2024年02月04日
「新章は始められるのか」
こんにちは。およそ10日ばかり更新を止めてしまいました。
「人は色々な事を同時に考えると、短期記憶が飛んでしまう」と聞いたことがあります。平たく言えば「忙しいと、つい先ほどの事を忘れる」という意味でしょう。
本日の記事は、このところ疲れ気味な私が「再生とは何か?」を考えるためのつぶやきです。
――「最近、時々物忘れが…」と感じ始めている、私。
あまり“老化”とは認めたくないので、こう考えました。「これは、複数の案件を同時並行で処理した結果、短期記憶が飛んでしまったのだ」と。
なお、これは私の現状分析に基づく判断なので、本当に物忘れが気になる方は、ぜひとも病院を受診してください。
それはさておき、新年に入ってから何かと忙しく、全く“本編”の下書きも進んでいない状況があります。

――「母なる佐賀の海よ、私に力を!」
そんなふうに叫んだわけでもないのですが、私の手元には、以前入手していた“佐賀海苔”がありました。
「母なる佐賀の海!」とは言いましたが、当然ながら、私の母が有明海というわけではありません。
そういう設定だと、私は干潟で生まれた“潟〔ガタ〕太郎”みたいな存在になるので、鬼退治でもできれば良いのですが、そんな昔話、聞いたことも無いです。
有明海が「佐賀の者にそれだけの恵みを与える大きな存在」という喩えです。
――前置きが長くなりましたが、数枚の佐賀海苔をパリパリとかじります。
「おお、みるみるうちに気力の戻ってくるとよ!」
…と、そこまで劇的に回復するわけでもないのですが、これが結構美味しくて、また数枚を取り出します。

――「これは、良かごた!」
さすがは“海苔の中の海苔”とでも言うべき、佐賀海苔。私だけの効能かもしれませんが、力が回復してきた印象があります。
ここで、私は“幕末佐賀藩の大河ドラマ”を追い求めるあまり、抑えてきた事があるのではないか?と思い至ります。
「特定の商品や企業のことを強調してはいけない、NHKなんで!」とばかり、無自覚のうち、己に制限をかけてきたように感じたのです。
そもそも、私は「テレビでは民放より、NHKを見ている事が多い」だけの、ただの“一(いち)視聴者”に過ぎません。
――「もっと、佐賀の品物への愛も語ろう!」
私のこの気付き。密かに“第20話”へとつながっていく予定です。
「人は色々な事を同時に考えると、短期記憶が飛んでしまう」と聞いたことがあります。平たく言えば「忙しいと、つい先ほどの事を忘れる」という意味でしょう。
本日の記事は、このところ疲れ気味な私が「再生とは何か?」を考えるためのつぶやきです。
――「最近、時々物忘れが…」と感じ始めている、私。
あまり“老化”とは認めたくないので、こう考えました。「これは、複数の案件を同時並行で処理した結果、短期記憶が飛んでしまったのだ」と。
なお、これは私の現状分析に基づく判断なので、本当に物忘れが気になる方は、ぜひとも病院を受診してください。
それはさておき、新年に入ってから何かと忙しく、全く“本編”の下書きも進んでいない状況があります。
――「母なる佐賀の海よ、私に力を!」
そんなふうに叫んだわけでもないのですが、私の手元には、以前入手していた“佐賀海苔”がありました。
「母なる佐賀の海!」とは言いましたが、当然ながら、私の母が有明海というわけではありません。
そういう設定だと、私は干潟で生まれた“潟〔ガタ〕太郎”みたいな存在になるので、鬼退治でもできれば良いのですが、そんな昔話、聞いたことも無いです。
有明海が「佐賀の者にそれだけの恵みを与える大きな存在」という喩えです。
――前置きが長くなりましたが、数枚の佐賀海苔をパリパリとかじります。
「おお、みるみるうちに気力の戻ってくるとよ!」
…と、そこまで劇的に回復するわけでもないのですが、これが結構美味しくて、また数枚を取り出します。
――「これは、良かごた!」
さすがは“海苔の中の海苔”とでも言うべき、佐賀海苔。私だけの効能かもしれませんが、力が回復してきた印象があります。
ここで、私は“幕末佐賀藩の大河ドラマ”を追い求めるあまり、抑えてきた事があるのではないか?と思い至ります。
「特定の商品や企業のことを強調してはいけない、NHKなんで!」とばかり、無自覚のうち、己に制限をかけてきたように感じたのです。
そもそも、私は「テレビでは民放より、NHKを見ている事が多い」だけの、ただの“一(いち)視聴者”に過ぎません。
――「もっと、佐賀の品物への愛も語ろう!」
私のこの気付き。密かに“第20話”へとつながっていく予定です。
Posted by SR at 11:35 | Comments(0) | 佐賀への道
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