2024年09月04日

「滑込の剣」(14)そして、“イメージ”は組み変わる

こんばんは。直近で佐賀城に行ったのは、今年の5月。そこで得た気付きは、私をどこに向かわせるのか…。

4~5年前と比べれば、私も周囲の状況も様変わりしました。今回の特別展で、また新しい感覚を得て、頭に浮かぶ物語イメージも更新されていきます。

――「佐賀の七賢人」の1人・江藤新平

代表的な語り方は、裁判所など現代に続く制度を作った“近代司法の父”。

時は150年少し前の明治維新の動乱期。1868年(慶応4年)5月頃。当時は「江戸」と呼ばれていた、今の東京。

江藤町奉行所で行われた江戸時代の“裁判”も、しっかりと調べて、西洋の仕組みを取り入れたようだ。
「滑込の剣」(14)そして、“イメージ”は組み変わる
――新時代を進めるため、江戸城に乗り込んだ江藤

他の官軍の面々が見向きもしない、租税刑事法の書類を集めたという。

幕府の役人にも、次々と質問をしていく。幕臣もそれまで国を運営してきた側だから、すごく賢い人も多かったはずで、わかる人にはわかっただろう。
「西軍(新政府軍)に、こんな才物がいたのか!?」と。

江藤は“空気を読まず”に幕臣へ聞きたいことを聞く。時に、強めの佐賀ことばが混ざりながら。

――幕府の役人にも、国を動かしてきた誇りがある

後を託すなら、賢い奴がいいに決まっている。徳川政権が「どうやってを動かしてきたか、いかに太平の世を守ってきたか」を教えてやる。

「この江藤という男には、自分たちの仕事を、伝えておく値打ちがある…」

そんな事に気付いた幕府の役人には、きっと江藤はこんな事を言った。
新しき世は、民のための国になるけん。そのまま働かぬか。」と。

幕臣ならではの意地もある。「薩摩長州には下(くだ)れるものか!」と。
「物を尋ねる。貴公は、どこから来られたか!?」
「肥前国。佐賀だが、いかがした。」
「滑込の剣」(14)そして、“イメージ”は組み変わる
――幕府の役人は、思った。「佐賀か…」と。

佐賀藩幕府に味方してくれれば良かったのだが、恨みに思うところまではない。こうして、1人の有能な幕臣が新時代へと力を貸すことになった…

江藤新平は、優秀な幕府の人材を見つけると、新政府に引き込んだという話も聞く。“本編”を書き続ければ、第30話以降で描くつもりがある筋書きだ。

今回、佐賀城の特別展では、実際に江藤が身に着けた品々の展示もあって、演じてほしい俳優さんのイメージも変わってきた。







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Posted by SR at 22:08 | Comments(0) | 佐賀への道
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