2021年10月09日
「時の重さに…」
こんばんは。
1860年“桜田門外の変”の直後から、1861年の“対馬事件”の終結までを描いた、“本編”第16話「攘夷沸騰」を書き終えて、一息ついているところです。
〔参照(開始):第16話「攘夷沸騰」①(砂塵を呼ぶ男)〕
〔参照(完了):第16話「攘夷沸騰」⑳(基山の誇り、田代の想い)〕
“本編”を始めた頃は、1話で10年以上の時間が進むこともありました。直近では、さすがは幕末の激動期と言うべきか…で、もはや各話が1年刻みで展開。
――ここは、予定通りなのですが…
“本編”を書き進めると調べる内容も描きたいことも多すぎて、時間が足らないと感じます。
当初は「幕末の佐賀藩が“大河ドラマ”になるなら、こんな感じで見たい!」と、各話で描いてほしい場面を示すつもりでした。
ところが、あらためて知った“登場人物”に感情移入をすることも、しばしばで、わりと細かい“物語”まで書いてしまっています。

――次の、第17話「佐賀脱藩」(予定)では…
このタイトルをつけるならば、1862年(文久二年)、江藤新平が佐賀から出た時期に届くように、話を進めねばなりません。
第17話。今まで“夢見る若者”(?)だった佐賀の志士たちは“重い現実”に直面します。そんな「青春の影」をどう描くか、試行錯誤することになりそうです。
人目に付かない早朝。佐賀平野を背に、山道を越えていく、江藤…という場面を描くのかなとイメージを練り始めています。
――記事の構成がまとまるまで、
しばらくは、私の日記代わりに始めた『佐賀への道』や、「大河ドラマ」の感想など各種企画でつなぎます。
仕事に追われる日常。“佐賀の先輩”の後ろ姿を見つめる時間が、ひととき、私に“自由”を与えることがよくあります。
…とはいえ、私は先輩たちと異なり「少し忙しくなると、頭が回らない…」程度の能力なので、何とか考える余裕があるぐらいで進めていきたいと思います。
1860年“桜田門外の変”の直後から、1861年の“対馬事件”の終結までを描いた、“本編”第16話「攘夷沸騰」を書き終えて、一息ついているところです。
〔参照(開始):
〔参照(完了):
“本編”を始めた頃は、1話で10年以上の時間が進むこともありました。直近では、さすがは幕末の激動期と言うべきか…で、もはや各話が1年刻みで展開。
――ここは、予定通りなのですが…
“本編”を書き進めると調べる内容も描きたいことも多すぎて、時間が足らないと感じます。
当初は「幕末の佐賀藩が“大河ドラマ”になるなら、こんな感じで見たい!」と、各話で描いてほしい場面を示すつもりでした。
ところが、あらためて知った“登場人物”に感情移入をすることも、しばしばで、わりと細かい“物語”まで書いてしまっています。
――次の、第17話「佐賀脱藩」(予定)では…
このタイトルをつけるならば、1862年(文久二年)、江藤新平が佐賀から出た時期に届くように、話を進めねばなりません。
第17話。今まで“夢見る若者”(?)だった佐賀の志士たちは“重い現実”に直面します。そんな「青春の影」をどう描くか、試行錯誤することになりそうです。
人目に付かない早朝。佐賀平野を背に、山道を越えていく、江藤…という場面を描くのかなとイメージを練り始めています。
――記事の構成がまとまるまで、
しばらくは、私の日記代わりに始めた『佐賀への道』や、「大河ドラマ」の感想など各種企画でつなぎます。
仕事に追われる日常。“佐賀の先輩”の後ろ姿を見つめる時間が、ひととき、私に“自由”を与えることがよくあります。
…とはいえ、私は先輩たちと異なり「少し忙しくなると、頭が回らない…」程度の能力なので、何とか考える余裕があるぐらいで進めていきたいと思います。
Posted by SR at 19:47 | Comments(0) | 佐賀への道
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