2020年04月01日
第7話「尊王義祭」⑨
こんばんは。
新型コロナウイルスが猛威を奮う中ですが、新年度がスタートしましたね。今日から、新しい場所、新しい仕事、新しい人間関係…気疲れしている人も多いかと思います。
今回の後半で、久しぶりに佐野常民が登場します。新しい出会いは、なんと京都の街中でした。但し、スタートの場面は、佐賀の武雄からです。
――佐賀藩・武雄領。鍋島直正、久々に温泉に浸かる。
「さすがに…疲れたな。」
武雄の湯は、もちろん疲労にも効く
直正は、老中・阿部正弘をはじめ、幕府の中枢に対して、一刻も早く異国船の脅威に備えるよう説得を続けていた。
その頃の佐賀藩は、鉄製大砲の開発、長崎砲台の整備と、他藩の大名たちが未だ“太平の眠り”に浸かる中、ひた走っていたのである。
――直正が武雄に来た目的は、温泉で身体を労わるだけではない。
「茂義どの。武雄の湯は相変わらず効きますな。生き返ったようでござる。」
直正は、“武雄のご隠居”鍋島茂義と会っていた。
「殿。我が庭では“蜜柑”も作っておるのだ。」
屋敷からミカンを持ってきた茂義。
「おおっ、良い色合い。そして、美味ござるな!」
直正は、幼少の頃より、14歳年上の茂義を兄のように慕っていた。殿の立場を忘れたかのように、もらったミカンをすぐに食べる。
――そして、急に真面目な話をする2人。
「茂義どの。実は、枝吉神陽にも“蘭学”を学ぶよう勧めたが、首尾よくはいかぬ。」
「そうか。神陽が“蘭学”を学べば、さぞ“賢い若者”が続くと思ったのだが…」
茂義、残念そうな顔をする。“蘭学の先駆者”も、もう50歳を過ぎていた。
「そうじゃ、あの男。佐野栄寿(常民)はどうなったか!?」
直正は“蘭学を学ぶ者”として、佐野を見込み、有能な人材の発掘(スカウト)も期待していた。
「佐野か…上方(京・大坂)で医術の修業に励んでおるそうだ。」
茂義は、佐賀の“蘭学”人脈(ネットワーク)の元締めのような人物である。佐野の近況もある程度は掴んでいるようだ。
――少し時を遡るが、佐野栄寿は京都にいた。“時習堂”という蘭学塾の門下生だった。

京都の街中の禅寺。佐野が気分転換に辺りの散歩をしている。
「そがんこつば言われても、医者になりたかけん、修業ばしとるばい!」
佐賀弁での独り言である。
実は「蘭学を修めた技術者のスカウト」という期待が重荷のようだ。
――先ほどの寺の近く、繁華街である神社の門前。賑やかな芝居小屋があった。出し物は…
「さぁ、お立合い!お立合い!儀右衛門の“からくり”が見られるよ!」
呼び込みの男の口上である。
ドンドン!!
そして、太鼓の音。
「何だ…」
ふらりと立ち寄る佐野。
――なんと、人形が弓を曳いている。
シュッ!
人形が放った矢は的に「コツン!」と当たった。
「お~っ!凄かごた!」
目を輝かせる佐野。
まるで、神社の祭りに来た子どもである。
「さぁ、次は“書”をする人形だよ!」
なんと、人形が文字まで書くのか…佐野は悩みを忘れていた。
――人形の動きは、見事な“からくり”(機械)仕掛けだった。「会いたい!この人形を作った人に会いたい!」佐野は終演後も留まった。
「あんた、何か用ね!?」
50歳くらい、顎に髭を生やした“おじさん”が現れる。九州弁である。
話す言葉は、佐賀の訛り(なまり)に近い。“髭のおじさん”に対して、佐野は言葉にならない感動をまくしたてた。
「こがん、すごかもん!作りんさったのは、貴方でございますか!」
「あ~ワシじゃが、何ね!?」
「すごかです!」
「ん…ワシは久留米(福岡)じゃが、書生さんはどこの生まれね。」
「佐賀です。佐野栄寿と申します!広瀬先生の“時習堂”で学んでおります。」
――久しぶりの九州の言葉が懐かしかったのか、佐野は、矢継ぎ早に自身の素性を話す。
「そぎゃんね!ワシも“時習堂”で学びたいと思うておったんじゃ!」
なんと見た感じ50代の“髭のおじさん”は、蘭学塾で勉強したいと言い出した。
「あ…あれだけの“からくり”を作れる方です!私からも広瀬先生にお話しします!」
佐野は“時習堂”の開設者・広瀬元恭に伝えておくと請け負った。
「お~それは、ありがたかね。」
“髭のおじさん”はカラカラと笑った。
「そういえば、お名前は…。」
「田中久重と申す。まぁ、“からくり儀右衛門”などと呼ばれておるがな。」
(続く)
新型コロナウイルスが猛威を奮う中ですが、新年度がスタートしましたね。今日から、新しい場所、新しい仕事、新しい人間関係…気疲れしている人も多いかと思います。
今回の後半で、久しぶりに佐野常民が登場します。新しい出会いは、なんと京都の街中でした。但し、スタートの場面は、佐賀の武雄からです。
――佐賀藩・武雄領。鍋島直正、久々に温泉に浸かる。
「さすがに…疲れたな。」
武雄の湯は、もちろん疲労にも効く

直正は、老中・阿部正弘をはじめ、幕府の中枢に対して、一刻も早く異国船の脅威に備えるよう説得を続けていた。
その頃の佐賀藩は、鉄製大砲の開発、長崎砲台の整備と、他藩の大名たちが未だ“太平の眠り”に浸かる中、ひた走っていたのである。
――直正が武雄に来た目的は、温泉で身体を労わるだけではない。
「茂義どの。武雄の湯は相変わらず効きますな。生き返ったようでござる。」
直正は、“武雄のご隠居”鍋島茂義と会っていた。
「殿。我が庭では“蜜柑”も作っておるのだ。」
屋敷からミカンを持ってきた茂義。
「おおっ、良い色合い。そして、美味ござるな!」
直正は、幼少の頃より、14歳年上の茂義を兄のように慕っていた。殿の立場を忘れたかのように、もらったミカンをすぐに食べる。
――そして、急に真面目な話をする2人。
「茂義どの。実は、枝吉神陽にも“蘭学”を学ぶよう勧めたが、首尾よくはいかぬ。」
「そうか。神陽が“蘭学”を学べば、さぞ“賢い若者”が続くと思ったのだが…」
茂義、残念そうな顔をする。“蘭学の先駆者”も、もう50歳を過ぎていた。
「そうじゃ、あの男。佐野栄寿(常民)はどうなったか!?」
直正は“蘭学を学ぶ者”として、佐野を見込み、有能な人材の発掘(スカウト)も期待していた。
「佐野か…上方(京・大坂)で医術の修業に励んでおるそうだ。」
茂義は、佐賀の“蘭学”人脈(ネットワーク)の元締めのような人物である。佐野の近況もある程度は掴んでいるようだ。
――少し時を遡るが、佐野栄寿は京都にいた。“時習堂”という蘭学塾の門下生だった。

京都の街中の禅寺。佐野が気分転換に辺りの散歩をしている。
「そがんこつば言われても、医者になりたかけん、修業ばしとるばい!」
佐賀弁での独り言である。
実は「蘭学を修めた技術者のスカウト」という期待が重荷のようだ。
――先ほどの寺の近く、繁華街である神社の門前。賑やかな芝居小屋があった。出し物は…
「さぁ、お立合い!お立合い!儀右衛門の“からくり”が見られるよ!」
呼び込みの男の口上である。
ドンドン!!
そして、太鼓の音。
「何だ…」
ふらりと立ち寄る佐野。
――なんと、人形が弓を曳いている。
シュッ!
人形が放った矢は的に「コツン!」と当たった。
「お~っ!凄かごた!」
目を輝かせる佐野。
まるで、神社の祭りに来た子どもである。
「さぁ、次は“書”をする人形だよ!」
なんと、人形が文字まで書くのか…佐野は悩みを忘れていた。
――人形の動きは、見事な“からくり”(機械)仕掛けだった。「会いたい!この人形を作った人に会いたい!」佐野は終演後も留まった。
「あんた、何か用ね!?」
50歳くらい、顎に髭を生やした“おじさん”が現れる。九州弁である。
話す言葉は、佐賀の訛り(なまり)に近い。“髭のおじさん”に対して、佐野は言葉にならない感動をまくしたてた。
「こがん、すごかもん!作りんさったのは、貴方でございますか!」
「あ~ワシじゃが、何ね!?」
「すごかです!」
「ん…ワシは久留米(福岡)じゃが、書生さんはどこの生まれね。」
「佐賀です。佐野栄寿と申します!広瀬先生の“時習堂”で学んでおります。」
――久しぶりの九州の言葉が懐かしかったのか、佐野は、矢継ぎ早に自身の素性を話す。
「そぎゃんね!ワシも“時習堂”で学びたいと思うておったんじゃ!」
なんと見た感じ50代の“髭のおじさん”は、蘭学塾で勉強したいと言い出した。
「あ…あれだけの“からくり”を作れる方です!私からも広瀬先生にお話しします!」
佐野は“時習堂”の開設者・広瀬元恭に伝えておくと請け負った。
「お~それは、ありがたかね。」
“髭のおじさん”はカラカラと笑った。
「そういえば、お名前は…。」
「田中久重と申す。まぁ、“からくり儀右衛門”などと呼ばれておるがな。」
(続く)
Posted by SR at 21:44 | Comments(0) | 第7話「尊王義祭」
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