2023年12月23日
「遠路の剣(雑踏)」
こんばんは。
今年も残り、あと1週間ほどになりました。
執筆者として、この1年を振り返ると「書きたい事が浮かんできてもまとめる力に欠けた」という印象です。この状態は今も変わっていません。
今年も、たびたび“帰藩”を叫ぶも、なかなか佐賀県に近づくこともできない私。逆に、つい最近、県内に住む叔父上が、こちらを訪ねてきたことがありました。

当ブログでは時折、『○○の剣』という大層なタイトルの記事を投稿しますが、もともとは、私の文章の練習から始まったシリーズです。
〔参照:「望郷の剣」〕
そのため、“本編”っぽい台詞回しもありますが、内容は長い日記みたいなものなので、気楽にお読みいただければ幸いです。
――ある、晩秋の日。叔父上から電話が入った。
「あぁ、叔父上。息災ですか。」
「元気とよ。それはよかけん、今度、そっちの近くまで行くことになったとよ。」
今年も、佐賀に行くためのまとまった時間は取れなかった。仕事や雑務に追われても、若ければ気力と体力で補うが、どちらも決定的に不足している。
「…え、叔父上が、こちらに来るのですか。」
私も歳を取ってきているのだから、叔父上が若いまま…ということはない。相応の年齢とそれなりの持病もある。

叔父上も、また「枯れても走ることを命と呼べ」という心持ちなのか。
――聞けば、旅行社のツアーで近くまで来るのだという、
しばらく、新型コロナ禍の影響で動けていなかった反動もあるのか、叔父上の動きも最近では活発である。
少し前、「青春って密なので」という言葉を聞いたが、年寄りの場合も、自在に動ける残り年数は限られる。その時間は、意外と“密”であり、貴重なのだ。
「近くに寄るけん、時間があったら、会えんかにゃ。」
「…ほう、私が佐賀県まで行かずとも、こちらで会えるという事ですか。」

当ブログで使う県内と周辺の写真は叔父上が撮ったものも多い。電話や郵便でのやり取りはよく行っているが、直接、会えてはいなかった。
――実際には、4年ほど対面していない。
私の住む街の近隣まで来るのなら、再会の好機と見てよいだろう。
「週末なら、会いに行けるくらいの時間はあります。」
「よかたい。そいじゃ、よろしく頼むとよ。」
叔父上からの頼まれ事もあり、週末に私はターミナル駅まで出向くこととした。
――そして、師走に入ってからの、ある週末に。
私はターミナル駅まで来ていた。四方八方からキャリーケースの車輪の音をガラガラと響かせながら、大勢の人が不規則に動いている。
概ね、待ち合わせ場所は決めていたものの、この人の数だ。あぁ大都市圏。もはや、人が人の影で見えなくなっている。
何やら、どこまでも、佐賀が遠く霞むような心地がした…

「さて叔父上は、到着しているのか…」
一瞬、ボーッとして、意識が佐賀駅近くまで飛んでいたが、気を取り直した私。
ここは、大都会の雑踏の中である。
この際、電話をかけて連絡をとる事にする。携帯電話のない、昔の待ち合わせならば、なかなか会うことができない状況だろう。
「待ち合わせでのすれ違い」それはそれで、ドラマ性がある響きだが、たぶん現代人には、そんな余裕はない。
――私は、携帯を手にして発信をしながらも、周囲を見回した。
ガチャッ。電話が通話状態となる。
「おじうえ~、どちらですか~」
「あ、もう着いてるとよ。」
ひょっとすると、今居るフロア(階数)が違うのか。私は、四周の人波を避けながら、叔父上を探した。

ごったがえす人々の動きは、まるで水の粒が集まって、大河の渦となるが如くに、ガヤガヤと流れに流れている。
文字・映像・音声…と情報量が多すぎるターミナル駅。私とて、日々の通勤で鍛えてはいるが、朝のラッシュ時よりも、人の流れが読みづらい。
…待ち人を探すには、かなり騒々しく、手強い環境である。
――このような都市圏の状況を表すのに、
“過剰負荷環境”という言葉があり、人間の脳の処理能力が、情報の多さに追いつかない事を示すらしい。
「田舎の人に比べて、都会の人は冷たく感じる」と言われる理由は、都会の人が、今より情報を増やさないよう防御するからだ…と
たしかNHKの番組『チコちゃんに叱られる』では、そんな説明だった。もはや、「ボーッと生きる」は贅沢なのだ…そんな気分も感じる、せわしない年末だ。

――話を戻す。私は通話を続けたままで、叔父上を探した。
「あ、叔父上…見っけ。」
私の視界には、4年前と全然、変わらない叔父上の姿が入る。どうやら、まだ移動しながら話していたらしい。
「おじうえ~、そこに居ましたか!」
「そがんね。で、“SR”くんは、どこに居っとね?」
叔父上からは、私を見つけられていない様子だ。電話でつながりながら、ご本人まで近づく、これは昭和や平成初期には無かった、待ち合わせの景色だ。
――私は歩みを進めながら、軽く手を振った。
「ここです。叔父上!」
「…ん、どこね?」
「目の前にいます。“ぶんぶんぶん”と、手を振りよるです!」
今度は携帯を耳にあてている、叔父上の目線を遮るように、手を振った。
「あ、そこに居ったね。前より痩せとったし、マスクで気付かんかったばい。」
…どうやら、私の方は叔父上と会っていなかった、この4年で、幾分、変わってしまったらしい。
(この話は…気が向いたら、続きを書きます)
今年も残り、あと1週間ほどになりました。
執筆者として、この1年を振り返ると「書きたい事が浮かんできてもまとめる力に欠けた」という印象です。この状態は今も変わっていません。
今年も、たびたび“帰藩”を叫ぶも、なかなか佐賀県に近づくこともできない私。逆に、つい最近、県内に住む叔父上が、こちらを訪ねてきたことがありました。

当ブログでは時折、『○○の剣』という大層なタイトルの記事を投稿しますが、もともとは、私の文章の練習から始まったシリーズです。
〔参照:
そのため、“本編”っぽい台詞回しもありますが、内容は長い日記みたいなものなので、気楽にお読みいただければ幸いです。
――ある、晩秋の日。叔父上から電話が入った。
「あぁ、叔父上。息災ですか。」
「元気とよ。それはよかけん、今度、そっちの近くまで行くことになったとよ。」
今年も、佐賀に行くためのまとまった時間は取れなかった。仕事や雑務に追われても、若ければ気力と体力で補うが、どちらも決定的に不足している。
「…え、叔父上が、こちらに来るのですか。」
私も歳を取ってきているのだから、叔父上が若いまま…ということはない。相応の年齢とそれなりの持病もある。
叔父上も、また「枯れても走ることを命と呼べ」という心持ちなのか。
――聞けば、旅行社のツアーで近くまで来るのだという、
しばらく、新型コロナ禍の影響で動けていなかった反動もあるのか、叔父上の動きも最近では活発である。
少し前、「青春って密なので」という言葉を聞いたが、年寄りの場合も、自在に動ける残り年数は限られる。その時間は、意外と“密”であり、貴重なのだ。
「近くに寄るけん、時間があったら、会えんかにゃ。」
「…ほう、私が佐賀県まで行かずとも、こちらで会えるという事ですか。」
当ブログで使う県内と周辺の写真は叔父上が撮ったものも多い。電話や郵便でのやり取りはよく行っているが、直接、会えてはいなかった。
――実際には、4年ほど対面していない。
私の住む街の近隣まで来るのなら、再会の好機と見てよいだろう。
「週末なら、会いに行けるくらいの時間はあります。」
「よかたい。そいじゃ、よろしく頼むとよ。」
叔父上からの頼まれ事もあり、週末に私はターミナル駅まで出向くこととした。
――そして、師走に入ってからの、ある週末に。
私はターミナル駅まで来ていた。四方八方からキャリーケースの車輪の音をガラガラと響かせながら、大勢の人が不規則に動いている。
概ね、待ち合わせ場所は決めていたものの、この人の数だ。あぁ大都市圏。もはや、人が人の影で見えなくなっている。
何やら、どこまでも、佐賀が遠く霞むような心地がした…
「さて叔父上は、到着しているのか…」
一瞬、ボーッとして、意識が佐賀駅近くまで飛んでいたが、気を取り直した私。
ここは、大都会の雑踏の中である。
この際、電話をかけて連絡をとる事にする。携帯電話のない、昔の待ち合わせならば、なかなか会うことができない状況だろう。
「待ち合わせでのすれ違い」それはそれで、ドラマ性がある響きだが、たぶん現代人には、そんな余裕はない。
――私は、携帯を手にして発信をしながらも、周囲を見回した。
ガチャッ。電話が通話状態となる。
「おじうえ~、どちらですか~」
「あ、もう着いてるとよ。」
ひょっとすると、今居るフロア(階数)が違うのか。私は、四周の人波を避けながら、叔父上を探した。

ごったがえす人々の動きは、まるで水の粒が集まって、大河の渦となるが如くに、ガヤガヤと流れに流れている。
文字・映像・音声…と情報量が多すぎるターミナル駅。私とて、日々の通勤で鍛えてはいるが、朝のラッシュ時よりも、人の流れが読みづらい。
…待ち人を探すには、かなり騒々しく、手強い環境である。
――このような都市圏の状況を表すのに、
“過剰負荷環境”という言葉があり、人間の脳の処理能力が、情報の多さに追いつかない事を示すらしい。
「田舎の人に比べて、都会の人は冷たく感じる」と言われる理由は、都会の人が、今より情報を増やさないよう防御するからだ…と
たしかNHKの番組『チコちゃんに叱られる』では、そんな説明だった。もはや、「ボーッと生きる」は贅沢なのだ…そんな気分も感じる、せわしない年末だ。

――話を戻す。私は通話を続けたままで、叔父上を探した。
「あ、叔父上…見っけ。」
私の視界には、4年前と全然、変わらない叔父上の姿が入る。どうやら、まだ移動しながら話していたらしい。
「おじうえ~、そこに居ましたか!」
「そがんね。で、“SR”くんは、どこに居っとね?」
叔父上からは、私を見つけられていない様子だ。電話でつながりながら、ご本人まで近づく、これは昭和や平成初期には無かった、待ち合わせの景色だ。
――私は歩みを進めながら、軽く手を振った。
「ここです。叔父上!」
「…ん、どこね?」
「目の前にいます。“ぶんぶんぶん”と、手を振りよるです!」
今度は携帯を耳にあてている、叔父上の目線を遮るように、手を振った。
「あ、そこに居ったね。前より痩せとったし、マスクで気付かんかったばい。」
…どうやら、私の方は叔父上と会っていなかった、この4年で、幾分、変わってしまったらしい。
(この話は…気が向いたら、続きを書きます)
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