2023年09月06日
「夏の終わりに…」
こんばんは。まだ秋風までは感じられないものの、さすがの猛暑もようやく陰りを見せ始めたと思います。
灼熱の日々が続くと、“夏の終わり”などと情緒的な言葉も出て来ないのですが、ふと、それらしき寂しさを感じる知らせを聞きました。
今夏は、まったく筆が進みませんでした。気持ちが乗ってくるまで、しばらくは、思い付くことを綴ってみます。
――夏が去りゆく時に、思い出す言葉がある。
数十年前のドラマだったと思う。ある女性が、海辺で昔なじみの男性に向かってこんな事を言う。
「私、1年の中で、夏の終わりが一番嫌い。」
聞けば、最もさびしさを感じる季節だからだという。
もう8月は過ぎた設定だろうか。白波がよせる砂浜には、賑わった夏の気配も残ってはいない。戯れに波打ち際で、水面を蹴るような振りをする女性。
もう若いとは言い切れなくなった、微妙な年頃の2人だけが、夏の終わりの海を望んでたたずむ、しずかな風景だ。

――なお、セリフは曖昧な記憶で、綴っている。
ドラマについては多くは語らない。たぶんコメディ調の作品だったと思うが、この場面が、やけに強く印象に残っている。
ここで私が語りたいのは、暑かった夏の終わりに、秋風の吹き始める時期は、「ふと、寂しさを感じる」季節だったはずということだ。
いまや、暑過ぎて感傷に浸れない…ということは横に置いておく。
――では、私は何が寂しいのかを語る。
ある日、ネットで『佐賀新聞』の記事を見た時に、今夏の8月下旬で1つの時代の終わりを感じさせる記事があった。
その記事の見出しはこうだった。
「佐賀玉屋レストラン街、43年の歴史に幕…」とあった。タイトルは「たくさんの思い出、ごちそうさまでした」と続く。

寂しい…なんて適切な見出しを付けるのだ、さすがは『佐賀新聞』。やはり新聞の顔である題字が、副島種臣先生の書なのは、ダテではない。
そして、この出来事の原因は“コロナ禍”が経営を圧迫したのか、レストランの運営会社が、飲食事業部を廃止するためであるという。
――「何だ!この異様な寂寥感は…」
私は愕然とした。以前、佐賀駅構内の積文館書店が閉店する一報を聞いたときにも、似た感覚を味わった記憶がある。
近年、随分と佐賀県に帰還しづらくなっていたから、結局、知らぬ間になくなっていた感覚に近い。
おそらく数えるほどしか行ったことのない「佐賀玉屋レストラン街」の閉鎖がここまで堪(こた)えるとは…

※2019年撮影
――昭和の百貨店にあったレストラン街の…
“王道”のような雰囲気を持つ印象だった。それだけに近年は苦戦する様子は察していたのだ。
だが、「しぶとく残ってくれるのではないか」と期待していたところもあった。
佐賀の中心街を眼下に眺めながら、スパゲッティを食んでいた感覚も、もはや遠くにある。
ただ、なにげに心地が良かったと記憶している。きっと、そこが“特別な場所”だったからだ。
これから、佐賀に帰還して玉屋を訪れても、もう南館7階にあの場所はない…この感情の根元はそこにあるらしい。

――私という人間も、ずいぶんと“欲張り”なのか。
最近では、大物ミュージシャンの記念コンサートもこなせる『SAGAアリーナ』の開業に大喜び。駅内商業施設『サガハツ』が出来たことも快く思っていた。
その一方で、佐賀に帰ったら、あって当然と思っていた施設がなくなると、強い落ち込みを感じるのだ。
「古き良きものが残って、新しい風も吹き込む」
佐賀には、そうあってほしいと思うが、おそらく、わがままな願望なのだろう。
私に何ができるわけでもない。佐賀県から遠くにいる分、情報だけが届いて、余計に、もどかしいところがある。
異常に暑かった、この夏も過ぎ去っていく。今回はいまの、この気持ちだけを記しておきたい。
灼熱の日々が続くと、“夏の終わり”などと情緒的な言葉も出て来ないのですが、ふと、それらしき寂しさを感じる知らせを聞きました。
今夏は、まったく筆が進みませんでした。気持ちが乗ってくるまで、しばらくは、思い付くことを綴ってみます。
――夏が去りゆく時に、思い出す言葉がある。
数十年前のドラマだったと思う。ある女性が、海辺で昔なじみの男性に向かってこんな事を言う。
「私、1年の中で、夏の終わりが一番嫌い。」
聞けば、最もさびしさを感じる季節だからだという。
もう8月は過ぎた設定だろうか。白波がよせる砂浜には、賑わった夏の気配も残ってはいない。戯れに波打ち際で、水面を蹴るような振りをする女性。
もう若いとは言い切れなくなった、微妙な年頃の2人だけが、夏の終わりの海を望んでたたずむ、しずかな風景だ。
――なお、セリフは曖昧な記憶で、綴っている。
ドラマについては多くは語らない。たぶんコメディ調の作品だったと思うが、この場面が、やけに強く印象に残っている。
ここで私が語りたいのは、暑かった夏の終わりに、秋風の吹き始める時期は、「ふと、寂しさを感じる」季節だったはずということだ。
いまや、暑過ぎて感傷に浸れない…ということは横に置いておく。
――では、私は何が寂しいのかを語る。
ある日、ネットで『佐賀新聞』の記事を見た時に、今夏の8月下旬で1つの時代の終わりを感じさせる記事があった。
その記事の見出しはこうだった。
「佐賀玉屋レストラン街、43年の歴史に幕…」とあった。タイトルは「たくさんの思い出、ごちそうさまでした」と続く。
寂しい…なんて適切な見出しを付けるのだ、さすがは『佐賀新聞』。やはり新聞の顔である題字が、副島種臣先生の書なのは、ダテではない。
そして、この出来事の原因は“コロナ禍”が経営を圧迫したのか、レストランの運営会社が、飲食事業部を廃止するためであるという。
――「何だ!この異様な寂寥感は…」
私は愕然とした。以前、佐賀駅構内の積文館書店が閉店する一報を聞いたときにも、似た感覚を味わった記憶がある。
近年、随分と佐賀県に帰還しづらくなっていたから、結局、知らぬ間になくなっていた感覚に近い。
おそらく数えるほどしか行ったことのない「佐賀玉屋レストラン街」の閉鎖がここまで堪(こた)えるとは…
※2019年撮影
――昭和の百貨店にあったレストラン街の…
“王道”のような雰囲気を持つ印象だった。それだけに近年は苦戦する様子は察していたのだ。
だが、「しぶとく残ってくれるのではないか」と期待していたところもあった。
佐賀の中心街を眼下に眺めながら、スパゲッティを食んでいた感覚も、もはや遠くにある。
ただ、なにげに心地が良かったと記憶している。きっと、そこが“特別な場所”だったからだ。
これから、佐賀に帰還して玉屋を訪れても、もう南館7階にあの場所はない…この感情の根元はそこにあるらしい。
――私という人間も、ずいぶんと“欲張り”なのか。
最近では、大物ミュージシャンの記念コンサートもこなせる『SAGAアリーナ』の開業に大喜び。駅内商業施設『サガハツ』が出来たことも快く思っていた。
その一方で、佐賀に帰ったら、あって当然と思っていた施設がなくなると、強い落ち込みを感じるのだ。
「古き良きものが残って、新しい風も吹き込む」
佐賀には、そうあってほしいと思うが、おそらく、わがままな願望なのだろう。
私に何ができるわけでもない。佐賀県から遠くにいる分、情報だけが届いて、余計に、もどかしいところがある。
異常に暑かった、この夏も過ぎ去っていく。今回はいまの、この気持ちだけを記しておきたい。
タグ :佐賀