2022年07月14日

「序章・“忘れ物”を取りに行く話」

こんばんは。
またしても、新型コロナ感染症の急拡大。佐賀県の感染者も千人を超えてしまった事に、いささか驚きました。

私が「幕末佐賀藩大河ドラマ」をテーマとする、当ブログを始めてから、概ね2年半を過ぎたところですが、大半の期間でこの話題がついて回っています。


――やはり、物事にはタイミングがあるようで、

「早めに“決断”しておいて良かった…」
ここ数年、幾度となく目にしたテレビからの感染拡大の報道。

わりと真面目に大都市圏からの帰省自粛を行ってしまう私。この状況になるたび、故郷の佐賀に帰れないという展開が繰り返されました。


――今回のいわゆる“第7波”の到来の少し前。

私は「好機は、今だ!」とばかりに、佐賀への緊急“帰藩”を行っていました。

最近では仕事も忙しく、気力体力ともに足りていない感じですが、あまり長いこと“忘れ物”を置いておくのも気にかかっていました。

以下、いつもの感じで書きます。



――私の“忘れ物”とは…

2018年(平成30年)当時に、実際の会場に足を運んだ方には「なんと慎ましい…」と思われるかもしれない。

それは『肥前さが幕末維新博覧会』の置き土産である“メモリアル展示”なのである。

私が何を“置き忘れた”かと言えば、博覧会のドキュメンタリー映像は見たことがあるが、2018年当時に会場で上映された内容をまだ見ていないのだ。
〔参照:連続ブログ小説「旅立の剣」(33)涙のメモリアル


――佐賀に“還る”べき時、それは今。

私は、多少の無茶を覚悟した。2019年(令和元年)に佐賀に帰っていた時でも、さほど時間の余裕はなかった。

もはや、今度は“旅行”という水準での時間すらも取れない。多額の交通費を使って、何と勿体ないことを…という気持ちも浮かぶ。

「否(いな)!この2年半の想いを持って、佐賀に帰っておく事に意義がある!」


――あゝ、佐賀の偉大な“先輩”たちに比べて、何と小さい決意であろう。

ただ、その一歩はコロナ禍で郷里と隔てられた私にとって大きい意味を持つ。

まずは「佐賀への道」を再び開く。それは体力を消耗し、気力に欠けた今の私には、必ずしも容易な事ではなかったのである。



…と、このような調子で、次回以降は、しばらく連続ブログ小説聖地の剣』を綴る予定です。

調べ物に負担が少なく、写真素材も揃っているため、まとまった時間の取れない現況でも書きやすい“旅日記”を選択しました。

佐賀を“聖地”として、語っていく展開」になると思います。お時間とご興味のある方は、ご覧いただければ幸いです。




  


Posted by SR at 22:20 | Comments(2) | 佐賀への道