。時折、小雨のパラつくものの、天気は持ちこたえている。
佐賀の誇る日本の西洋画家・岡田三郎助アトリエを横目に、入口へと向かう。

――ああ…もう少し、佐賀での時間がほしい。
館内に入ると、正面に行き当たるのが、博覧会の置き土産である、記念映像が見られるブース。
当時の博覧会場で上映されていた映像を見ることを楽しみにしていた。そう、コロナ禍で佐賀と隔てられてから、ずっと願っていた。
ご覧になった方には、映像の中の「鍋島が動いた!」という旨のセリフを記憶する人もいるだろう。
――私が思うには「その時、歴史が動いた。」のである。
厳密に言えば、「勝負あった」と言うべきかもしれない。
ここで佐賀藩がやむを得ず、新政府側に付いたことで、戊辰戦争が“亡国の内戦”になる事は避けられたというのが、私の理解である。
ところで、上映時間までには結構、空き時間があった。

――それはパビリオンなのか、ブースなんだか…
私は、幕末の佐賀藩を見せてくれるらしい博物館内の“白い構造物”の周囲を回ってみた。
次の瞬間。「うっ…!」と思った。ある人物が、私の方を向いていたからである。
「なにかと寄り道の多い、貴君にしては、今度はまっすぐ来られたようだな。」

――「もしや貴方は…!」私は意表を突かれた。
一段高いところから、周囲を見渡すような姿。それにしても白い…、白い大隈重信(八太郎)である。こうして、期せず“ホワイト大隈”と相見える私だった。
私の見てきた限り、大隈重信の像は、佐賀市の中心部で他にも2箇所ある。
個人的には、『駅前まちかど広場』にある青年期の像を“グリーン大隈”と。『大隈重信記念館』の少しご年配の像を“ブロンズ大隈”と勝手に呼称する。
――まさに働き盛りの30代。そんな“ホワイト大隈”が見つめる先には…
「大隈先生!まさか…見つめる先は、海ですか?」
「そうだ、陸の道を進めずとも、あきらめてはならんのである!」

「…君よ!最短距離を行くんである。」
出た大隈節。嫌な予感がする。「海の上を走るべし」とか言いますか。
鹿島の“ガタリンピック”じゃあるまいし。
「お言葉を返すようですが、引き潮の時の有明海と同じに見てはいけません。相手は東京湾です!」
「そがん、恐れてはならんばい。我らには佐賀が培った“力”があるんである。」
(続く)
「連続ブログ小説」と銘打っているわりに、他の話題にも触れがちな私です。寄り道が多いと言っても良いのかもしれません。
ひとまず、この夏に入る前に実行した“帰藩”の話を再開します。佐賀駅に降り立ってから、1時間程度が経過した時点です。
「幕末佐賀藩の大河ドラマ」をイメージすれば、“聖地”が満載の佐賀。予期せぬところで、いきなり主要登場人物の1人が、私の眼前に現れます。
――進むべきは佐賀城か、県立博物館か。それが問題だ。
私は佐賀藩士(?)として、左手にあるお城に参じたくなってしまう。しかし今回の目的は、右手の県立博物館の側にある“維新博メモリアル展示”の方だ。
開催中に足を運べなかったものだから、どうしても2018年の「肥前さが幕末・維新博覧会」の空気に触れたい。
――この辺り、実際に会場に行った方々は…
少し優越感に浸る事が可能である。私は、まだ博覧会の残像を追い求めているのだから。
そこそこに雨は降っていたらしい。博物館前の路面も芝生も少し濡れている。時折、小雨のパラつくものの、天気は持ちこたえている。
佐賀の誇る日本の西洋画家・岡田三郎助アトリエを横目に、入口へと向かう。
――ああ…もう少し、佐賀での時間がほしい。
館内に入ると、正面に行き当たるのが、博覧会の置き土産である、記念映像が見られるブース。
当時の博覧会場で上映されていた映像を見ることを楽しみにしていた。そう、コロナ禍で佐賀と隔てられてから、ずっと願っていた。
ご覧になった方には、映像の中の「鍋島が動いた!」という旨のセリフを記憶する人もいるだろう。
――私が思うには「その時、歴史が動いた。」のである。
厳密に言えば、「勝負あった」と言うべきかもしれない。
ここで佐賀藩がやむを得ず、新政府側に付いたことで、戊辰戦争が“亡国の内戦”になる事は避けられたというのが、私の理解である。
ところで、上映時間までには結構、空き時間があった。
――それはパビリオンなのか、ブースなんだか…
私は、幕末の佐賀藩を見せてくれるらしい博物館内の“白い構造物”の周囲を回ってみた。
次の瞬間。「うっ…!」と思った。ある人物が、私の方を向いていたからである。
「なにかと寄り道の多い、貴君にしては、今度はまっすぐ来られたようだな。」
――「もしや貴方は…!」私は意表を突かれた。
一段高いところから、周囲を見渡すような姿。それにしても白い…、白い大隈重信(八太郎)である。こうして、期せず“ホワイト大隈”と相見える私だった。
私の見てきた限り、大隈重信の像は、佐賀市の中心部で他にも2箇所ある。
個人的には、『駅前まちかど広場』にある青年期の像を“グリーン大隈”と。『大隈重信記念館』の少しご年配の像を“ブロンズ大隈”と勝手に呼称する。
――まさに働き盛りの30代。そんな“ホワイト大隈”が見つめる先には…
「大隈先生!まさか…見つめる先は、海ですか?」
「そうだ、陸の道を進めずとも、あきらめてはならんのである!」
「…君よ!最短距離を行くんである。」
出た大隈節。嫌な予感がする。「海の上を走るべし」とか言いますか。
鹿島の“ガタリンピック”じゃあるまいし。
「お言葉を返すようですが、引き潮の時の有明海と同じに見てはいけません。相手は東京湾です!」
「そがん、恐れてはならんばい。我らには佐賀が培った“力”があるんである。」
(続く)
Posted by SR at 22:11 | Comments(0) | 連続ブログ小説「聖地の剣」
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