2020年10月06日
第14話「遣米使節」⑥(月が綺麗ですね)
こんばんは。
“本編”を再開します。
かつて明治の文豪・夏目漱石は英語の「アイラブユー」を「我、君を愛す」と訳した学生に、ある指摘をしたと言われます。

「日本人は、あまり直接的な表現を使わない。“月が綺麗ですね”とでも訳しておくと良い」と…。今回の投稿は、そんな話も頭の片隅においてご覧ください。
――佐賀城下の夕暮れ。江藤家の門前。
就職活動とでも言うべきか、“火術方”への挨拶に出向いた江藤新平。
気合いが入り過ぎて、たまたま門前に居た蓮池藩士に、いつも以上に通った声で話しかけて驚かれた。
しかし、江藤の学力は、佐賀藩の“火術方”(大砲など火器を取扱う部門)でも知られており、挨拶そのものは、順調な展開となった。
「只今、戻りました。」
出迎える江藤家の面々、母・浅子が様子を伺う。
「いかがでしたか。」
「概ね、良かろうと存じます。」
――話をこの日の朝方に戻す。“火術方”への挨拶の出発前。
「これより“火術方”に出向きます。」
江藤が、母・浅子に出立を告げた、その時。
「お待ちください!」
小走りに玄関に来たのは、従姉(いとこ)の江口千代子である。

――かなり息が弾んでいる、江口千代子。
「そのように急ぎ足で、いかがしたのです。」
江藤が、駆け込んできた千代子に尋ねる。
その手には、鬢(びん)付け油が握られていた。
「…これをお使いに。」
「いささか高価なものと見受けるが。」
――江藤新平、得心のいかない表情で千代子を見つめる。
「日頃の…、倹約の賜物にございます。」
まだ、息の乱れがある千代子。随分、走った様子だ。
「新平。千代子さんのご厚意です。有難く使うのです。」
江藤の母・浅子が、確信を持った声で述べる。
――“いつもボサボサ”江藤の髪だが、千代子の“鬢付け油”で整った。
学問以外は、質素倹約。とにかく身なりを気にしない江藤新平。
なんとか髪だけは格好がついて“火術方”での挨拶となった。
何かと江藤家に来ることが多い従姉の千代子。新平の1歳年上である。この日の夕刻にも、江藤の母・浅子の手伝いに来ていた。
「千代子どの、朝方は忝(かたじけ)ない。」
江藤が、台所に居る千代子に礼を述べる。
「いえいえ、良き首尾だったご様子。何よりにございます。」
唯々、嬉しそうな千代子の表情である。

――そして宵闇に移り行く、佐賀城下の空。
「家まで、お送り致そう。」
江藤新平が、帰り支度をする千代子に声をかける。
庭先に出ると、大きい月が宵の空を照らし始めていた。
同じ瞬間に、夜空を見上げた2人。
「千代子どの!今宵は、綺麗な月だな。」
「ええ、とっても。」
――千代子は、きゅっと、小さく右拳を握った。
江藤の言葉を遠回しな“愛の告白”と受けとめたのである。
もともと、江藤家に入り浸っていた従姉の千代子。
江藤の両親も、いい加減、新平には、身を固めてほしい…と考えていた。
全く不都合のない結婚話は、トントンと進む。
聡明な妻・千代子は、溢れる才気を持った江藤新平にとって良き理解者となるのである。
(続く)
“本編”を再開します。
かつて明治の文豪・夏目漱石は英語の「アイラブユー」を「我、君を愛す」と訳した学生に、ある指摘をしたと言われます。
「日本人は、あまり直接的な表現を使わない。“月が綺麗ですね”とでも訳しておくと良い」と…。今回の投稿は、そんな話も頭の片隅においてご覧ください。
――佐賀城下の夕暮れ。江藤家の門前。
就職活動とでも言うべきか、“火術方”への挨拶に出向いた江藤新平。
気合いが入り過ぎて、たまたま門前に居た蓮池藩士に、いつも以上に通った声で話しかけて驚かれた。
しかし、江藤の学力は、佐賀藩の“火術方”(大砲など火器を取扱う部門)でも知られており、挨拶そのものは、順調な展開となった。
「只今、戻りました。」
出迎える江藤家の面々、母・浅子が様子を伺う。
「いかがでしたか。」
「概ね、良かろうと存じます。」
――話をこの日の朝方に戻す。“火術方”への挨拶の出発前。
「これより“火術方”に出向きます。」
江藤が、母・浅子に出立を告げた、その時。
「お待ちください!」
小走りに玄関に来たのは、従姉(いとこ)の江口千代子である。

――かなり息が弾んでいる、江口千代子。
「そのように急ぎ足で、いかがしたのです。」
江藤が、駆け込んできた千代子に尋ねる。
その手には、鬢(びん)付け油が握られていた。
「…これをお使いに。」
「いささか高価なものと見受けるが。」
――江藤新平、得心のいかない表情で千代子を見つめる。
「日頃の…、倹約の賜物にございます。」
まだ、息の乱れがある千代子。随分、走った様子だ。
「新平。千代子さんのご厚意です。有難く使うのです。」
江藤の母・浅子が、確信を持った声で述べる。
――“いつもボサボサ”江藤の髪だが、千代子の“鬢付け油”で整った。
学問以外は、質素倹約。とにかく身なりを気にしない江藤新平。
なんとか髪だけは格好がついて“火術方”での挨拶となった。
何かと江藤家に来ることが多い従姉の千代子。新平の1歳年上である。この日の夕刻にも、江藤の母・浅子の手伝いに来ていた。
「千代子どの、朝方は忝(かたじけ)ない。」
江藤が、台所に居る千代子に礼を述べる。
「いえいえ、良き首尾だったご様子。何よりにございます。」
唯々、嬉しそうな千代子の表情である。
――そして宵闇に移り行く、佐賀城下の空。
「家まで、お送り致そう。」
江藤新平が、帰り支度をする千代子に声をかける。
庭先に出ると、大きい月が宵の空を照らし始めていた。
同じ瞬間に、夜空を見上げた2人。
「千代子どの!今宵は、綺麗な月だな。」
「ええ、とっても。」
――千代子は、きゅっと、小さく右拳を握った。
江藤の言葉を遠回しな“愛の告白”と受けとめたのである。
もともと、江藤家に入り浸っていた従姉の千代子。
江藤の両親も、いい加減、新平には、身を固めてほしい…と考えていた。
全く不都合のない結婚話は、トントンと進む。
聡明な妻・千代子は、溢れる才気を持った江藤新平にとって良き理解者となるのである。
(続く)
Posted by SR at 22:23 | Comments(0) | 第14話「遣米使節」
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