2024年02月25日
「武雄の物語、再び(第20話を作成中)」
こんにちは。
“本編”・第20話『長崎方控』の各記事のサブタイトルを大体決めて、ようやく、下書きを始めました。
ところで、佐賀といえば「農業の県」というイメージがあります。私は県内にいないので、例によって、地元にいる叔父上との話から始めます。
――佐賀県の市街地以外の人には、よくある風景だと思いますが、
叔父上も、近くの山まで行っては、畑で農作物を作っているようです。
もっとも、“プロの農家”ではないので、野菜や果物を収穫しては、親戚や近所に配ったりします。
そこで避けられないのは、“害鳥”や“害獣”との小競り合いです。

――都会暮らしの私は、届いたジャガイモなどを食べては…
「おおっ!佐賀の大地の力が、心身に染みわたるぞ!」と疲労の回復を実感します。※個人の感想です。
そして、当然ながら芋を送った側の、叔父上が作物を収穫するまでには、ある程度には、苦労の“物語”があるわけで…
時々、「畑の柵ば作ったとよ」と話せば、小動物を防ぐ作業でしょうし、「カラスのこっちを見よったばい」と語れば、鳥とのにらみ合いが思われます。
――但し、プロの農家や漁業関係者からすると、
アマチュアで畑仕事をする叔父上のような、余裕はないでしょう。
「作物を食べる、皆を笑顔にしたい」気持ちは、プロ・アマで違わないかもしれませんが、農家でも海苔を含む漁業者でも、プロには生活がかかっています。

さすがは、自然豊かな佐賀県。動物も相当に元気そうで、彼らから作物を守ることは容易では無いはず。
「鳥も獣も、手強い…、誰か“味方”はいないものか」と思うことでしょう。
――“強い味方”と言えば、幕末から明治にかけての転換期。
“本編”ではまだまだ先の時期で、おそらく第30話前後になるまで書けない話ですが、佐賀藩の武雄部隊は、新政府軍の中でも精鋭として知られました。
「武芸第一」とも称され、不安定な明治初期の東京(江戸)を守っていたところ、激闘の続く東北戦線に呼び出されます。
旧幕府方では「最強無敗」と評された、山形の庄内藩の勢いが止められず、対応が必要となっていたためだそうです。

――ここで、武雄部隊は、秋田の“強い味方”になります。
新政府側に付いて東北で孤立し、庄内藩に攻められた、秋田(久保田)藩を助けて守り抜き、ともに反撃に転じた…等の活躍がありました。
こんな縁があって、幾度か「秋田の竿燈まつり」の出張が武雄で見られる機会があったそうです。「秋田の人は、とても義理堅い…」という印象を受けます。
なお、一度、歴史番組で耳にした情報ですが、佐賀藩の武雄部隊は戦闘での犠牲者が、他の主力藩に比べれば、かなり少なかったようです。
もしや、かつての龍造寺氏の失策から学んだのか「深追いせず、命は大事に」という意識があったのかもしれません。
――「そいぎ、“武雄領”の強かごとは、わかったばってん、」
「今は鳥とかで困りおるとよ」という反応はごもっとも、話を現代に戻します。
全国で放送されていた旅番組。『遠くへ行きたい』だったと記憶しますが、佐賀が特集された時に“切り札”を見かけました。
「目には目を、歯には歯を…。」ではなくて、「鳥には鳥を」。現代の武雄には、江戸時代からの流れを汲むという、“鷹術”を遣う組織(会社)があるそうです。

――ここでも、「命を大事に」ということなのか。
鳥の世界での“鷹”たちは、猛禽類の“精鋭”というべき力があると思います。
但し、この鷹使いをする会社の情報では、“害鳥”とされる鳥をむやみに傷つけない方針と読めました。
作物を荒らす“害鳥”を駆除する依頼を受けた場合、飛来時に追い払うだけではなく、「鷹の攻撃で、“仲間”がやられた」と見せかける作戦もあるそうで…
例えば“害鳥”を追い払う時に、ダミーの“別個体”を準備しておき、仲間が仕留められたと思い込ませるという技術があるようです。
特にカラスなどは学習能力が高いですから、直接に攻撃をせずとも、鷹の危険を感じてからは、当分、近寄ってこないと聞きます。
――個人的には、このあたりに「佐賀の美学」を感じます。
「侵入者に対しては、最小限の攻撃で追い返し、以降は秩序を守らせる。」
幕末期の佐賀藩主・鍋島直正公が、理想とした強さを連想させる内容です。
――ところで現在でも、武雄領主が描いた「鷹の絵」が残ると聞きました。
それは、鍋島直正が佐賀藩主に就任する7~8年ぐらい前で、まだ10歳頃の少年期だったといいます。
年齢差から見て、20歳ぐらいの青年だったであろう、武雄領主・鍋島茂義に絵を描くよう求めたそうです。

“個人蔵”との記載があり、現物は見られないようですが、書籍で見る限りでは「文人画」と表される風格のある筆遣いで、枝にとまった鷹の姿が見えます。
“兄貴分”の描いた「鷹の絵」は、のちに佐賀の名君となる若様を、きっと喜ばせたことでしょう。
――幕末・明治期の“佐賀藩の大河ドラマ”をイメージすると…
要所に姿を見せる「武雄領を、どう描くか?」は、個人的に重要なポイントだと考えています。
本編の第3話『西洋砲術』は、武雄を軸とした物語でした。作中では20年ほどの時を経た、その続きの話を再び描きたいと思います。
“本編”・第20話『長崎方控』の各記事のサブタイトルを大体決めて、ようやく、下書きを始めました。
ところで、佐賀といえば「農業の県」というイメージがあります。私は県内にいないので、例によって、地元にいる叔父上との話から始めます。
――佐賀県の市街地以外の人には、よくある風景だと思いますが、
叔父上も、近くの山まで行っては、畑で農作物を作っているようです。
もっとも、“プロの農家”ではないので、野菜や果物を収穫しては、親戚や近所に配ったりします。
そこで避けられないのは、“害鳥”や“害獣”との小競り合いです。
――都会暮らしの私は、届いたジャガイモなどを食べては…
「おおっ!佐賀の大地の力が、心身に染みわたるぞ!」と疲労の回復を実感します。※個人の感想です。
そして、当然ながら芋を送った側の、叔父上が作物を収穫するまでには、ある程度には、苦労の“物語”があるわけで…
時々、「畑の柵ば作ったとよ」と話せば、小動物を防ぐ作業でしょうし、「カラスのこっちを見よったばい」と語れば、鳥とのにらみ合いが思われます。
――但し、プロの農家や漁業関係者からすると、
アマチュアで畑仕事をする叔父上のような、余裕はないでしょう。
「作物を食べる、皆を笑顔にしたい」気持ちは、プロ・アマで違わないかもしれませんが、農家でも海苔を含む漁業者でも、プロには生活がかかっています。
さすがは、自然豊かな佐賀県。動物も相当に元気そうで、彼らから作物を守ることは容易では無いはず。
「鳥も獣も、手強い…、誰か“味方”はいないものか」と思うことでしょう。
――“強い味方”と言えば、幕末から明治にかけての転換期。
“本編”ではまだまだ先の時期で、おそらく第30話前後になるまで書けない話ですが、佐賀藩の武雄部隊は、新政府軍の中でも精鋭として知られました。
「武芸第一」とも称され、不安定な明治初期の東京(江戸)を守っていたところ、激闘の続く東北戦線に呼び出されます。
旧幕府方では「最強無敗」と評された、山形の庄内藩の勢いが止められず、対応が必要となっていたためだそうです。
――ここで、武雄部隊は、秋田の“強い味方”になります。
新政府側に付いて東北で孤立し、庄内藩に攻められた、秋田(久保田)藩を助けて守り抜き、ともに反撃に転じた…等の活躍がありました。
こんな縁があって、幾度か「秋田の竿燈まつり」の出張が武雄で見られる機会があったそうです。「秋田の人は、とても義理堅い…」という印象を受けます。
なお、一度、歴史番組で耳にした情報ですが、佐賀藩の武雄部隊は戦闘での犠牲者が、他の主力藩に比べれば、かなり少なかったようです。
もしや、かつての龍造寺氏の失策から学んだのか「深追いせず、命は大事に」という意識があったのかもしれません。
――「そいぎ、“武雄領”の強かごとは、わかったばってん、」
「今は鳥とかで困りおるとよ」という反応はごもっとも、話を現代に戻します。
全国で放送されていた旅番組。『遠くへ行きたい』だったと記憶しますが、佐賀が特集された時に“切り札”を見かけました。
「目には目を、歯には歯を…。」ではなくて、「鳥には鳥を」。現代の武雄には、江戸時代からの流れを汲むという、“鷹術”を遣う組織(会社)があるそうです。
――ここでも、「命を大事に」ということなのか。
鳥の世界での“鷹”たちは、猛禽類の“精鋭”というべき力があると思います。
但し、この鷹使いをする会社の情報では、“害鳥”とされる鳥をむやみに傷つけない方針と読めました。
作物を荒らす“害鳥”を駆除する依頼を受けた場合、飛来時に追い払うだけではなく、「鷹の攻撃で、“仲間”がやられた」と見せかける作戦もあるそうで…
例えば“害鳥”を追い払う時に、ダミーの“別個体”を準備しておき、仲間が仕留められたと思い込ませるという技術があるようです。
特にカラスなどは学習能力が高いですから、直接に攻撃をせずとも、鷹の危険を感じてからは、当分、近寄ってこないと聞きます。
――個人的には、このあたりに「佐賀の美学」を感じます。
「侵入者に対しては、最小限の攻撃で追い返し、以降は秩序を守らせる。」
幕末期の佐賀藩主・鍋島直正公が、理想とした強さを連想させる内容です。
――ところで現在でも、武雄領主が描いた「鷹の絵」が残ると聞きました。
それは、鍋島直正が佐賀藩主に就任する7~8年ぐらい前で、まだ10歳頃の少年期だったといいます。
年齢差から見て、20歳ぐらいの青年だったであろう、武雄領主・鍋島茂義に絵を描くよう求めたそうです。
“個人蔵”との記載があり、現物は見られないようですが、書籍で見る限りでは「文人画」と表される風格のある筆遣いで、枝にとまった鷹の姿が見えます。
“兄貴分”の描いた「鷹の絵」は、のちに佐賀の名君となる若様を、きっと喜ばせたことでしょう。
――幕末・明治期の“佐賀藩の大河ドラマ”をイメージすると…
要所に姿を見せる「武雄領を、どう描くか?」は、個人的に重要なポイントだと考えています。
本編の第3話『西洋砲術』は、武雄を軸とした物語でした。作中では20年ほどの時を経た、その続きの話を再び描きたいと思います。