2022年07月16日
連続ブログ小説「聖地の剣」(1)佐賀への帰還
こんばんは。
全国的にまた、新型コロナの感染が拡大傾向で、佐賀県の数値が高止まりしているのが、気にかかっているところです。
一方で、ここ数年の成果なのか、従前よりは対策も見えてきて、重症者も少ない印象を持っています。
私は2年半もの間、佐賀を語り続けながらも、郷里に戻れない状況が続きましたが、この度の“波”が来る前に、何とか“帰藩”を果たしました。
――ある、佐賀出身者の“旅の記録”として、お読みいただきたい。
厳密に言えば親族にも会えていないし、帰省と言えるのかはあやしい。
「いつやるか…と問われれば、今しかないか。」
短時間の滞在だったが、判断は現在の状況から見れば正しかったようだ。
たしかに“コロナ禍”の問題もあるが、私の日々は次第にかつての仕事一辺倒の生活に近づきつつあるからだ。
そんな時、私は現在暮らす街で、郷里・佐賀への想いを語る者に出会った記憶が過(よぎ)る。たった数分の会話だったが、与えられた影響は大きい。
〔参照:「発心の剣」〕
あの時が「発心」だとすれば、まさに今は「修行」を積んでいるところである。
――おそらくは「人生のために、仕事をする」のであり…
よほどの天職に出会った方を除けば「仕事のために、人生がある」のではないのだろう。これは、自分に言い聞かせておく。
そして、なにゆえ私の能力では進める事も難しい「幕末佐賀藩の大河ドラマ」を語りたいのか。

答えは“佐賀の風”に問うほかは無さそうだ。いま一度、私自身の立ち位置を確かめるべく、佐賀へと発った。
その日、天気の予報は雨だった。急ぐ道中にも、降り注ぐ雨を目にしていた。
――「さが、さが~」と、構内にアナウンスが響く。
佐賀駅のホームに至る。駅名の看板には「かささぎ」。別名を“かちがらす”。「勝ち、勝ち」と鳴くもんだから、とても縁起が良いと聞く。
最近は、個体数も減っている印象と聞くが、おそらく佐賀の人には説明も不要の“県鳥”である。
――当たり前だが、見る物すべてが“佐賀”だ。
普通の“佐賀県の出身者”から見れば、当シリーズでの私の反応は、奇妙に感じられるだろう。
しかし「幕末佐賀藩の大河ドラマ」を語りたい身であれば、ここは“聖地”への入口だと認識せねばならない。もはや、空気感からして違う。
なお数年前の私は、佐賀の歴史にさほどの興味を持っておらず、強い郷土愛も発現していなかった。
ある意味、昔の方が“常識人”だったが、今となっては「ついに佐賀への帰藩を果たした!」とか、言い出す始末である。ここは暖かく見守ってほしい。
――「いま…間違いなく、佐賀にいる。」
この事実は、私の心を安んじた。相当、無理のあるスケジュールを組んだが、少し頑張れば帰って来られるのだ。
駅のホームには、佐賀に日本一の数があるという、“えびす像”も鎮座する。しかもプラットホームにおわす“えびす様”は、「旅立ち」の名を冠するという。

以前も“コロナ禍”で移動自粛の真っ只中に、自由に佐賀で活動できた時期を想い出して「旅立の剣」という、“旅日記”を綴った事がある。
〔参照:連続ブログ小説「旅立の剣」(1)佐賀への旅立ち〕
前回から見守られていたような気がして、私はえびす様に一礼した。そして、写真を撮りそこなった。
――「…これだ。きっと、これが本来の私だ。」
一礼に集中し、写真は撮っていない。少々、間の抜けたところは否めないが、日々に霞みがちだった、“自分”を取り戻していく感覚がある。
こうしてえびす様の姿は本記事には載らないが、『さがファンブログ』では写真をよくお見かけする。これも佐賀城下では、お馴染みの風景なのだろう。
佐賀市内の人なら、すぐに見られる“旅立ち恵比須”だが、遠方から来ることで旅立ちという言葉にも感慨が生じる。
雨模様なのは仕方なしとして、数年ぶりの佐賀はわりと涼しげに帰還を果たした私を迎えてくれた。
(続く)
全国的にまた、新型コロナの感染が拡大傾向で、佐賀県の数値が高止まりしているのが、気にかかっているところです。
一方で、ここ数年の成果なのか、従前よりは対策も見えてきて、重症者も少ない印象を持っています。
私は2年半もの間、佐賀を語り続けながらも、郷里に戻れない状況が続きましたが、この度の“波”が来る前に、何とか“帰藩”を果たしました。
――ある、佐賀出身者の“旅の記録”として、お読みいただきたい。
厳密に言えば親族にも会えていないし、帰省と言えるのかはあやしい。
「いつやるか…と問われれば、今しかないか。」
短時間の滞在だったが、判断は現在の状況から見れば正しかったようだ。
たしかに“コロナ禍”の問題もあるが、私の日々は次第にかつての仕事一辺倒の生活に近づきつつあるからだ。
そんな時、私は現在暮らす街で、郷里・佐賀への想いを語る者に出会った記憶が過(よぎ)る。たった数分の会話だったが、与えられた影響は大きい。
〔参照:
あの時が「発心」だとすれば、まさに今は「修行」を積んでいるところである。
――おそらくは「人生のために、仕事をする」のであり…
よほどの天職に出会った方を除けば「仕事のために、人生がある」のではないのだろう。これは、自分に言い聞かせておく。
そして、なにゆえ私の能力では進める事も難しい「幕末佐賀藩の大河ドラマ」を語りたいのか。
答えは“佐賀の風”に問うほかは無さそうだ。いま一度、私自身の立ち位置を確かめるべく、佐賀へと発った。
その日、天気の予報は雨だった。急ぐ道中にも、降り注ぐ雨を目にしていた。
――「さが、さが~」と、構内にアナウンスが響く。
佐賀駅のホームに至る。駅名の看板には「かささぎ」。別名を“かちがらす”。「勝ち、勝ち」と鳴くもんだから、とても縁起が良いと聞く。
最近は、個体数も減っている印象と聞くが、おそらく佐賀の人には説明も不要の“県鳥”である。
――当たり前だが、見る物すべてが“佐賀”だ。
普通の“佐賀県の出身者”から見れば、当シリーズでの私の反応は、奇妙に感じられるだろう。
しかし「幕末佐賀藩の大河ドラマ」を語りたい身であれば、ここは“聖地”への入口だと認識せねばならない。もはや、空気感からして違う。
なお数年前の私は、佐賀の歴史にさほどの興味を持っておらず、強い郷土愛も発現していなかった。
ある意味、昔の方が“常識人”だったが、今となっては「ついに佐賀への帰藩を果たした!」とか、言い出す始末である。ここは暖かく見守ってほしい。
――「いま…間違いなく、佐賀にいる。」
この事実は、私の心を安んじた。相当、無理のあるスケジュールを組んだが、少し頑張れば帰って来られるのだ。
駅のホームには、佐賀に日本一の数があるという、“えびす像”も鎮座する。しかもプラットホームにおわす“えびす様”は、「旅立ち」の名を冠するという。
以前も“コロナ禍”で移動自粛の真っ只中に、自由に佐賀で活動できた時期を想い出して「旅立の剣」という、“旅日記”を綴った事がある。
〔参照:
前回から見守られていたような気がして、私はえびす様に一礼した。そして、写真を撮りそこなった。
――「…これだ。きっと、これが本来の私だ。」
一礼に集中し、写真は撮っていない。少々、間の抜けたところは否めないが、日々に霞みがちだった、“自分”を取り戻していく感覚がある。
こうしてえびす様の姿は本記事には載らないが、『さがファンブログ』では写真をよくお見かけする。これも佐賀城下では、お馴染みの風景なのだろう。
佐賀市内の人なら、すぐに見られる“旅立ち恵比須”だが、遠方から来ることで旅立ちという言葉にも感慨が生じる。
雨模様なのは仕方なしとして、数年ぶりの佐賀はわりと涼しげに帰還を果たした私を迎えてくれた。
(続く)
Posted by SR at 20:49 | Comments(0) | 連続ブログ小説「聖地の剣」
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