2020年03月26日

第7話「尊王義祭」⑤

こんばんは。
前回の続きです。のちに鍋島安房を始め、藩の重役たちも参加していく「義祭同盟」ですが、スタートはわりと地味だったようです。

――五月。初夏の陽射しの中。

南北朝時代。南朝の後醍醐天皇に忠義を尽くした楠木正成。そのまっすぐな生き様を讃えるべく、集う者たち

進行役は枝吉神陽。ただでさえ四方に広がっていくを、さらに張る。
皆様、本日のご参集、まことに忝(かたじけな)く存じます。」

そして、祭典の趣旨を語る神陽
「我々も佐賀の先人を見習い“楠公”の“尊王”の志を大事に受け継ぎたいものであります。」

義祭同盟」では、楠木正成と子・正行父子を顕彰した。

楠木正成の没後も“小楠公”と呼ばれる子・正行は、父の遺志を継ぎ、南朝方で戦い続けた。正行もまた“楠公”の名に恥じない才を発揮したが、最後は河内国(大阪府)で“四條畷の戦い”に散った。


――「義祭同盟」最初の祭典は、滞りなく終了した。
第7話「尊王義祭」⑤

その後は祭典に参加したメンバーで、様々な議論が交わされる。実は「義祭同盟」の活動は、祭典そのものではなく、後の“無礼講”が中心なのである。

結成に参加したのは38人と言われる。
島義勇や、枝吉次郎(後の副島種臣)も初期メンバーの1人だった。


――そんな枝吉次郎の横に、“団にょん”こと島義勇(団右衛門)が様子伺いに来る。

が6歳年下の従兄弟、次郎に話しかける。
「すっかり立派になったな!」

“団にょん”さん!お久しゅうございます。」
まだ藩校の学生次郎(副島)が、今は佐賀藩の役人である“社会人島義勇に挨拶する。

「藩校では“首班”として頑張っておると聞いたぞ!」
が続ける。親戚の兄さんからの近況伺いと思ってほしい。

後輩たちに、なかなか面白い者たちがおりますよ。」
藩校の“首班”とは、学生寮の“自治会長”と考えておこう。人望のある次郎のもとには、自然と校内情報が集まってきた。


――面白い者たちとは、大木喬任江藤新平中野方蔵の3人組のことであった。

「とくに江藤と申す者。変わった物の見方をいたします。」
次郎(副島)は、中野方蔵の勧めで、江藤と話してみたようだ。

「どのように変わっとるんじゃ。」
が、次郎の話に興味を持つ。

何処で学んだのか、これからは“北方の開拓”であると語るのです。」
次郎は、少し不思議そうに言葉を発した。

北方か…。たしかにそうじゃな!」
は、遠く北の空を見遣った。


――同じ頃、藩校「弘道館」。例の3人が自習をしている。

「ぶぇっくしょい!」
江藤くしゃみをする。バサバサの髪型なので、頭が揺れると髪も揺れる。

「どうした、江藤夏風邪でも引いたか。」
大木年長者らしい言葉をかける。

「誰かが江藤くんのでもしているのでしょう。」
江藤評判をバラまいている、張本人・中野が事もなげに言った。


(続く)

副島種臣が、副島家に養子に入るのは30歳を過ぎてからのようです。名字の“枝吉”で呼ぶと神陽先生と区別がしづらいので、幼少期からの名“次郎”を中心に使用しています。



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Posted by SR at 21:50 | Comments(0) | 第7話「尊王義祭」
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