2023年07月13日

第19話「閑叟上洛」⑲(“門司”からの船出まで)

こんばんは。
九州北部に豪雨が続き、他地域にいる私も落ち着かない数日間がありました。

当ブログでの“本編”を綴るごとに、幕末期の佐賀からの視点で、九州北部の各地がどう動いたかも考える機会が増えています。

そのため、佐賀県域に留まらず、福岡県内の久留米秋月なども、以前より身近に感じるので、心配は尽きなかったところです。

…とはいえ、私に何ができるでもなく、佐賀を中心として、九州を舞台とした話を淡々と書いています。



ところで今回の舞台は、豊前国大里(だいり)という港町から始まります。

本筋とは関わりませんが、天皇の住まいである“内裏(だいり)”と同じ読みなのは、源平合戦の時代に由来があると聞きます。

大里とは、現在で言えば、門司(福岡県北九州市)にあたる場所。当時、その周辺は長崎街道の終点で、小倉藩の領地ということになるようです。



――文久二年(1862年)も十一月。冬の息吹を強く感じる。

「う~、ひやかごた…。」
供回りの佐賀藩士の1人からも、思わずそんな声が出る。海峡を眼前にして、冷たい風がヒュウと吹いたのだ。

ここに長崎街道を東へと進んできた鍋島直正閑叟)の一行が到着していた。

京の都に向けては、ここからは海路をとる予定だ。蒸気船での航海での目的地は、大坂(大阪)になる。

閑叟さま、“電流”が迎えに来ております。」
「まったく働き者であるな。天晴(あっぱ)れなだ。」

…ボッ、と響く音があった。



例によって、蒸気船・電流丸から直正閑叟)に応えるような汽笛を聞きながら、横で対話しているのは“執事”とも言える側近・古川与一(松根)。
〔参照:第15話「江戸動乱」⑫(その船、電流丸)

「ほほ…“電流”も、大殿にお連れするのを楽しみにしとるようですなぁ。」
「ふふ、松根よ。お主にもそう見えるか。」

そして、沖合に船があるといっても目前は関門海峡だから、向かいにも長州(山口)の陸が見える。


――鍋島直正閑叟)が、ついに京の都に向かう。

朝廷からの呼びかけに「上洛する」と返答をしたのが、まだ江藤新平が、に居たのうちだから、数か月を経て動き出している。

この間も、鍋島直正は、による不調に見舞われ、胸痛がひどかった。伸び伸びとなった佐賀からの出立。暑い夏から寒い冬へと季節はすっかり逆転した。

「此度は佐賀を発ってからも、幾分は調子が良いようだ。」
お身体が大事にて、何よりにございます。」



「もう一隻の蒸気船は、観光丸であるな。」
「仰せのとおり、“観光”もお供に参っています。」

この頃、佐賀の大殿・直正は、蒸気船で移動することが増えていた。

いつものように、直正が乗る御座船(ござぶね)は佐賀藩の蒸気船・電流丸幕府から佐賀藩が運用を任された観光丸の二隻で瀬戸内海を行く航程だ。


――「では、参るとするか。」

岸壁には、小舟が待たせてある。いまは快方に向かっているとはいえ、最近では病がち直正の足取りは、やや重たい。

「いざ、参りましょう。」
古川与一(松根)は、心持ち明るい声で応じた。



九州を離れる前に気がかりがあるのか、何か考え事をしていた、直正がふと思い返すように、古川に話しかけた。

「…原田は、得心できておらぬ様子であったな。」
「はっ、しかしながら忠義の者ゆえ、大殿のお帰りを待つでしょう。」


――直正閑叟)が気にしたのは、保守派・原田小四郎との問答。

佐賀から出る直前のこと。重臣・原田小四郎は、佐賀から脱藩した江藤新平の処遇について、厳しい立場を取っていた。

国を抜けるのは、重罪にて。にお発ちになる前にご処断をなさいませ。」
「待て。その江藤は、京の都にて様々な調べを成しておる。」

当時の佐賀藩は、での政局については、かなり情報が不足していた。



で活動した江藤のもたらした情報は貴重であり、佐賀藩としては、さらに京の情勢を聞き出すべく、書面での質問を繰り返している。
〔参照:第19話「閑叟上洛」⑰(問いかけの向こう側)

江藤という者、才があるのは存じております。」
「…なれば、そう急かずとも良かろう。謹慎もさせておる。」

直正は、江藤の処遇について判断を急かそうとする、重臣・原田小四郎を諭すように言葉を返す。

しかし、保守派の筆頭格・原田も、大殿である直正を前にして、一歩も引く構えを見せない。

先例に反する、と申しておるのです。」
佐賀では脱藩は重罪であり、切腹が相当ということになるだろう。

江藤のため、ひいては佐賀のために動いておったと思わぬか。」



「事情を汲むことが、国のためにならんこともあります。」
原田は、本人の動機に、たとえ主君・鍋島直正のため、という目的があっても、先例どおり脱藩の罪を罰するべきだと主張する。

「命を賭して国を抜けたのだ。志ある者ではないか。」
「では、志ある者が次々と続けば、いかがなさいます。収拾がつきませぬぞ。」

強い口調で原田は続ける。他藩では下級武士を中心に、京都に集まり過激派浪士と化する者が多くいるという。

この保守派の重臣は、佐賀藩内の秩序を気にしていた。

以前には、藩校での振る舞いから優等生だと信じた、中野方蔵江戸で過激な浪士との関わりを疑われ、牢獄で命を落とした…という苦い記憶もある。
〔参照(後半):第17話「佐賀脱藩」⑰(救おうとする者たち)



その親友だという、江藤新平は「中野の代わりに立つ」として、京都に向けて脱藩を決行している。
〔参照:第17話「佐賀脱藩」⑲(残された2人)


――原田の心配は藩内の若者に、影響が及ぶことにもある。

秩序”を重んじる原田他藩のように一部の若い武士が徒党を組んで、内紛を起こせば、多くの者が命を落としかねない。

は、に上らねばならぬ。江藤には謹慎を申しつけておる。」
「…大殿、ご上洛の前に、ご処断を。」

直正にも、原田の心配は理解できるが、こう言い放った。
が、直々に沙汰(さた)を申しつけるまでは、謹慎させておけ。」

ところが原田は、江藤の処罰を求めて食い下がる。
「…なれど!」
江藤の処遇は、が決める。急(せ)くことは、認めぬぞ。」

最近は病がちで神経質となっている直正だが、この時はいっそう厳しい声で話を終えた。


――ふたたび、大里(だいり)の港町。

久しぶりに電流丸で、瀬戸内への航海へと出る、鍋島直正閑叟)。

武力を誇示して、幕政の主導権を取ろうとする、薩摩藩
公家を巻き込み、攘夷へと突き進もうとする、長州藩
過激な行動も辞さない勤王党が京都で台頭する、土佐藩



各地の雄藩が競ってを目指す中で、日本国内の秩序を守って、異国に隙を見せないことが直正の理想だった。
も、原田と同じ想い…なのかもしれぬな。」

佐賀を発つ前に、原田と言い争っていた時とは違う、幾分、気の抜けた表情で直正は語った。

「そのお言葉。原田さまがお聞きになれば、さぞ喜びましょう。」
「…だが、江藤有用の者だ。そこは、譲るつもりは無いぞ。」

寒い海を望んだ、直正には、以前のような覇気が少しもどっていた。


(続く)



  


Posted by SR at 22:20 | Comments(0) | 第19話「閑叟上洛」