2021年06月26日
「おそらくは…」
こんにちは。
『ゾンビランドサガリベンジ』の話が続きます。今週末が“最終回”でしたね。
ストーリーに関する情報もありますので、録画の方は視聴なさってから、お読みいただくことをお勧めします。
…最近「大河ドラマ」以上に、このジャンルの記事に力が入りがちですが、一応「佐賀の話題」なので、暖かい目でご覧いただければ幸いです。
――実は、第1シリーズを見ていない私。
そのため、アニメについて断片的な情報や、推測を語りがちです。確証が持てない話なので「おそらく」という断りが入ることも増えます。
前回の記事後半がとくに顕著で、気づけば3回も“おそらく”を連発しています。
〔参照(終盤):「共感の涙」〕
…「己の無知を、逆手に取る」のも私の流儀だと考えています。今回は、積極的に“おそらく”で語っていきます。
――最終回。おそらくは“佐賀への愛”。
水害の傷跡が癒えない設定…の佐賀県全域。
アイドルグループ・フランシュシュ“2号”がラジオでメッセージを送ります。生前は、いわゆる“ヤンキー”であり、優等生的ではない人生…だったのでしょう。
あまりガラの良い言葉づかいではありませんが、不器用でまっすぐな呼びかけが、かえって佐賀の人っぽい生真面目さを感じさせるキャラクターです。
――災害時の頼れるメディア。ラジオの向こう側には…
シリーズ各話の登場人物たちの姿が見えます。予想外の局面でラジオから聞こえる“アイドル”の声に湧くファンたち。最終回らしい熱い演出。
…そういえば、佐賀県庁の災害対策本部も描かれていました。
――おそらくは、“大河への想い”。
そこには知事の姿も。実在の佐賀県知事と同一人物かは明示しないようです。
その“知事”の渋い声が少し気になったので、後で確認したのですが、演じた方は「大河ドラマ」でもよく見かける俳優さん。
声優として洋画の吹き替えでも著名な山路和弘さんです。『麒麟がくる』では、一説には戦国最初の天下人、京の都で影響力を持った三好長慶役でした。
このキャスティング。わざと知事役に“大河俳優”を使ったのか…と推測します。

――おそらくは“各地域への気持ち”。
テレビでは前半・後半が通しで放送され、途中にいつものCМが無い最終回。
ただ、CM前後に配置されている“アイキャッチ”は今回も存在。吉野ヶ里・多久の名所が続けて登場。
弥生時代の古代ロマンあふれる吉野ヶ里公園に、江戸期の文教の風が吹く多久に。“フランシュシュ”のメンバーが勢揃いする画…実に“映えて”います。
「たとえCМは飛ばしても、佐賀の見どころは紹介する」心意気に感じ入ります。

――おそらくは、“続編への示唆”。
鳥栖のスタジアムでのライブ映像が流れる、本格的な音楽番組のような演出が続きます。その途中で、プロデューサーが吐血したと思しき描写。
以前から語っている「時間が限られている…」の意味はまさか!?巽(たつみ)幸太郎に共感する私なので、とても心配になります。
大盛況のライブが締めくくられ、大団円となったと思いきや。エンドロール(キャスト・スタッフ紹介)も終わったCМ後に不意打ちがありました。
――ほのめかされる、“強大な敵”(?)の存在…
謎の飛翔物体による黒い影が。なぜ、ここで急にSF映画になるのか。これは、「そう簡単に“佐賀を救える”と思うなよ…」という警告なのでしょうか。
私は、そんな受け取り方をしたラストシーンの表現。いきなり冷や水を浴びせられるような展開で、困惑した方も多いはず。少なくとも、私はその1人でした。
ライブの余韻に浸りたい視聴者たちに、何を語ろうとするラストなのか。作中にあった「佐賀が繁栄しようとすると邪魔が入る…」という“呪い”の正体なのか?
――それだけ、“厳しい戦い”が待つ…ということなのか。
爽快な終わり方でなかったことにもどかしさを感じつつも、『ゾンビランドサガ』続編への展開を確信した私。
そして、ずっと語られてきたテーマ「何度でも立ち上がること」は、最近のアニメのトレンド(流行り)なのでしょうか。
――故郷から遠く、思うに任せぬ日常を生きる私。
ハッキリと見えたはずの佐賀の街並みが、佐賀平野の低くて青い空が、霞んでいくように感じることがあります。
「この次(第3シリーズ)もあるはず。その時は“大河”と共に見たいものだ…」
“ゾンビ”のアニメだからこそ「人が生きられる時間には限りがある」と教えられた気がして。私にも挫けている暇は無いようです。
『ゾンビランドサガリベンジ』の話が続きます。今週末が“最終回”でしたね。
ストーリーに関する情報もありますので、録画の方は視聴なさってから、お読みいただくことをお勧めします。
…最近「大河ドラマ」以上に、このジャンルの記事に力が入りがちですが、一応「佐賀の話題」なので、暖かい目でご覧いただければ幸いです。
――実は、第1シリーズを見ていない私。
そのため、アニメについて断片的な情報や、推測を語りがちです。確証が持てない話なので「おそらく」という断りが入ることも増えます。
前回の記事後半がとくに顕著で、気づけば3回も“おそらく”を連発しています。
〔参照(終盤):
…「己の無知を、逆手に取る」のも私の流儀だと考えています。今回は、積極的に“おそらく”で語っていきます。
――最終回。おそらくは“佐賀への愛”。
水害の傷跡が癒えない設定…の佐賀県全域。
アイドルグループ・フランシュシュ“2号”がラジオでメッセージを送ります。生前は、いわゆる“ヤンキー”であり、優等生的ではない人生…だったのでしょう。
あまりガラの良い言葉づかいではありませんが、不器用でまっすぐな呼びかけが、かえって佐賀の人っぽい生真面目さを感じさせるキャラクターです。
――災害時の頼れるメディア。ラジオの向こう側には…
シリーズ各話の登場人物たちの姿が見えます。予想外の局面でラジオから聞こえる“アイドル”の声に湧くファンたち。最終回らしい熱い演出。
…そういえば、佐賀県庁の災害対策本部も描かれていました。
――おそらくは、“大河への想い”。
そこには知事の姿も。実在の佐賀県知事と同一人物かは明示しないようです。
その“知事”の渋い声が少し気になったので、後で確認したのですが、演じた方は「大河ドラマ」でもよく見かける俳優さん。
声優として洋画の吹き替えでも著名な山路和弘さんです。『麒麟がくる』では、一説には戦国最初の天下人、京の都で影響力を持った三好長慶役でした。
このキャスティング。わざと知事役に“大河俳優”を使ったのか…と推測します。
――おそらくは“各地域への気持ち”。
テレビでは前半・後半が通しで放送され、途中にいつものCМが無い最終回。
ただ、CM前後に配置されている“アイキャッチ”は今回も存在。吉野ヶ里・多久の名所が続けて登場。
弥生時代の古代ロマンあふれる吉野ヶ里公園に、江戸期の文教の風が吹く多久に。“フランシュシュ”のメンバーが勢揃いする画…実に“映えて”います。
「たとえCМは飛ばしても、佐賀の見どころは紹介する」心意気に感じ入ります。
――おそらくは、“続編への示唆”。
鳥栖のスタジアムでのライブ映像が流れる、本格的な音楽番組のような演出が続きます。その途中で、プロデューサーが吐血したと思しき描写。
以前から語っている「時間が限られている…」の意味はまさか!?巽(たつみ)幸太郎に共感する私なので、とても心配になります。
大盛況のライブが締めくくられ、大団円となったと思いきや。エンドロール(キャスト・スタッフ紹介)も終わったCМ後に不意打ちがありました。
――ほのめかされる、“強大な敵”(?)の存在…
謎の飛翔物体による黒い影が。なぜ、ここで急にSF映画になるのか。これは、「そう簡単に“佐賀を救える”と思うなよ…」という警告なのでしょうか。
私は、そんな受け取り方をしたラストシーンの表現。いきなり冷や水を浴びせられるような展開で、困惑した方も多いはず。少なくとも、私はその1人でした。
ライブの余韻に浸りたい視聴者たちに、何を語ろうとするラストなのか。作中にあった「佐賀が繁栄しようとすると邪魔が入る…」という“呪い”の正体なのか?
――それだけ、“厳しい戦い”が待つ…ということなのか。
爽快な終わり方でなかったことにもどかしさを感じつつも、『ゾンビランドサガ』続編への展開を確信した私。
そして、ずっと語られてきたテーマ「何度でも立ち上がること」は、最近のアニメのトレンド(流行り)なのでしょうか。
――故郷から遠く、思うに任せぬ日常を生きる私。
ハッキリと見えたはずの佐賀の街並みが、佐賀平野の低くて青い空が、霞んでいくように感じることがあります。
「この次(第3シリーズ)もあるはず。その時は“大河”と共に見たいものだ…」
“ゾンビ”のアニメだからこそ「人が生きられる時間には限りがある」と教えられた気がして。私にも挫けている暇は無いようです。