2024年10月27日
「“佐賀”の上の雲…」
本日は選挙の特番で放送されないようですが、毎週日曜23時~にNHK総合で再放送されているドラマ『坂の上の雲』。
明治期の日本を、大作家・司馬遼太郎先生の原作で描いた、十数年ばかり前に放送された作品のようです。
「また、テレビ番組の感想か?」と思われた方もいるかもしれませんが、今回について、同番組は“着想元”です。私が“昔の記憶”から思い付いた故郷・佐賀への想いを綴ります。
――『坂の上の雲』には印象の強い、冒頭のナレーションがある。
意味合いとしては、このように語っていたと思う。
「この小さき国は、開化の時期を迎えていた。その時代を生きた、明治人の気性は、坂の上の雲を見つめて、一途に登っていく」ようなものだ、と。

――ここから、なぜか思い起こされた記憶がある。
まだ私が、文句なしに若い時分だったから、相当な昔のことだ。細かい経緯は忘れたが、私は佐賀県に帰省していた。
曾祖母の見舞いでもあったか、何やら親族が集結していて、私の良く知らない遠戚もあった。その場の真ん中には、赤ちゃん(女の子)がいた。
――当時すでに、大都市圏で生活していた私は、
親戚の集まりとは縁遠く、赤ちゃんを見る機会もほとんどなかったものだから、珍しいものを見る感覚だった。
赤ちゃんだからマイペースなもので、はいはいをして前に進んでいる。ただただ、丸っこい印象でまっすぐ進む。親族が皆、温かい目線で見守っている。
しかし、赤ちゃんは周囲に愛想を振りまくでもなく、ちょっと立ち止まったかと思えば、また、はいはいを繰り返す。

――とても小さき、彼女の目は何を見つめていたか。
いまとなっては知る由もない。ただ、ずんずんと進んでいく姿だけが私の記憶には刻まれていく。
赤ちゃんの這う様子はきわめて一途であり、自分の信じられるところを目指して前進するふうですらあった。
あわせて覚えている景色は、近眼でいつも眉間にしわを寄せていた祖母が、その赤ちゃんの様子を見て、実にやさしい目つきを見せたことである。
――少し頑張れば、雲が掴めそうな。
ひときわ高くそびえる急峻な山もなく、平たい土地の続くイメージの佐賀県。
空とて雲とて、手が届きそうにすら見えてくる。高層ビルも少なければ、バルーンも飛ぶ、おそらく余所の人よりも青天を眺める機会も多いのではないか。

――その赤ちゃんの「まっすぐな前進」を思い返すにつき、
私には「佐賀人の気性」そのものを示しているように感じられる。地道に進んで、ひとたび立ち止まっても、また一途に進む…そして、愛想を振りまくのは、きっと上手くは無い。
佐賀の人々の暮らしは今日も進んでいるが、それに比して「佐賀人の物語」は異常に少なく感じられる。ここには、私も力を尽くしたいところだ。
たぶん、雲が掴めることは無いかもしれないが、この手は伸ばし続けたい。
明治期の日本を、大作家・司馬遼太郎先生の原作で描いた、十数年ばかり前に放送された作品のようです。
「また、テレビ番組の感想か?」と思われた方もいるかもしれませんが、今回について、同番組は“着想元”です。私が“昔の記憶”から思い付いた故郷・佐賀への想いを綴ります。
――『坂の上の雲』には印象の強い、冒頭のナレーションがある。
意味合いとしては、このように語っていたと思う。
「この小さき国は、開化の時期を迎えていた。その時代を生きた、明治人の気性は、坂の上の雲を見つめて、一途に登っていく」ようなものだ、と。
――ここから、なぜか思い起こされた記憶がある。
まだ私が、文句なしに若い時分だったから、相当な昔のことだ。細かい経緯は忘れたが、私は佐賀県に帰省していた。
曾祖母の見舞いでもあったか、何やら親族が集結していて、私の良く知らない遠戚もあった。その場の真ん中には、赤ちゃん(女の子)がいた。
――当時すでに、大都市圏で生活していた私は、
親戚の集まりとは縁遠く、赤ちゃんを見る機会もほとんどなかったものだから、珍しいものを見る感覚だった。
赤ちゃんだからマイペースなもので、はいはいをして前に進んでいる。ただただ、丸っこい印象でまっすぐ進む。親族が皆、温かい目線で見守っている。
しかし、赤ちゃんは周囲に愛想を振りまくでもなく、ちょっと立ち止まったかと思えば、また、はいはいを繰り返す。
――とても小さき、彼女の目は何を見つめていたか。
いまとなっては知る由もない。ただ、ずんずんと進んでいく姿だけが私の記憶には刻まれていく。
赤ちゃんの這う様子はきわめて一途であり、自分の信じられるところを目指して前進するふうですらあった。
あわせて覚えている景色は、近眼でいつも眉間にしわを寄せていた祖母が、その赤ちゃんの様子を見て、実にやさしい目つきを見せたことである。
――少し頑張れば、雲が掴めそうな。
ひときわ高くそびえる急峻な山もなく、平たい土地の続くイメージの佐賀県。
空とて雲とて、手が届きそうにすら見えてくる。高層ビルも少なければ、バルーンも飛ぶ、おそらく余所の人よりも青天を眺める機会も多いのではないか。
――その赤ちゃんの「まっすぐな前進」を思い返すにつき、
私には「佐賀人の気性」そのものを示しているように感じられる。地道に進んで、ひとたび立ち止まっても、また一途に進む…そして、愛想を振りまくのは、きっと上手くは無い。
佐賀の人々の暮らしは今日も進んでいるが、それに比して「佐賀人の物語」は異常に少なく感じられる。ここには、私も力を尽くしたいところだ。
たぶん、雲が掴めることは無いかもしれないが、この手は伸ばし続けたい。
タグ :佐賀