2023年09月14日
「“別藩”~BEPPAN~第1話」
こんばんは。
まるで砂漠でも歩む気分だった…猛暑も落ち着いたかなという初秋。そして、妙なタイトルで始まった、今回からの記事は、全3回シリーズの予定です。
大河ドラマに続く時間帯の他局の番組、TBS系ドラマ『VIVANT』が着想元ですが、このドラマを語れるほどには、しっかり視聴できていません。
このシリーズでは、“別班”(ヴィヴァン)と呼ばれる秘密の組織を描いた、上記ドラマの展開とは関わりなく、単に文字通り、佐賀藩とは「別の藩」を語ります。
幕末期に、①緊急事態への対応が速く、②時に非情な任務を遂行し、③少数精鋭での行動が印象的…という藩がありました。

――今シリーズで語りたいのは、「大村藩」について。
佐賀藩と同じく肥前国に存在した藩ですが、その所領は、現在では長崎県の大村市周辺にあたります。本拠は玖島城で、石高は2万7千石ほど。
時代は進んで、豊かな藩は特産品や貿易などで、裏ではそれ以上の実力を持っていることも多いのですが、それでも表の石高は1つの目安にはなります。
表の石高でも、佐賀藩は35万7千石、薩摩藩は70万石以上、長州藩も30万石を超えます。西国の雄藩と比べると、大村藩は小規模ではあるようです。

――しかし大村藩では、1864年(元治元年)頃には…
勤王を志す勢力が藩政を掌握したそうで、長州など徳川政権を倒そうとする雄藩にとっては、“別働隊”のような役回りも感じられます。
この辺りから今シリーズでは、倒幕を目指す勢力の中で「もうひとつの肥前」として、存在感を示した大村藩を見ていきます。
実は「幕末佐賀藩の大河ドラマ」のイメージのはずである、“本編”の第1話から、佐賀と同じく肥前国にあった、大村藩が登場していました。
――“別藩”事件ファイル①「緊急事態への対応」
1808年に発生した、長崎港へのイギリス船「フェートン号」侵入事件。幕末期の佐賀藩にとって、“物語の始まり”とも言える重たい出来事でした。
私が見たい「幕末佐賀藩の大河ドラマ」では、迷わず第1話で書きたい内容。

そして、事件が起きたのは、長崎での貿易相手のオランダ船が来ないはずの“シーズンオフ”の時期。
このイギリス船はオランダ船に偽装して、長崎港に侵入、要求を通すために、オランダ商館員に銃を突きつけて、人質に取ります。
〔参照:第1話「長崎警護」④〕
経費節減のため、警備を大幅に縮小して、ほとんど地元に帰っていた佐賀藩。まったく対応が追いつかず、「主役のわりに、全然良いところなし」の展開に。
〔参照:第1話「長崎警護」⑤〕

――そんな折、幕府の長崎奉行所からの「緊急事態」の一報に…
真っ先に駆けつけたのが、肥前大村藩でした。
「西九州新幹線では長崎の隣の駅とよ。佐賀より、早く着けるのは当然ばい」
…というご意見もあるかもしれませんが、勇敢な大村藩。すぐにも、イギリス船と戦うつもりがあったようです。
――そんなわけで、当地のお殿様・大村純昌公の描き方も…
精悍な顔つきと表現していますが、「浅黒い地肌に白い歯」みたいな「ワイルドな海の男っぽい」イメージで書いていました。
〔参照:第1話「長崎警護」⑥-2〕

大村藩の本拠地・玖島城も海に面しており、お城にも船着場があったことが見てとれます。海での作戦行動には、自信もあったのでしょう。
もちろんイギリス船と正面から戦っては、大砲の武装に劣るので「無法な異国船に乗り込んで、焼き討ちを仕掛ける」と、具体的な戦術もあったそうです。
結果、フェートン号が退去したため、戦闘には至りませんでしたが、長崎の海で異国船1隻を仕留めるだけならば、勝算はあったのかもしれません。
――とても、精強なイメージの肥前大村藩。
このような描き方で、長崎県大村市の皆様には、どのように受けとめられるかはわかりません。
ただ「活躍のわりには語られない」点では、佐賀藩と通ずるものも感じるので、少し意表を突いた形にはなりますが、ここで語ってみたいと考えました。
これからの“本編”でも、第2部・第3部での登場予定を考えている、大村藩の人物について、あと2回ほどお話を続けたいと思います。
まるで砂漠でも歩む気分だった…猛暑も落ち着いたかなという初秋。そして、妙なタイトルで始まった、今回からの記事は、全3回シリーズの予定です。
大河ドラマに続く時間帯の他局の番組、TBS系ドラマ『VIVANT』が着想元ですが、このドラマを語れるほどには、しっかり視聴できていません。
このシリーズでは、“別班”(ヴィヴァン)と呼ばれる秘密の組織を描いた、上記ドラマの展開とは関わりなく、単に文字通り、佐賀藩とは「別の藩」を語ります。
幕末期に、①緊急事態への対応が速く、②時に非情な任務を遂行し、③少数精鋭での行動が印象的…という藩がありました。
――今シリーズで語りたいのは、「大村藩」について。
佐賀藩と同じく肥前国に存在した藩ですが、その所領は、現在では長崎県の大村市周辺にあたります。本拠は玖島城で、石高は2万7千石ほど。
時代は進んで、豊かな藩は特産品や貿易などで、裏ではそれ以上の実力を持っていることも多いのですが、それでも表の石高は1つの目安にはなります。
表の石高でも、佐賀藩は35万7千石、薩摩藩は70万石以上、長州藩も30万石を超えます。西国の雄藩と比べると、大村藩は小規模ではあるようです。
――しかし大村藩では、1864年(元治元年)頃には…
勤王を志す勢力が藩政を掌握したそうで、長州など徳川政権を倒そうとする雄藩にとっては、“別働隊”のような役回りも感じられます。
この辺りから今シリーズでは、倒幕を目指す勢力の中で「もうひとつの肥前」として、存在感を示した大村藩を見ていきます。
実は「幕末佐賀藩の大河ドラマ」のイメージのはずである、“本編”の第1話から、佐賀と同じく肥前国にあった、大村藩が登場していました。
――“別藩”事件ファイル①「緊急事態への対応」
1808年に発生した、長崎港へのイギリス船「フェートン号」侵入事件。幕末期の佐賀藩にとって、“物語の始まり”とも言える重たい出来事でした。
私が見たい「幕末佐賀藩の大河ドラマ」では、迷わず第1話で書きたい内容。

そして、事件が起きたのは、長崎での貿易相手のオランダ船が来ないはずの“シーズンオフ”の時期。
このイギリス船はオランダ船に偽装して、長崎港に侵入、要求を通すために、オランダ商館員に銃を突きつけて、人質に取ります。
〔参照:
経費節減のため、警備を大幅に縮小して、ほとんど地元に帰っていた佐賀藩。まったく対応が追いつかず、「主役のわりに、全然良いところなし」の展開に。
〔参照:

――そんな折、幕府の長崎奉行所からの「緊急事態」の一報に…
真っ先に駆けつけたのが、肥前大村藩でした。
「西九州新幹線では長崎の隣の駅とよ。佐賀より、早く着けるのは当然ばい」
…というご意見もあるかもしれませんが、勇敢な大村藩。すぐにも、イギリス船と戦うつもりがあったようです。
――そんなわけで、当地のお殿様・大村純昌公の描き方も…
精悍な顔つきと表現していますが、「浅黒い地肌に白い歯」みたいな「ワイルドな海の男っぽい」イメージで書いていました。
〔参照:
大村藩の本拠地・玖島城も海に面しており、お城にも船着場があったことが見てとれます。海での作戦行動には、自信もあったのでしょう。
もちろんイギリス船と正面から戦っては、大砲の武装に劣るので「無法な異国船に乗り込んで、焼き討ちを仕掛ける」と、具体的な戦術もあったそうです。
結果、フェートン号が退去したため、戦闘には至りませんでしたが、長崎の海で異国船1隻を仕留めるだけならば、勝算はあったのかもしれません。
――とても、精強なイメージの肥前大村藩。
このような描き方で、長崎県大村市の皆様には、どのように受けとめられるかはわかりません。
ただ「活躍のわりには語られない」点では、佐賀藩と通ずるものも感じるので、少し意表を突いた形にはなりますが、ここで語ってみたいと考えました。
これからの“本編”でも、第2部・第3部での登場予定を考えている、大村藩の人物について、あと2回ほどお話を続けたいと思います。