2022年07月29日
連続ブログ小説「聖地の剣」(6)バック・トゥ・ザ・サガ…?
こんばんは。
佐賀城方面へと加速していく、佐賀市営バス。その時は乗客も少なく、あまり停車もなかったため、よりスピーディーな印象です。
この中央大通り沿いには、県内各地の“賢人”たちの銅像が立ち並んでおり、流れる景色に思うところがありました。
――私は思った。「早い…、あまりにも余韻(よいん)が無い」と。
迅速にバスを走らせて、少し残念がられる。佐賀市交通局からすれば「そがん(そんな)事、言われても…」というところだろう。
『駅前まちかど広場』にある“佐賀の七賢人”と、幕末の早くから異才を見せた3名の先駆者たちの銅像は、もう少し見ていたかった。
〔参照:連続ブログ小説「聖地の剣」(5)車上より、ご無礼を〕

――大通りの銅像は、この場所だけではない。
雨模様だが幸いにして、涼しげな日だった。バスは追い風でも受けるかのように、順調に進む。
車窓からは沿道の両側に、佐賀県が誇る偉人たちの銅像の姿が見えては、過ぎ去っていく。
――まるで、時間を遡行しているかのような感覚を持つ。
バスは佐賀城の方角へと進んでいるのは、はっきり認識しているから、停留所を超えるたびに“幕末”へと年代が近づいているような気分だ。
冷静に考えれば、幕末期は、とても怖い時代だった。私も“本編”を書く中では、殺伐とした光景も描くところがあり、表現の仕方に迷うこともよくある。

――なぜ、そんな時代の事を考えてしまうのだろう。
私は“歴史好き”には分類されたと思うが、ここ数年まで、それほど幕末期には興味が強くなかった。
しかし、佐賀藩が、何だか地味だと思っていた私の故郷が…日本の近代化を引っ張っていた事に気付いて、考えを改めた。
その“覚醒”は随分と遅くなり、時代は「令和」に至ろうとしていた頃だ。以来、私は佐賀県出身である事を、内なる誇りとして、今を生きている。
あまり語られて来なかった、幕末の黎明期から明治の近代国家形成までの“もう1つ”の歴史。きっと私の答えは、佐賀で探さねば見つからない。

――流れる景色には、羊羹(ようかん)の名店も見える。
江戸時代を通じて、砂糖が運ばれた長崎街道。「シュガーロード」の異名にふさわしい景色が、菓舗の点在という形で、佐賀の伝統となっているようだ。
「時間があれば歩きたかったかな」という気持ちも浮かぶ。ただ、今回のようなスピーディーな移動も、まるで“時間旅行”のような感覚を得て、悪くはない。
そんな事を考えている間も、バスは淡々と距離を稼ぎ、かつて「四十間堀」とも呼ばれたという、佐賀城の広大な堀の端へと至る。
――この辺りで足回りの良さを見せた、佐賀市営バスと別れる。
「…やっぱり、バスに乗って良かった。」

慌ただしい“帰藩”。ここから左手には、佐賀城を望むところまで来た。ここ数年のコロナ禍で、この“聖地”を訪れることもできなかった。感慨深いものがある。
佐賀城にはもちろん寄りたいが、この帰藩の目的は、ひとまず県立博物館の側にある。私は右手の方に歩を進めた。
(続く)
佐賀城方面へと加速していく、佐賀市営バス。その時は乗客も少なく、あまり停車もなかったため、よりスピーディーな印象です。
この中央大通り沿いには、県内各地の“賢人”たちの銅像が立ち並んでおり、流れる景色に思うところがありました。
――私は思った。「早い…、あまりにも余韻(よいん)が無い」と。
迅速にバスを走らせて、少し残念がられる。佐賀市交通局からすれば「そがん(そんな)事、言われても…」というところだろう。
『駅前まちかど広場』にある“佐賀の七賢人”と、幕末の早くから異才を見せた3名の先駆者たちの銅像は、もう少し見ていたかった。
〔参照:
――大通りの銅像は、この場所だけではない。
雨模様だが幸いにして、涼しげな日だった。バスは追い風でも受けるかのように、順調に進む。
車窓からは沿道の両側に、佐賀県が誇る偉人たちの銅像の姿が見えては、過ぎ去っていく。
――まるで、時間を遡行しているかのような感覚を持つ。
バスは佐賀城の方角へと進んでいるのは、はっきり認識しているから、停留所を超えるたびに“幕末”へと年代が近づいているような気分だ。
冷静に考えれば、幕末期は、とても怖い時代だった。私も“本編”を書く中では、殺伐とした光景も描くところがあり、表現の仕方に迷うこともよくある。
――なぜ、そんな時代の事を考えてしまうのだろう。
私は“歴史好き”には分類されたと思うが、ここ数年まで、それほど幕末期には興味が強くなかった。
しかし、佐賀藩が、何だか地味だと思っていた私の故郷が…日本の近代化を引っ張っていた事に気付いて、考えを改めた。
その“覚醒”は随分と遅くなり、時代は「令和」に至ろうとしていた頃だ。以来、私は佐賀県出身である事を、内なる誇りとして、今を生きている。
あまり語られて来なかった、幕末の黎明期から明治の近代国家形成までの“もう1つ”の歴史。きっと私の答えは、佐賀で探さねば見つからない。
――流れる景色には、羊羹(ようかん)の名店も見える。
江戸時代を通じて、砂糖が運ばれた長崎街道。「シュガーロード」の異名にふさわしい景色が、菓舗の点在という形で、佐賀の伝統となっているようだ。
「時間があれば歩きたかったかな」という気持ちも浮かぶ。ただ、今回のようなスピーディーな移動も、まるで“時間旅行”のような感覚を得て、悪くはない。
そんな事を考えている間も、バスは淡々と距離を稼ぎ、かつて「四十間堀」とも呼ばれたという、佐賀城の広大な堀の端へと至る。
――この辺りで足回りの良さを見せた、佐賀市営バスと別れる。
「…やっぱり、バスに乗って良かった。」
慌ただしい“帰藩”。ここから左手には、佐賀城を望むところまで来た。ここ数年のコロナ禍で、この“聖地”を訪れることもできなかった。感慨深いものがある。
佐賀城にはもちろん寄りたいが、この帰藩の目的は、ひとまず県立博物館の側にある。私は右手の方に歩を進めた。
(続く)
Posted by SR at 22:58 | Comments(0) | 連続ブログ小説「聖地の剣」
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